『1999』感想(実況)
3/31(日)にnoteにて私の大好きなバンドの新曲がリリースされました
notehttps://note.com › nostradamnz1999|THE NOSTRADAMNZ OFFICIAL
このバンドが久々に帰ってくるワンマンツアーが開催されるのでとても楽しみにしています
いずれも平日夜なので、お仕事終わりにも、是非🫶
4/15(月)@EDGE Ikebukuro(東京)
It’s a small world’s end vol.19-teremana-
ACT:THE NOSTRADAMNZ
OP/ST 18:30/19:00 🎫4000円(+1ドリンク600円)
https://eplus.jp/sf/detail/3989770001
4/22(月)@LIVE HOSE JUZA(大阪)
It’s a small world’s end vol.20-casamingos-
ACT:THE NOSTRADAMNZ
OP/ST 18:30/19:00 🎫4000円(+1ドリンク600円)
https://eplus.jp/sf/detail/3989780001
4/23(火)@今池 CLUB 3STAR(愛知)
It’s a small world’s end vol.21-cabo wabo-
ACT:THE NOSTRADAMNZ
OP/ST 18:30/19:00 🎫4000円(+1ドリンク600円)
https://eplus.jp/sf/detail/3984410001
Gt.SCHEHAAANさんが、作詞作曲を手掛けたのが嬉しくて嬉しいかんそう、恥ずかしくなり次第消します
0:01
最初のギターのチャカ音で心臓撃ち抜かれて死んだ
0:02〜0:10
開始2秒で余談を挟んで申し訳ないが、この始まり方を聴いてPlastic Tree「メランコリック」のイントロのカッティングが好きなことを思い出した
SCHEHAAANさんのここのギター、最初はザクッと切り込んで、繋がるように音が重なっていく、この始まりが曲全体を決定付けているようにも感じられて、早く生で手元が観たい
ノストラちゃんの曲で、ギター主体で始まる曲って今まであったかな。「ヴィルヘイムに告ぐ」はライブだと口上があるけど、ギター主体で始まるから好き。それこそ「Light speed escape」がそうかも、最近毎日ライブ告知をしてくれる中で、かの10/4の画像を見るとあの日の「Light speed escape」をもう一度聴きたいと思う
0:11〜0:30
前奏部が比較的長い曲だと思う
少なくともこの連続リリースでは1999だけだし、ノストラちゃんの既存曲でもあまりない気がする
だから、ここでしっかり3人の音を聴かせてくれるのがすごくよくて、ライブで早く聴きたいと思う。この前、Dr.8ppyさんのドラムイベントに行って、私この人のドラムのロール(?)が好きなんだ、って思ったからそこを存分に聴けて嬉しいし、Ba./Vo.のLucciさんのベースの動きもよく分かるし、ギターが余す所なく音空間に満ちている
とにかくこの前奏部は無料で聴けるから、全員聴いてください
notehttps://note.com › nostradamnz1999|THE NOSTRADAMNZ OFFICIAL
0:31〜0:40
シェハーンさんって身に纏うカラーが青なのと、趣味が釣りとのことなので、なんとなく水辺のイメージがある。黒い仮面は湖畔を彷彿とさせ、人間部分を極力隠すロボットの容姿だけ見れば、無機質な印象を受ける
だから、シンプルな言葉選びと水のイメージが、浸透圧となってこちら側に真っ直ぐに沁みてくる感じがする歌詞だ。漢字表記が「蒼」なのもいいな、と思う
ノストラちゃんの曲はほとんどがルシ様の作詞によるもので、ルシ様は曲に対してその音楽的、社会的な背景を毎回丁寧に解説をくれるような方であって、現実と地続きでありながら超次元的な心象の切り取り方をする歌詞を書く方だと思う。
「SAIL AWAY -Decade flight-」に引用されている「ROCKET DIVE」然り
https://youtu.be/dhCZZfOWYgQ?si=z43xvQ5IcTZ0Ee0s
「さよならロックスター」の不動のロックスターたちのコラージュ、そういった豊富なリファレンスでご自身の音楽的ルーツに、その時その時でアンサーを出されている方だなという印象がある。帰納法的というか
