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秋保訪問



秋保訪問 (令5.8.5)


精神復興の一環として記事を書く事にした。久しぶりという事もあってか、書いたいままに書いていたら、単調でとても読み易いとはいえない、日記か感想文の様になってしまった。暇があれば読んで欲しい。約6000字強。

仙臺より秋保まで


試験が終わってから何だか元気で、したい事が出来そうだったので、したい事と出来る事が重なっているのならばやらない理由は無いだろうなどと思い、長年の懸案だった秋保訪問・温泉入浴を果たす事にした。
元気な理由については幾つか心当たりがあるが、ここで述べる事はしない。
さて調べると、あおば通り駅前のバス停から出ている、タケヤ交通の西部ライナーバスとやらで行くのが良さそうだったので、それで向かった。因みに車内で往復券を買うことができる。
まず驚いたのが、バスの車窓から見える景色の良さだった。
バス(土曜便)は西道路を経由し、そのまま国道48号を西進して錦ヶ丘で左折し、天文台を経由して秋保温泉郷へ至る。
今迄は愛子の国道沿いの田んぼについて、開発用地としか思っていなかったが、田畑の向こうに家と山が見える美しい風景や、田んぼの向こうに錦ヶ丘の高台住宅地が見える綺麗な景観を見て、自分の不明を認めざるを得なかった。また愛子のロードサイドが発展していることに今迄は無頓着だったが、バスに乗って体感してみると、仙台と山形・出羽間の流動を生かして発展している事が感じられて、新しい発見だった。
また錦ヶ丘について、単なる新興郊外住宅地だと思っていたのであるが、少し豪華な入場坂を登って行くと、欧州を模したような洒落た建築が多くあり、また仙台市天文台も思ったよりも立派な建物であった。先ほど感じた豊かな自然環境・景観に加え、高低差や谷などの地形的特徴が景観に彩りを加えており、唯一無二の市街を形成している事が明らかであって、人口が増えているのも頷けた。

国道48号線沿い①
国道48号線沿い②
錦ヶ丘入口
錦ヶ丘の風景
錦ヶ丘の風景②(谷)
仙台市天文台



さて、バスはよく分からない山道を抜けて、秋保に入る。途中「木の家」という珍しい名前のバス停があり、脇にボロボロの木の小屋と回遊路があって、これが由来か、風情があるなぁなどと思っていたのだが、さっき調べたらそういう名前のアウトドア・レジャー施設みたいなのがあり、それが由来らしかった。BBQや川遊び、買い物なんかが有料で出来るらしかったが、今の自分には微塵も関係のない施設だと思った。とても食事が喉を通る気がしない。
自分は取り敢えず拠点施設である「秋保・里センター」で降りた。

秋保にて

日帰り温泉の出来る旅館と営業時間については、里センターみたいなのがネット上に公開している(higaeri.pdf (akiusato.jp))のだが、着く時間も、立地・距離感も良く分からない中でその煩雑さに辟易し、「なるべく早く着く目安」程度に利用し、細目については里センターで得られる情報を使って判断し、最悪遅くまでやってる共同浴場とやらに入ろうという積りで行った。とはいえなるべく早く着きたかったのだが、あまり上手くいかず、着いたのは14時過ぎだった。
さて里センターは立派な施設だった。広めのバスターミナルの北に面して建物群があり、小さな休憩スペースを挟んで西に展示棟、東にレストランもある多目的棟がある施設である。
展示棟では七夕飾りの展示をやっていて軽く見て回ったのであるが、繊緤(こまつな)会という地元の手芸サークルが作った、くくり花という作品が印象的で気に入った。これは、枝の先に実か蕾の様な丸い縫い物が幾つも付いているというものだった。
また多目的棟では、三味線の演奏会がやっていたほか、見て回れなかったが、秋保電鉄のジオラマや展示などがあった。
さて観光案内所で聞いてみると、不都合な事に、共同浴場は狭いのはいいとしてかなり熱いとの事で、第一に秋保のグランドホテルとやらを、第二に蘭亭とやらをお勧めされた。前者は受付時刻を過ぎているが頼む価値はあるとの事だったが、時間的によしんば入れたとしても15分程度の入浴?に1500+300=1800円を払うのは、ただ空間を見に行くにしても割に合わなく思ったので、他の旅館よりも受付・利用可能時間が長く、且つ徒歩10分ほどの蘭亭に行く事にした。ここはおもてなしに力を入れているらしい。
おもてなしというのは、こういうズボラな間抜けを救済する為にあるのかもしれないと思ったが、その捉え方であながち間違ってもない気がする。


