推しの子 考察3 カミキヒカル奴隷説
※警告
考察1からアイの良心を抜いたような内容のため
星野アイファンは読むのに注意が必要です
今回の考察はカミキヒカルが星野アイに心底惚れていて奴隷(ファン)にまで落ちていたと言う前提条件で考えていきたいと思う
ゴロー殺害の真犯人
ゴロー殺害はもちろんリョースケによる犯行なのは既に間違いない、しかしアイの指示でカミキがリョースケくんを扇動したのならどうだろう?
アイには動機があり、その動機とは「産みたくなかった」である
真の黒幕(アイ)→黒幕(ヒカル)→実行犯(リョースケ)と言う多重構造はアクアの読んでいた「絡新婦の理」でも使われており、
伏線を回収できるばかりか
「父性」についての描写が薄かったのも、母性に絶望していた彼女が父性を強くを求めていたと考えると出産予定日にゴローが殺害されたのかもわかってくる
恐らく彼女の目の星が白く輝いてるときは一言たりとも本心を語ってはいない。すべて理想のアイドルをエミュレートした結果出てきたその場を凌ぐ理想的な嘘でしかないと考えると
【子供を生むのと強く止めてほしかった】と考えられる
自傷行為をした子供に、そういう行動は良くないと思うけど、それが君の意思なら尊重するよ、と言う親がいるだろうか?そんなことはしちゃ駄目だ!今後絶対にするな!と強く止めるのが正しい姿ではないだろうか
これは正しく父性的な役割であるが、一護社長やゴロー先生ですら星野アイの意思に最終的な選択を委ねている。自傷行為ではなく妊娠出産というセンシティブな話なので仕方がないが、本物のアイドル(嘘吐き)の星野アイにそれをさせるとどうなるか?答えは全て本当のアイの意志と反対になるだろう
恐らくこの時点で本当はアイドルもうまく行っておらず辞めたくて、子供ができたらなし崩し的に辞めることができるかもしれない、または子供ならば素の自分を曝け出すことが出来るかも知れないという希望もあったのだろう
しかしアイドルとしての仮面を被った星野アイはそれを許さない
また唯一深い仲になれたカミキヒカルすら既にアイの意思を尊重する奴隷になってると考えると、アイにとってこの世はまさに地獄そのものだっただろう
自分の周りに奴隷しかおらず、自分が破滅願望を実行しようとしていても誰1人として止めてくれないのだ
だからこそ彼女は切羽詰まると一縷の望みをかけてカミキヒカルに頼り、父性を求めていると考えられる
嘘の仮面をつけたアイドルとしての星野アイの考えを強く否定して欲しかったのではないだろうか
彼女は破滅願望が有りながらそれを強く止めてくれる誰かを求めていたからこそ、出産予定日に「ゴロー先生にアイドルであることがバレた、口封じのために殺して欲しい」という無茶な依頼をカミキにし、仮にその事を止められなくても、あわよくば子供が死産になること、もしくは自死を望んでいたのかも知れない
結果的にはカミキにゴロー殺害すら強く反対されることなく望み通り実行され、死産になることもなく、素の星野アイの望みは一つも叶えられることはなかったと考えられる
星野アイにとってカミキヒカルとは
彼女が唯一恋をした描写があるのもカミキヒカルである
なぜ彼女はカミキヒカルに恋をしたのだろうか
カミキヒカルは11歳の時に当時有名俳優だった姫川と関係を持ち、出産を決意させるほどの魔性の魅力を持っていたと考えられる
そんな高嶺の花の彼に魅力を感じ恋をしたが、関係を重ねるうちにカミキヒカルからアイに告白してきたとしたらどうだろう?