で、ルシ様に「1999」を取り巻く出来事や音楽的な出会いがどのような影響を与えているのか、はっぴ〜さんが作ったこのバンドで、なぜノストラダムスという名に至ったのか等については、ブログに書かれており、私はこの記事、いずれもとても好き
これとか
https://ameblo.jp/youkaicrust/entry-12397937610.html
これとか
https://ameblo.jp/youkaicrust/entry-12587392158.html
あと、なぜ「DAMNZ」という綴りなのかについてはツイキャスで語られてたと思うんだけど、いつのだか忘れた 思い出したら追記します
なんていうか上記のブログを読むと、1999年のあの夏の感慨の延長を、直接言わずともずっとバンドで表現し続けているのではないかなと思う
だからこそ、暫しのお休み期間になりますが配信リリースします、と予告された『1999』という曲タイトルを見たときに、「1999年を象徴するバンド名の彼らが、紛れもない今現在において、ストレートにその数字の並びをタイトルにして表現することは、どんな意味を持つのだろう」ってめちゃくちゃ期待を寄せていたんです
1月リリースの『And So I』はルシ様の曲だからルシ様が、2月リリースの『アカリファの花』ははっぴ〜さんに向けた歌詞(だと解釈している)からはっぴ〜さんがアートワークになっていて、だとすればシェハーンさんが『1999』に作曲で携わるのかなとは若干予測はできたものの、まさか作詞まで手掛けるとは思わなくて、リリース発表を見て高田馬場CLUB PHASEで座り込んじゃった……
めっちゃ嬉しかった、昨年の4月のツイキャスで「シェハーン主体の曲もきっと出てくるよ」ってはっぴ〜さんが言ってて、心のどっかでシェハーンさんの曲が聴けるのずっと待ってたから
あとルシ様の「そrrrらうつし」の巻き舌と「あおく」の伸びが良すぎる
0:40〜0:48
シェハーンさんがロボットっていう設定から考えると、ここもすごく胸が熱くなる歌詞で、人間が唯一制御できないものが「時間」なのだそうだ
1999年から2024年まで経たとしても、「時間」というどうしようもない世界の理を受け入れるしかない頭打ちの未来を、過去が連れ去っていくという所を想像させてくれてとても好きだこの歌詞
0:49〜1:06
バンドマンに限らない話だけど、今、ステージに立っている人というのは一様に、子供の心の国の鍵を失くさず大人になった人間で、ある種の永遠を持つのだと思っている。ルシ様の歌詞にはそういう、明るいピーターパン症候群みたいなところを感じる
対してこの歌詞の"大人になりきれ"なさっていうのは、蛹の中で身体が溶けても羽化に至れず、その溶けた身体のまま行くことも、戻ることもできずに生き永らえているような言葉だと思った。普遍的な未熟さ、焦燥、不安、元に戻れない時間への諦観、が内包されている気がする。音楽に青春を奪われたような感じの
ここでいう"僕ら"が誰を指すのか分からないけど、勿論私の中にもこういう感慨はあるので、それをストレートな言葉と音でぶつけてきてとても好き
1:08〜1:28
サビ、良……
ルシ様の声の伸びとハイトーンがすごく映えるメロディアスな主旋律だなと思う。楽器の音数に対して言葉の数が少なめだから、言葉の1つ1つが際立つし、だからこそ最後の語りがより効いてくる気がする
シンバルの高くて硬い音が目立つのもアクセントになってるみたいで好き
春ってすごく、「ああ今年も何者にもなれないまま春が巡ってきてしまった」って焦燥に毎年苛まれるので、この曲が3/31にリリースだったのも、この曲の要素としてすごく良いなと思う
1999年の4月はどうだったんだろう、と想像する。仮にその時私が中学生くらいだったとして、夏生まれだから、「誕生日迎えられないまま死ぬのかな」なんて思ったりしたんだろうか
1:47〜1:56
「溺rrrれて」「そrら」のルシ様の巻舌、聴いてて気持ち良すぎる
ここでも言葉から"蒼"のイメージが浮かんできて綺麗だね
1:57〜2:12
1番の"寄せては返し"の7音に対して2番の"沈みゆくままに"の8音のリズム良くて、"捨て去ることで分かった"のルシ様の力の入った歌声も好き
私、ここの歌詞、歌詞歌詞歌詞が!!すごく好き!!