秋保温泉郷案内図
秋保グランドホテル様①
秋保グランドホテル様②
蘭亭様

蘭亭様にて

広いロビーのある、大きめの旅館だった。
旅館・温泉について何か言うことはしない。入る時、(出る時には居なかったので)大きな客を迎えにでも出ていたのか若い仲居さんが何人も玄関前に並んでいてお辞儀をされ、一人で彷徨つく大学生には身に余り過ぎて落ち着かなかった。風呂は、畳風呂との事で、畳風呂だなぁという感じだった。無限冷水・冷茶器があったのは嬉しかったが、それで身体を冷やせるだろうと目していた、アイスクリームの販売や水風呂が無かった事が間接的に後に響いた。露天風呂は近くの山ぐらいしか見えなかったが、マリオカートのブロック砦を思わせる旅館の外壁の美(語彙力)を楽しんだ。あと足つぼ機とマッサージ機があったのでやった。その日は寝違えがひどく良くしようと思ってやったんだけど、調べたら良くなかったらしい。

帰る前に滞在した玄関ロビーも広くて綺麗だった。印象的だったのは、スタッフが書いたと思われる手書き地図が沢山配布されていた事である。徒歩圏からドライブおすすめスポット、蔵王や作並?のものまであって、おもてなしだなぁなどと思いながら、全パターン貰ってきてしまった。あと置いてあった河北の一面記事3つすべてが偶々都市開発系だったのが印象的だった。学院大の跡地、ミサワホームが買ったらしいですね。

蘭亭のある坂を下りると田んぼが広がっているのだが、ここから見た景色が印象的でよく覚えている。山に囲まれた開けた土地で、遠くに山を望みながら、田畑に家屋が点在する農村景観の中に、高層の和風旅館が点在する風景は普通に美しく、こんな美観があるんだなぁと新鮮だった。また、水のせせらぎに畔の藪、色味掛かった日差しなど、田んぼの良さが五感に働きかけてくる様な場所でもあった。

磊々峡遊歩道

さて、そのまま帰ろうと思っていたのだが、覗き橋まで戻ると、磊々峡遊歩道とやらがあるのに気が付いた。因みにこの覗き橋は、里センターから西に少し歩いたところにあり、かつては秋保電鉄の秋保温泉駅がすぐそばにあったというシンボリックな橋だ。磊々峡を眺められる此処の遊歩道は大満足の内容だったが、歩きながら気付かぬうちに熱中症に罹る羽目になった。入口に書かれていた長さは確か650m。分速80mの半分、分速40mとしても15分程度で着くだろうと目算していたが、実際は30分掛かったし体感時間はもっと長かった。
遊歩道は前述したとおり見どころたっぷりだった。大きな岩々に、流れ落ちる細い滝などのほか、かつて山で見たような幅数百メートルの大きく開けた岩場などがあり、歩いていて楽しかった。これ一本で、「磊々峡っぽさを楽しむ」事は十分できた気がしている。


遊歩道入口。
奥に見えるのは仙台市電の車両で、旧秋保温泉駅跡地に展示しているらしい。
覗橋より臨む磊々峡
同上②
画みたいで良い
岩がでかい
若干のディズニーっぽさがある
誰かが秋保の美しさを謳ったらしい
遊歩道の陸地側には、旅館が大分迫って建っている
あんまり磊々峡っぽさが無い場所に標柱が立ちがち
フォトジェニック
竹もある
案内板
農村然とした景観
サムネ
歩道橋
夕日
こういう開けたところ好き
出口。長かった


