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わざわざ独り言をネット上に残す理由

独り言、そう言ってつぶやくのはネット上。ただ自分の考えを残しておきたいだけなら別に日記アプリでも良いのではないか。

自分は学生時代から承認欲求の強い子だったように思う。それから更に自己顕示欲が増していったのは高校生になってからだろうか。あの頃はSNSを積極的に利用していた。確かTwitterが流行り始めた頃。LINEも出来たばかりであまり普及していなかった。部活動の連絡だって、律儀にメアドの連絡網があったぐらいだから。

Twitterではよく喋った。毎日開いていた。ツイ廃と言われる類、だったと思う。暇さえあれば開いていたから。とにかく周りからの反応が欲しかった。自分はこんなこと考えているんだよってアピールしたかった。そしてそれが、これだけ評価されていると。フォロワー数ってそういうことだと思っていた。フォロワー数=自分への絶対的評価みたいに思っているところがあった。主観と客観は違う。今だったら、関わる人の質によって自分の幸福度を測ると思うけど。なんていうんだっけ、あれ、GNHだっけ?世界幸福度ランキングって。

話が逸れた。あれはあれで楽しかった、けど、それと同じ分だけ傷ついたことだってある。それから学ぶこともあったから一概に嫌なこととは言い切れないけれど。自分の居場所をネットだけにするのはダメだなあ、と思ってからは距離を置くようにした。ただ、歳を重ねるにつれ、Twitterをあまり必要としなくなった部分もある。

SNSに重きを置いていない自分はかっこいいと思っていた時期もあった。これについてはまた違う話に逸れそうだから、書きたいと思ったら別でまとめようかな。

とどのつまりは、一度距離を置いて必要性を感じなくなったSNSに何故また自分の言葉を置いていくのかということ。その点について今も書きながら考えを巡らせている。
なんだかんだ言いつつ反応が欲しかった?見て欲しかった?多分、それだけじゃない。
今の自分があえてここに言葉を置く理由はきっと他にもある。こういうのをネットに載せちゃった方が後で見返したときに、「こんな言葉をネットの海に放り投げたのか〜〜〜!!くぅ〜恥ずかしい!」って思って見た方が盛り上がるかなって、そういう気持ちもある。甘かった過去の自分をニタニタしながら楽しめるようになるまで、まあまあ時間かかったけど。そんなこと考えていると、自分はマゾなのかなんて思ったりもする。

あえてここに残す理由。また書き留めていきながら答えが出てくるかな。とりあえず、飽きるまでは続けてみようと思う。

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