これは私の話なんだけど、緩慢に摩耗して心身を擦り減らしていく日々の中で、自由とかそういうものを失っているのかもしれないけど、それを失ったこと自体を覚えていない。失ったことを自覚してしまうことは怖くて辛いから逃げている。誰かに何かを言われて傷付くくらいなら、追い求めて一生懸命になって挫折した事実すらなかったことにして、絵も歌も楽器も勉強も、こうして文章を書きたい熱量すら捨てたいと思うくらいには、何もかもできないふりをしていた方がいい、って思う
で、この歌詞、"自由"を"失った"ことに自覚があること、しかもその上でさらに何かを自ら"捨て去ることで"わかるって文脈にハッとさせられたというか
そうか、「失ったこと」すら失ったら、「失ったこと」それ自体はどこにも残らないし、歌われることすらないかもしれないんだ、と
死んでしまった人のことも、解散した大好きなバンドのことも、諦めてしまった夢も、"捨て去ること"について自覚するのは怖いけど、本当は「喪失」の記憶を喪失する方が恐ろしいのかもしれない。私たちはそうやって、自分が失ったことを、さらに失わないために記憶する責任があるんじゃないかと思わされた
この歌詞が、全体的に過去を向いているにも関わらず、どこか「諦められなさ」みたいなものを感じる理由は、この辺にあるのかもしれない
とにかく何が言いたいのかというとシェハーンさんの書く歌詞まで好きになってしまったのでもうおしまいです
何食べたらこんな歌詞書けるんだ? 飲むかァ ガソリン
2:14〜2:16
ここのギター1サビ前のザクザクした感じより、余韻残すような音になってる気がする
耳が馬鹿だから私の気のせいかもしれない
2:16〜2:25
なんか1番の歌詞の単語の始まりが、変わってゆく(カ行)→景色に(カ行)→取り残され(タ行)だから、ルシ様の声、アタックが効いた歌い方に聴こえるんだけど、2番はヤ行→サ行→ナ行だから滑らかで切なさが増していて良い
この辺り、歌詞だけ読んだ時には幻想的な印象を受けたんだけど、実際ルシ様の声やはっぴ〜さんのドラムに乗せられると、どこまでも現実的だから余計に切ない
ここも、かなり、心臓、ギュッてなる歌詞で、これ後述するけど、ノストラちゃんの曲の中で、眠って見る夢をテーマにした『Wakey Wakey』がアルバム「CLUB33」に収録されてて(ライブで聴きたい)、曲解説が同note内にあるんですけど、もうこの曲解説を読むたびにつらくなるくらい好きな曲で、それを彷彿とさせるんだよな
2:26〜2:35
この歌詞切なすぎて死ぬかと思ったし、歌詞を最初に読んでここめちゃくちゃやばいと思ったんだよ
歌詞を読んだ最初の印象として、おそらくこれは1999年に関する心象風景と激情で、感傷の淵を彷徨うような歌詞なのだろうけど、これが1999年に関する曲だと分かるトリガーは、"8月"(=ノストラダムスの大予言が外れた、終わらなかった世界)という言葉しかないんだ
すでにその終末ブームから25年経ってて、その大前提を知らない若い世代の方が多くなってくると思う、仮に私が「1999」というタイトルも「THE NOSTRADAMNZ」というバンド名も知らない状態で聴いたら、メロディアスでエモーショナルな良い曲だなあ……って感想を抱くと思うんだ(あとギターの人めっちゃかっこいいなって)
つまりこれ、真意(があるのか分からないけど)に辿り着くにはバンド名と曲タイトルとノストラダムスの大予言というものがあった、という前提に依拠した曲になっていると思う
だからもし、もしも今後ノストラダムスの大予言を知らない若い世代や、当時興味がなかった人たちがライブハウスでこの曲に出会ったとする
いい曲だったなってタイトルを知り、バンド名を知り、歌詞を知ることで初めてこれが1999年を下地にした曲なのだと知って、そこで初めて全ての要素が繋がって、あの時代特有の残酷なときめきや、普遍的な焦燥感や不安感を追体験したとする
ノストラちゃんとそんな出会い方をする人が、連れ去られた未来の中にこれからいるのなら、それってすごく素敵だなって思うし、逆に今、このバンドとそんな出会いができる人を羨ましく思う
私もまた、「THE NOSTRADAMNZ」との最初の出会いはナマのライブを観たからで、曲を知り背景を知って徐々に溶かされていったタイプのファンだから、ライブに来てほしいなと思った、いろんな人に
ここまで書いたこと私の考えすぎだと思うけど、このタイミングでこんな曲を作るシェハーンさんって-特異点-だし、やっぱりシェハえもんだったんだなって話
2:36〜2:57
ギターソロ、一生永遠に聴いてたい
ここまで割と淡々と穿ってくような感じでこの曲が進んでる印象あるんだけど急に死ぬほどかっこいい動きをしだして息止まってしまいますね
