さよならの朝に約束の花をかざろうを考察したい
さよ朝考察
先日、さよならの朝に約束の花をかざろうの再上映があったため観に行き2018年の時に観た時とは受け取り方が少し変化したのでそこら辺の心境となぜそう思ったのかを書いていきたいと思います。
ネタバレを含みます。
冒頭シーン
この予告の最初の機織り機から映画が始まるわけですが、コレが初めの伏線だと思っています。どういうことか?映画を最後までご覧になった方は分かる通りエンドロールも機織りの映像が流れています。
なにがいいたいか?この物語を今から織ってゆくという宣言をするわけです。そしてエンドロールで今まで織ってきた方々の名前を出す。すごい粋な演出です。コレこそヒビオルですね。
ヒビオルとは何か?
このヒビオル簡単に言ってしまえば意味を含んだ布ですが物語においては大きな意味をなします。
ヒビオルは人生である、ヒビオルは伝えるもの(絵画などに近いと思う)、ヒビオルとは生きる目的そのもの。コレを踏まえてみると映画の見方が少し変わると思います。
綻びの理由
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このシーン長老がヒビオルに綻びを見つけるシーンですがコレも宣言と捉えて構わないでしょう。
物語の構造は日常があってそれに事件が起きることによって開始します。
このシーンは今から日常が終わり綻びの物語(ヒビオルには刻まれない)が開始するという宣言です。
最後にこれもヒビオルだということに帰結する物語構成も綺麗でいいです。
やはり1つ1つを分解しても細かい、いい映画です。
マキアとエリアルの歳の差の演出
さよならの朝に約束の花をかざろうにおいて年齢は重要な意味をなす要素です。
物語の開始時マキアは15歳、エリアルは数ヶ月?で開始します。
この辺りの対峙表現、マキアは見た目は歳を取らないがエリアルだけは成長していく点。
エリアルの反抗期の年齢のときマキアはエリアルを育てるのに必死だった。
などマキアがその年齢の時にしていたこととエリアルの決断を比較するとすごい面白く見えると思います。
レイリアとメドメルの対峙の意味
これが今回すごかった。
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レイリアは最後メドメルと対峙し空を飛びますがメドメルは当時のレイリアが状況に置かれた歳と同じぐらい歳になっての対峙です。
監督すごいですね、わかってるとすげーとなる要素です。
最後に
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
一般的な考察とは違いますが楽しんでいただけたなら何よりです。
私自身昔見た時にはここは気が付かなかった部分です。
この数年で、見え方が変わったのは意外でした。
初投稿なのであまり上手くできていなかったら許してください。
今度もまた何か書くかもなんでその時はよろしくお願いします。