僕が一番欲しかったもの


『note』というものをダウンロードして随分経った。
みんながやっているから入れてみたものの、特に書くこともないかと放置していたのである。

文章にすると毎度堅苦しい話し方のようになるが、癖である。こればかりは直せません。そちらが慣れてください。


とまあ前置きはこれくらいにして、どうして『note』というものを書こうかと思ったのか。

「かなこさんって、ルーツの音楽はありますか?」

この一言がきっかけである。
Twitterには便利なスペース機能というものがあり、わたしはよくそこに滞在している。そこで音楽を共通の趣味としている方からふと、尋ねられた質問にわたしは頭を抱えてしまった。


幼少期から聴いていた音楽の中に、槇原敬之さんがいる。聴いて育ったと言われたら真っ先に挙げるとしたらこの方だろう。ドライブをするときには決まって槇原敬之さんの曲がかかっていた。なんなら今でもそうである。

小さな頃のわたしを寝かしつけるのはとにかく大変だったらしい。
どうしてもドライブに連れて行って欲しくて駄々をこねるような子供だった。確かに少しそんな記憶もある気がする。少しだけ。

小学生くらいまで、夜のドライブに連れて行ってもらった。
小学生時代は友達はほとんどいなかったし、休み時間は絵を描くか本を読んでいるか、とにかく人間と関わるのが嫌だったのだ。

何が楽しくて外を駆けずり回っているのか理解ができなかった。その分、体力が夜まで有り余っていたのかなと今は思う。

ドライブは心地が良かった。人間の機嫌を伺わなくて良いし、会話をしなくて良いし、お昼とは全く景色も違う。別世界に来たようだった。

あまりにも人間関係が上手くいってなかったのだ。
周りの同世代とも、家族とも。
学校からも家からも逃げ出したかった。
だからドライブが好きだった。たぶんね。

そんなドライブ中にかかっていた曲に、わたしは心が救われた気持ちになった。
それが『僕が一番欲しかったもの』である。


大学生から始めたApple Musicのサブスクだが、槇原敬之さんのライブ音源が収録されたアルバムが聴けるとわかると、わたしはこれらを何度も、何度も聴いた。

いやあ、やっぱりいいなあ。良い音楽を聴いて育ったんだなあ。こればかりは親に感謝だなあ。

そんなことを思いながら、槇原敬之さんの曲の中でもよく聴かれているベストランキングを見たのである。

雷に打たれたような気持ちだった。
なぜならわたしが一番好きな曲がトップ3に入っていたのだ。

ええ?何かの間違いじゃない?
わたしの周りにこの曲を、知っている子ですら会ったことがない。

音楽が好きだ!と言っている身からして、メジャーなものを挙げるのは少し、いやかなり恥ずかしいのである。
だってみんな聴いてるんだもん。そりゃお前、好きです!って言っておきながら本当はメジャーな曲ばっかり聴いてるんだろ!と思われても致し方ないじゃないか。変なプライドである。

ああ、やっぱり有名曲が刺さってるだなんてファン失格かな。なんて思ったのだ。


だから「かなこさんって、ルーツの音楽はありますか?」という質問に、頭を抱えてしまったのである。
みんなが好きな、メジャーな曲だと知ってしまったから。

でもね、やっぱり、あのとき感じた“救われた”と思った気持ちに嘘はなかったと思う。
初めて歌詞をきちんと理解して聴いたとき、親が運転している後ろの席で、泣いてしまった。

人間ときちんと関わってこなかったから、感謝をされることがなかった。
人間との関わり方がわからなくて、一方的に距離をとっていた。

でも曲の中の人は違った。
欲しいものを手に入れたけれど、側にもっとそれを必要としている人がいることに気づいて、譲ってしまうのだ。
何度も何度も繰り返して、そして最後にここまできた道を振り返って、とうとう僕が一番欲しかったものを“拾うことができた”と言うのだ。

わたしもこういう人間になりたい。こんなわたしでも、何かを拾ったときにより必要としている人にあげられる人間になれるかもしれない。
その希望が救いだった。


だからわたしが一番好きな曲は『僕の一番欲しかったもの』です。
にわかなファンじゃないよってわかって欲しいがためにこんな長々も綴ってしまうあたり、未熟だなあと思うけれど、曲の主人公のように、わたしもいつか誰かにあげられるような人間になりたいと思う。

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