帰り道。県道仙台山寺線(二口街道)。
遊歩道とは比べ物にならないくらい早く戻れた。
山の端。風情がある。
二口街道仙台方面を望む。でかい岩が見えて良い。
山の端には建物もよく似合う。
山の端。
葛っぽいものでグラデーションが出来ているのも良い。
農村然とした景観
見てるだけで暑い。
民話があるらしい。
商和会
田んぼはいいぞ。
帰りのバス停前。秋保の自販機のポカリは、特に観光地価格とかでは無くて良かった。
この日は花火で西道路が封鎖されたらしく、国道286号線(八木山・長町ルート)へと迂回して帰っていた。

熱中症への罹患


さて、熱中症について注意喚起も含めて書く。遊歩道に入った時点で持っていたのは300ml程度の温いグリーンダカラ1本である。体調は普通、服装は半袖長ズボンだった。思ったより長い道のりを抜け、遊歩道から出た頃には冷たいポカリでも飲みたくなっていたが、覗き橋まで戻る10分程度の道矩の途中にある自販機は売り切れており、ポカリにありつけたのはその5分後だった。よく知られている通り、悪いことが起きる際にはこういう小さな不幸は付き物である。その間は身体が怠い程度であり、飲食も普通に出来ていたのだが、かなり喉が渇いてて、短時間でポカリ1.5Lを易々と飲めたりしていた。汗はほとんどかいていなかった。
問題は帰宅後であり、先述の通り精神的に元気だった為に、長年観てない事に引け目を感じてきたインターステラーを駅前のビデオ屋で借りて見ていたのだが、途中から頭痛と吐き気、息苦しさがし始めた。吐こうにも唾しか出なかったし、常備していた経口補水液も問題なく飲めていたので脱水の心配は無かったが、頭痛と息苦しさが堪え、まさに頭の中枢からガンガン痛むような頭痛の中で息は苦しく、まずいかもしれないと思って#7119に電話した次第である。中等度の熱中症だと、この様になるらしいとか何とか。
因みにこの#7119、ある都道府県が限られているらしい。今回かなり助かったので、是非全国に導入されてほしいものだと思った。


#7119の対応地域・時間(①)


#7119の対応地域図(②)


熱中症と調べて出てくる型から分析するのであれば、
リンク1(熱中症はどうして起こる?原因とメカニズム、4つの種類とは | いしゃまち (ishamachi.com))
では、環境による要因・身体的要因・行動による要因のすべてに於いて当て嵌まっており、
またリンク2(ne_sh_01.pdf (mhlw.go.jp))(厚労省)
では、挙げられている5つの項目すべてに於いて気を付けていなかった。


今回の主観的な反省は、まず①水分は摂っていても身体を冷やさねば意味が無い事である。今回おそらく温泉に入って身体が温かい状態で安定している所をウロウロしてしまった上に、普段の運動不足もあって汗をかきづらくなっていて、身体が冷やされずに体温が上昇してしまったのだろう。それ故これ以降は、長く歩くときは水を携行し、熱くなってきたら道の端で腕に掛け、放射熱を期するようにしている。もっとスマートな方法があるのかもしれないが、取り敢えずこれで行く。また1Lのスポドリではなく、例えば冷凍スポドリ500ml+冷えたスポドリ500mlなどの組成にした。さらに、冷えピタを鼠径部や脇の下などに貼る事で、体温上昇の抑止を期している。
また自分は持っていないのでアレだが、帽子や冷却タオル、手持扇風機なども有効だろうと目される。
兎に角、ただ水や塩分などを摂るのではなく、身体を冷やすことにも軸を置くことが重要なのであるとの教訓を得た。体調不良時や運動時には尚更である。
次に②寝違えている時にマッサージ機に乗るべきではない事である。あれが体調不良を悪化させた様な気がしてならない。
次に、これは普段の自分にもよく言える一方で、汎きに失している指摘だが、③楽観的な予測に任せて動くべきではない事である。とはいえ、今回の「どこにでも水風呂とアイスクリームはある筈だ」という認識は常識に属するものであって回避できなかった気はするし、そもそもこれは能力に大きく規定される。能力の不足した人に楽観的な予測に任せるななどというのは、飢えた人にドングリを渡すような所業であると思う(?)。
次に、④昔の感覚で行動しすぎない事である。高校期は、運動習慣もあったし、今よりも若く体力があって元気だった。当時だったら今回も大丈夫だったかもしれない。しかしもう当時の様な体力も持久力も無いのである。よしんば運動していたとしても、誰しも基礎体力は年々低下する。今の身体を蔑ろにしてはならない。

