推しの子 考察 「それが始まり」は伏線か?
※2024年1月15日時点の考察です
※今回も突拍子もない予想です
※コードギアスのネタバレあります
「それが始まり」とは1巻6話にてアクアが出演することを条件にアイも出演することが決まった五反田監督の映画であるが、タイトルを「それが始まり」とした理由はなんだろうか?
内容は上記画像の通り、オカルト寄りの作品である
これが伏線だとすれば、自分の容姿に自信のなかった女性はアイではないだろうか
ツクヨミのようなオカルト存在に現在のような卓越した美貌にしてもらったとすればまさに「それが始まり」である
星野アイの母親である星野あゆみによれば、8とか9から魅力的すぎて当時付き合ってた男が色目を使うほどだったらしい
これはかなり異常な魅力と言っていいだろう
そして星野アイ自身も自分の美貌については絶大な自信を持っている
虐待を受け、自己肯定感の低い子供がここまで自信を持てるものだろうか
学校や施設で死ぬほどモテていたということなら話はわかるがそういった描写も星野あゆみのように男性依存の傾向があったという描写も未だになく、学校ではむしろ陰キャだったような描写が10巻巻末で見られる
となると、自信に繋がりそうなものはオカルト存在との契約か何かによって得られたチート能力ならばこの自信も頷けるものがある
幼少期、虐待された経験から愛されたいと考え、契約により美貌を手に入れた
しかし、結果としては母親や女性からは死ぬほど嫉妬され、家庭や学校、同僚とも上手くいかず、簡単に寄ってくる男とも愛が実感できなかったのではないだろうか
そして何事にもあまり興味を示さないアイが脚本に興味を示している
なにが彼女の興味を引いたのだろう?自分の境遇とそっくりだったからではないだろうか
そしてアクアや壱護社長といった、彼女の近くにいる人ほど星野アイという人物がわからなくなっているような描写が有るように感じられる
壱護とミヤコはアイが妊娠するまで気づかないし、アクアやルビーは「君を愛せない」をカミキへの決別の言葉と解釈したり、3巻にてアクアは「アイの事を何一つわかってやれなかった」と自身を評価している辺り、あまりわかっているような描写ではないと感じる
逆に少し離れた所で見ていた人物、鏑木Pや五反田監督等は正確にアイを見抜いている
鏑木Pはララライワークショップで恋をした所まで読んでいたし、五反田監督もアイが嘘で固めているのを見抜き、アイ自身に本当の私を撮って欲しいとお願いされている
一番星のスピカで雨宮五郎は当初星野アイを「なんかこの子、表情がちょっと硬いっていうか。裏がある感じがする。無理やり『アイドルです』って仮面をかぶって自分を守ってる―――みたいな」
と、かなり正確にアイの事を見抜いている描写が有るのだが、ファンになってからは盲目的だ
これも能力による副作用ではないだろうか
星野アイに能力を授け、星野アイを推していた神
それがアメノウズメノミコトなのではないだろうか
神のような存在は複数いることがツクヨミによって示唆されている
ということは、キャラクターごとに推されている神も違うのではないだろうか
星野アイがアメノウズメノミコトに推されていたのならば
星野アクアはツクヨミ
星野ルビーはアマテラス
カミキヒカルは〇〇と言った感じで
つまり、【推しの子】とは推しの子、推しの子供、神のとっての推しの子といった三重の意味が
もしかしたらあるのかも知れない
補足
これ、証拠も見ないでなんで納得できたんでしょうね?
裏取りしたというのならばまず証拠の一つや二つ見ないことには始まらないでしょう
リョースケじゃないんだから・・・
星野アクアとカミキヒカル、似たような能力の持ち主なのかも知れませんね
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