対等の立場、もしくは上の存在だったはずのカミキヒカルがまさかの奴隷落ちである
彼女は欲しかった自分に意見してくる対等の立場の人間を失ったのではないだろうか
だとすれば最後まで愛がわからないのも納得である
彼女の周りには奴隷しかいないのだから
子供という自分の奴隷にならない存在に最後の希望を託すのも当然の流れである
かぐや様は告らせたいとの類似点
推しの子原作の赤坂アカ先生が書くかぐや様は告らせたいだが
推しの子と作者が伝えたい事が似通っていると感じた
これはかぐや様は告らせたい1巻の冒頭だが、アイドル(嘘つき)とファン(奴隷)という形でテーマが継承されてると考えられる、そして筆者は現在14巻までかぐや様を読んだが、かなり嘘と愛についての記述も非常に目立っており、かぐや様も推しの子も基本となる部分は非常に似ていると感じた
かぐや様は告らせたいはハッピーエンドで終わったと聞く
ならば推しの子は差別化が必要だ
嘘をつき続けたことで取り返しの付かない物語になる可能性が高い
「嘘が本当に」というテーマが、学生の恋愛ゆえに、自分の性格をよく見せたい、勉強頑張ってよく見せたいという嘘と、その上で素の自分を隠さず開示しその上で「本当の愛」を手に入れるというとてもポジティブな流れだが
推しの子のアイドルとファンという関係性だとどうなるか
アイドルとして頑張れば頑張るほど、素の本人から離れ、ついてはいけない深刻な嘘になり、その事実を知ればファンは反転アンチ化するか、その全てを許容する奴隷になるというネガティブな方向に進む「ついていい嘘」と「ついてはいけない嘘」という対比構造であり、「本当の愛」についても、素の自分を隠している限りは手に入らないという考えゆえに、「15年の嘘」という秘密の暴露が必要な構造になっていると考えれる
星野アイの最後
彼女は自分の子供すらファン(奴隷)であることに気づいてしまったのだろう
我儘も言わず、喧嘩することもなく、ただただ、自分の仮面を被った姿を愛し、幸せを望んでくる。それが毎日ともなれば、素の星野アイは日々摩耗していく
そんな忌々しい子供や周囲の人達を呪おうとするならば、アイドルとしての頂上寸前であるドーム公演前に殺されることが望ましい
奴隷の心に究極のアイドルの死という永遠に消えない傷をつけるのだ
カミキヒカルに自分の殺人を依頼し、自分の為を思って断ってくれれば本当の愛を感じることができたのかもしれないが、そうなることはなかった。彼は星野アイの意志を尊重する奴隷だからである
11歳で性的被害に会った彼が精神的に幼く、父性を発揮するのは厳しい状況にあるのは仕方がないことである
星野アイは奴隷を愛することができない
なぜなら本当の自分を曝け出してないからだ
故に最後の「愛してる」と言う台詞すら嘘だろう
恐らく他人への興味関心がもとより薄く、自覚できるほど感情が動くタイプではなかった
すべての母親が子供を正しく心から愛せるわけではない、これは推しの子通してのテーマでもある
誰もが理想とする自分に近づこうと努力するが、理想の自分になることは難しい
スヌーピーが言うように結局の所、人は配られたカードで勝負するしかないのである
それだけのことだったのかも知れない
リョースケ君への台詞や、双子への台詞すら、これから死ぬ人間がアドリブで思いついたのしては事前に用意されていたかのごとく、完璧すぎるのだ
全てが嘘だとするなら、まるで消えない呪いを双子に植え付けているかのような悍ましさを感じる台詞である
そして脳を焼かれた奴隷であるカミキヒカルは星野アイ自身を手に掛けたことで完全に壊れ、才能のある女性を殺しつつ、誰かに断罪されるの待ち続ける悲しい殺人鬼なのかも知れない
五反田監督
彼は推しの子において父性的な役割を担うキャラクターである
星野アイの嘘を見抜いており、星野アイが唯一素の自分を曝け出した存在でもある
光が強ければ闇も深くなるように、彼女の本物もまた闇深い存在だろう
ならば「15年の嘘」という題名が示す通り、素の彼女は作中において一度たりとも登場していないと考えるのが妥当である(小説45510のみ例外?
ならばアイドルの仮面をつけた星野アイのセリフは全て本心とは逆であり、汲んで欲しい真意があったのではないだろうか
彼女には暴露願望もあるため、素の自分を晒したドキュメンタリー映画を取ったが15年後を目安に公開して欲しかったのではないだろうか
究極のアイドルの死という形で奴隷の心に傷をつけた後、15年後に本当の自分を暴露し、本当の自分を知ってもらった上で、それでも好きなら愛して欲しい、それが彼女の本当の願いなのだろう
なぜなら彼女は本物(マジモン)のアイドル(嘘吐き)であるのだから・・・
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