良いモノってなんだろうか?
地域の魅力を広げるデザイン事務所 包むデザインのツツムです。
突然ですが、良いモノってなんだと思いますか?
それは十人十色のお答えが返ってくる事でしょう。
誰かが良いモノだと思っても自分にとって特に価値を感じなかったり、日常にあるモノと目にもとめなかった品がある人にとってお宝だったり…
良いモノについて考えるきっかけになった久柳さんの日常の話
ご縁があり、和えるさんと久柳さんの打ち合わせに同席させていただきまして、その際に久柳の代表 昌子 久晃さんの日常の話がとても新鮮で私にとって人生の宝物になるようなお話でした。
久柳さんは一言でいうと法衣仏具店ですが、とても人の想いやお寺さんや檀家さんの想いを大切にされているステキなお仕事をされています。
その日常の一つひとつが驚きでした。
法衣のこの部分は、スーツに例えるとネクタイですよー。
住職さんは◯◯のしごとに似ていて、、、などなど
でも、 昌子 久晃さんは「それが日常でこんなに反応があるとは思わなかった」とおっしゃっていました。
日常には実は色々な良いモノが溶けていてそれに気づいて手に取ったり、そのまま日常に溶け込んでいたりするんだなぁと考えるようになったのが「良いモノってなんだろうか?」と考えるにいたったきっかけでした。
人生は良いモノを探してコレクションし続ける冒険かもしれない
私たちは良いモノを見つけると心のなかでコレクションをしているように思います。
例えば、小さいな時の大切なおもちゃを思い出してください。今でも笑顔が出てきたりしませんか?最近食べた特に美味しいモノを思い出してください味を思い出しませんか?
このように私たちは良いモノをそれと知らずにコレクションしているかのように記憶に残します。
良いモノコレクションは実はジャンル分けされてるんじゃないだろうか?
良いと感じるモノを考えると人生で出会った良いモノたちに傾向が似ていたり、単体同士では似ていなくてもたくさんの良いモノを並べてみるとジャンルが似てきているなどあるかと思います。
良いモノは実はその人の生きた証であり、人生で感じ・目にし・味わってきたモノに影響を強く受けています。
良いモノコレクションの棚卸しもたまには必要じゃないだろうか?
小さな時に感じた感動と今感じる感動は似ていても全く違うものになっている可能性があります。
例えば、好きで擦り切れるほどに読んだ本が色褪せて見えたり、よく着た服をあまり着なくなったり…
良いモノを思い切って棚卸しして新しい価値を棚に入れる…
これはある種の成長だと感じます。
良いモノを良いと感じる物差しは自分にあると思う
現在は多くの情報の中で良いモノが溢れる時代です。
だからこそ、自分の中に物差しを持って良いモノを宝物と信じていくことが人生を豊かにするんじゃないかな?と感じます。
マニファクチュアが起点となり大量生産で品質の良い商品が安価で手に入る。大量に良い製品が安価であるからこそ価値基準は、「安いから」「みんなと同じだから」という基準のみで決めるのは「ちょっと待ってください!!」と言いたくなることもあります。
決して、安いやみんなと同じという価値基準を否定したいわけではありません。そこに枯渇するべきではないのではなかろうか?と思うわけです。
例えば、直感を信じて少し値段はしたけど欲しいモノ。ストーリー性があって好きになったモノ。好みのモノ。
それは誰が決めるのでもなくて自由です。
ダサいとか古いとか全然関係がなくて、良いモノは良いです。
広告デザインの提案は良いモノをどうやって価値に気がついてくれる人に届けるかだと思う
包むデザインの仕事は広く申しますと広告デザイン事務所です。
そんな中で企業やサービスが大切にしているモノにたくさん触れてきました。
広告の仕事は、「売る」から「届ける」に変わってきていると感じます。
こういう人に出会ったことはないでしょうか?
自分の好物を「絶対に美味しいから食べてみて!騙されたと思って!!一口だけでも食べたらわかるから」などやや強引におすすめされる方が稀にいます。
美味しいと感じれば良いのですが、そうでもない場合に反応に困ったりとか・・・
広告は100%そうとは言えないまでもこのタイプの人の傾向を持っていたと感じます。「絶対美味しいから!」そういう広告がたくさん溢れていて消費者はうんざりしている。そんな状況です。むしろ絶対に美味しいを信じてもらえないです。
こういう人にも出会ったことないでしょうか?
自分の好物の中から人の立場に立って食材を選びそれと伝えず人によってすすめ方をかえる方。日常会話で知らせようか?チャットの方がいいか?他の方法のほうがいいか?
このように自分が良いと思ったモノを食べさせることが目的にではなくて、楽しんで喜んでもらう事が優先。広告も同じように人によって良いと感じるモノは違うと理解して、売ることが目的ではなくてその人に届くことが目的になるのではないでしょうか?
目立ってクリックさせたり、購買意欲を引き立たせてつい買ってしまうようなモノがたくさんある中でかなりうんざりしている方が多いように感じます。
「日常が人によっては宝物になる」は広告デザインにも共通するんじゃないだろうか
デザイナーやプランナーは日常に溶け込んだ良いモノに気がつくアンテナを常に張っていないと行けないと昌子 久晃さんのお話を受けて考えさせられました。
簡単に書けば、非日常感に気がつくスキルでしょうか…
その非日常が実はものすごい良いモノだと言うことは絶対に沢山あります。
その日常に溶け込んでしまったモノの良さに気が付き、伝え方(メディアなど)をどうしたらこの良いモノに気がつく人に自然に届くかを考えて、その人にあう言葉(デザイン)で話す。
良いモノってなんだろうか?
デザインの話はここまで…(長くなってすみません)
この記事の主題である良いモノって一体何なんでしょう?
これは私の見解ですが、人の生きてきた人生と世界観があうモノもしくは世界観が変わるモノだと考えます。
人生と世界観が会うモノは、今までのコレクションと類似した自分の個性みたいなもの。
人生の世界観が変わるモノは、そのモノを通して成長できるものです。
重ねてになりますが、現在は情報や商品が溢れる時代。
特に日常に良いモノが溶け込んでしまいやすい時代だと感じます。
そんな中でぜひ、自分の物差しを持って溶けそうな良いモノを探してみてはいかがでしょうか?
包むデザインも及ばずながらそういったモノを届ける仕事に邁進したいと思います。