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美術短大卒から美容師へ – 異色の経歴が導いた美容師、そして美容室経営へ

マタニティスイミングで出会った友達の影響


まだ1歳にならない娘を、旦那さんに預け
銀座に髪を切りに行った私ですが、
ずっと担当してくれた美容さんに
「あなたの髪ではシュートボブは無理です」と
言われた事を話と、

私の髪にはクセがあり、広がり易いから
シュートボブでまとめるには、
ちょつと技術が必要だという事が分かりました。

そこから2年が経ち、25歳の時
私は2人目を出産します。

その時にお見舞いに来てくれた
マタニティスイミングの時の元美容師のお友達が
なんと、保育園に子供を預けて
美容師として、仕事復帰していました。

この事は、私としてはかなり衝撃で
「子どもを産んでからでも美容師として働けるんだ!」
とビックリしました。

私は2人目が生まれて、
これからまだまだ育児の日々が続く。
なのにこのお友達は、
子どもを預けて美容師として歩き始めている!!

退院後、このお友達のお店に髪を切りに行き
颯爽と仕事をする友達の姿を見た時
「これだ!私もやっぱり美容師になる!!」
私の美容師になりたい気持ちが
沸々と沸き上がって来ました。

そして、下の子が1歳を過ぎると
私は二人の子供を保育園に預け
美容師として第2の人生をスタートさせるのです。

第2の人生を美容に掛ける

見習いでパート。
こんな雇用形態ですが、当時は雇ってくれるお店がありました。
今から30年以上も前の事。
当時は美容師免許を持たずに、
働いている美容師さんもいた時代です。

私は将来の事を考えて、
通信で美容師免許を取る事にしました。
一番大変だったのは、年に2回のスクーリングです。

朝、保育園に子供を預けて
そのまま電車で美容学校へ。
午後4時に授業が終わり、保育園に直行。
そして家でご飯を食べさせてそれからお店に。

この10日間は本当によくやったな!
と、思います。
卒業試験の時に、白衣を忘れて取りに帰り
ギリギリで試験を受けたり。
現在は通信は3年だと思いますが、
当時は2年だったからでき事だと思います。

私がお店を出す?!

そして、28歳の時に美容師免許を所得。
晴て美容師となりました。
このまま数店舗、お店を移りますが
忘れもしない2001年9月11日。
アメリカ同時多発テロ事件。

当時私は、東京の福生市、
横田基地の近くの美容室に勤めていました。
このテロ事件で、
「次は横田が狙われる!」という噂が流れ
その風評被害でお店はパタッと暇になってしまいました。

苦渋の決断で、店長はスタッフを解雇。
私は次のお店を探す事になるのですが
37歳の私を雇ってくれるお店なんてあるのかな?

そんな時弟が
「お姉ちゃん、お店出せば?!」

この弟の一言で、私はお店を出す覚悟を
決めるのでした。



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