ここからは良かったことに焦点を当ててさらに主観的反省を書く。
まず⑥具合が悪い中、しっかり水分と栄養を摂っておくことが出来た事である。本当に良かったのか検証しようがないが、多分よかったと思う。当然、その為の金銭を抜かりなく所持しておく事も必要になる。
次に⑦経口補水液を常備していた事である。やっぱり安心感が全然違う。大容量のスポドリとかでも良いだろう。
次に⑧ベッドのそばに置いていざとなったら吐ける用の容器を、持っていた事である。自分は洗面器は以前捨ててしまったのでなかったが、台所用の小さな安いゴミ箱があったのでそれを置いておいた。書いていて思ったが、これは普通にゴミ袋とかで代用すればいい気がする。思い付かなかった。
以上。

その他


秋保を歩いていると、「仙台市」と書かれたポールや看板などをしばしば見つけて嬉しくなる。自分は今迄、秋保はもともと宮城町で、宮城町合併(1987年)と共に仙台市となったのだと誤解していたのだが、帰ってから調べたところによると、1988年すなわち仙台=泉合併の同年に、秋保町が仙台市と合併したとの事だった。
あと秋保は温泉郷と湯向地区が、西のどんづまりで且つ秋保の中心地だと思っていたのだが、後から見てみると上流側にさらに東西に長い平野があってそこが本集落らしいと見えて、面食らった。
車やバイクなどで二口街道を西進し、秋保大滝なども楽しみながら山寺に至ると、中々風情があって楽しいのだろうななどと思った。


取り纏め

さて秋保のまちを散策して印象的だったのは、もちろん磊々峡に代表されるダイナミックな地形もそうなのだが、寧ろ自分の先入観には無いタイプの景色の美しさだった。
先述した、「山に囲まれた開けた土地で、遠くに山々を望みながら、田畑に家屋が点在する農村景観の中に、高層の和風旅館が点在する風景」の良さはその一つだが、他にも、今回いたるところで見た、山の端に田んぼが迫る風景は美しく、その美観を表す言葉の無いのが不思議なくらいだった。
後に仙山線に乗った時にも思ったが、仙台市西部には日本の原風景じみた風景がしばしば広がっているといえそうである。

秋保に関しては取り敢えず履修は出来たかなという感じだ。
以前某氏が、もし秋保電鉄が残っていたらだいぶ違うタイプの観光地になったろうとツイートしていた。また自分は、仙台の奥座敷というくらいだからもっと人が歩いていて、来訪者向けの店も幾つもあるのだろうと思っていたが、実際は結構閑散としていた。
なるほど秋保は、秋保電鉄の展示が多かった事からも伺える様に、望んでそうなった訳ではないにせよ、どちらかといえば旅館に泊まって楽しむタイプの観光地なのだろう。
とはいえ、14時に低予算でひとり乗り込んで来る奴を迎え入れ、幾つもの展示を見せ、温泉に入れて、磊々峡と秋保の景観を楽しませる懐はある。今回行けなかった処を見れば、もう1、2回は一人で行っても楽しめるだろう。
そして温泉郷地区自体も、「秋が生ずる」から「秋保」になったという一説に恥じない綺麗な場所だった。
ひとりだろうが何だろうが、一度は来てみて損は無い場所だと思う。訪れられて良かった。

この写真が一番、今回訪れた秋保っぽくて気に入っているかもしれない。

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