無駄遣いをやめる。無駄買いのすすめ。
買い物は楽しいもの。つい無駄遣いしてしまいます。でも、勇気をもって無駄遣いをやめてみる。もっと勇気をもって無駄買いをするっていうのはどうですか?
モノを購買することは2つの目的があると考えます。
目的その①使うため。使ってもらうため。
前から欲しかったあれ。お金を貯めてでもローンをしてでも買ったからには使い倒す。使い倒すからにはお手入れもしながらずっと使いたい。
自分が使ってみてすごく良かったから友人にもプレゼントしたい。記念日にプレゼントをして喜んでもらいたい。
モノを買う動機としてとても健全。愛着を持ってつきあういい機会。個人的にはがんばってお金貯めてから買うほうが「やっと買えた」感を持つことができて幸せ味わえます。
目的その②お金を払うため
会社や友人の集まりでのゲームの景品。プレゼントもらったからお返ししなくちゃ。ずっと買うことを我慢してきたからここらでバーンと。急にお金が手に入ったから。
様々要因がありますが、お金を支払ったらその商品の使命が終わる。お金を支払うために存在する商品も世の中にあると感じています。
著者がやっていることは、テキスタイルを買うこと。これ「無駄買い」です。
もはや買うことを目的化してしまう。素敵な柄を見つけたらとりあえず買う。できれば市場価値も値下がりしないか上がる可能性があるものを選ぶ。買ったものは1か所にあつめて保管する。そして、ひとつひとつに思い出を詰め込む。なるべく長く買い続ける。海外に行くときもテキスタイルを無駄買いすることを目的のひとつに定める。
好きで買ったものは5年寝かして見返すと宝物になっています。無駄買いしたものは必ずあとになって価値を生むものです。使い方を真剣に考えよう。それを生かす家づくりをしよう。価値を友人に伝えよう。
雑貨店を営む著者は、雑貨にまつわる話題が必然的に多いですが、「雑貨的」という言われ方をされることがあります。
店で見るとちょっと面白くてつい買ってしまうのだけど、すぐ壊れたり飽きたりしてポイっと捨ててしまうモノ。というニュアンスで使われます。
仕入れをするために展示会を回っていると、たしかに雑貨的な商品で溢れかえっています。溢れかえるくらいよく売れている。ということだと思うのです。選択肢がひろくて日本的な豊かさがあって、個人的に好印象です。
無駄遣いをしたあと、買ってしまった感やなんなら罪悪感に襲われるのは何故でしょう。使う用途が見えないから。捨てることを考えるから。家族やパートナーに怒られることを考えるから。欲しくて買ったのに家に帰ると邪魔なものになるのは悲しいこと。販売するときに感じているのは、買う側は完璧なものを求めるあまり、モノの長所・短所をよく見ずに長所だけ評価して購入してしまう。ということ。
無駄買いするくらい愛着を持てる対象が1つあると、そこから価値観が広がって良い悪い評価軸が確立できると考えます。評価軸さえもつことができれば選択肢が広い人生ほど豊かなものはない。雑貨的思考の定義が広く変わっていくと無駄遣いさせるモノはなくなっていくのではないかと思うのです。
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