2:39と2:40と2:45と2:51と2:54が好きです
やばい、最後に合わせて♡飛ばしそう
2:55〜3:33
ギターソロ、エモーショナルすぎるんですけどそこから一気にドラム、ベース、ボーカルだけになるの、そこまでの熱量が醒める、というより一気に乾く、って感じがする
最後に"感性"が来るのがすごく好き
前者の3つは、"光"も"声"も"香り"もどちらかといえば外部的や要素だと思う、でも"感性"だけは自分の中にあって、最も知覚しにくくて不確かなものだと思うから
そこまで外側に向いていた意識が、ドラムのカウントとルシ様の叫びで、一気に自分の内側に指先を突き立ててサビへ引きずり戻す、ような感じがすごく好き
ライブだとここ、シェハーンさんも一緒に歌ったりするのかな〜!どきどきわくわく
3:34〜3:37
ラストサビ前2小節(?)あるの良すぎ
3:38〜3:52
3:43のドラム、好きだ
最後のサビのフレーズ、1サビ2サビと同じようにもう1まわし来てくれてもいいくらい良いのに、短く終わって語りパートに行くのがまた良い……
この歌詞もめちゃくちゃ好きで、"夢から覚めるまで"って締められるように「夢から覚めてしまえば、もしかしたら痛みもなくなるかもしれないのに、"いつかの続きを見"るために"眠り続けてる"っていう選択をしているんじゃないか」って感じるのがすごく好き
ここで思い浮かぶのが前述の『Wakey Wakey』
https://note.com/nostradamnz/n/n9ee6f462d8db
CLUB33自体を買って聴いてたのが2021年で、この解説も2022年に読んだので「そんな意味だったのか切ないなあ」くらいの気持ちでいたんですが、シェハーンさん加入後に聴くと、また違う物語が立ち上がるようでさらに好きになった
以下、ルシ様の解説の一部引用なんだけど
ウオ〜〜〜ッ(頭抱え)この言葉、何度読んでも刺さる
ステージや画面を隔てているから演者も客も互いに綺麗に映るのだ、という比喩だけど、シェハーンさんって、ステージの上でのみ像を結ぶような、実在性が極端に薄い人だから、余計この歌詞と色濃くリンクする気がする
私はその虚像の名前を、熱いステージングを、出力される言葉を信じているし、大好きでいるんだって、ライブを観るたびに思う
また、この曲を羅針のようにしていて、逆にその虚像の範疇を超えた部分を好きになることは、彼がステージで表現している姿に対する冒涜だとも思ってしまうから、私が正しい方を向くための行き先を示す曲でもある。大好きな曲です
"おはよう、さよなら。ハロー、お目覚めかい?"って『Wakey Wakey』では締めくくられて結局目が覚めてしまうことが描かれているんだけど、『1999』は逆というか、夢を見続ける選択をする意思の強さを感じる
もしかしたら、夢から覚めてしまった方が楽かもしれないのに、消えない痣を抱えても不安でも辛くても、あの日に焦がれたまま夢を見続けることを選ぶ、ってことだと勝手に解釈している
果たせなかった夢の延長で、捨て去った事実を忘れることもできずに藻搔いている
多分その弱さを私たちは強さと呼び、これらの言葉に、これ以上ないくらいの「人間」を感じる
ずっとシェハーンさんを考える時、『Wakey Wakey』が心の中にあったんだけど、これからは『1999』をきっと思い浮かべる
余談なんだけど、改めて『Wakey Wakey』のはっぴ〜さんの解説パート読んだら、なんかのツイキャスではっぴ〜さんが「ネモトもエンドウも人を起こすセンスがマジでない」って言ってたこと思い出してフフッてなった
3:53〜3:59
メリーの『梟』もアウトロで怒涛の語りが入るので好きな曲なんだけど、『1999』は割と伸びやかに曲が展開するからグッと語りで文章量が増えるギャップが良い
"日々"と"何"で韻踏んでる?のも良
4:00〜4:11
本当に最後の最後まで"夢を見ている"んだなって
こんな痛々しいくらいの、じりじりとした焦燥に苛まれた生々しい言葉を吐きながら、それでもまだカタルシスには到達することもできずに燻り続けてる なんて血の通った言葉だろうと思う
4:12〜4:39
曲の終わり目一杯までかっこいいの最高だ〜
前奏も長めだけどアウトロも長めで、ここ聴けるの本当に楽しみ
ここまでだらだら書いたけど『1999』めちゃ好き〜!かっこい〜!世界で1番大好きなギターマシーンヒーローの作った曲を聴けて、好きだと言えて嬉しい!
これからもずっと、私の夢でいてください
余談だけど、本当に3/31はシェハーンさん作詞作曲の事実で頭いっぱいすぎて、ギャロの10周年タオルを田園都市線内で落とした かなしい