【バンドリ!】豊川祥子に感じた小さな”再起の光”【Ave Mujica】
冗長な前置きは要らないだろう。
アニメ『BanG Dream! Ave Mujica』
その第4話を見て思った事を書く。
突然だが、私は”曇らせ”というものが好きだ。
”曇らせ”られるキャラクターというものが好きだ。
例を挙げるとすれば、最早”曇らせ”の代名詞と言ってもいいであろう『進撃の巨人』マーレ編のライナー・ブラウン。
他にも、『呪術廻戦』渋谷事変編の虎杖悠仁。
上記作品らに比べるとマイナーかもしれないが『無能なナナ』の柊ナナなどだ。
……ただ、”曇らせ”が好き~というのは、あまり正確ではない。
正確に言えば、”絶望に打ちひしがれて心が折れても、再び立ち上がり前へ進む”~というのが好きなのだ。
”曇らせ”好きとはかくあるべし~という道からは外れているかもしれないが……ともかく、私はこうなのである。
さて、一体どうしてこんな話をしたのか?
それは、豊川祥子の話に繋がるからである。
彼女は、若くして母親を喪った。
更には、詐欺に遭い全てを失った父親と暮らすため、義務教育中の身でありながら人知れず働く事となっている。
そんな中、心の拠り所として自らが結成したバンド~CRYCHIC~を、自ら手放さなくてはならない……そんな状況に追い込まれる。
かくして、母親を喪った彼女は、心の拠り所すらもまた失う事となる。
その出来事は、彼女に大きな絶望をもたらした。
しかし、彼女はそれらの出来事を全て”忘却”し、新たなバンド~Ave Mujica~を結成して再起を図ろうとする。
つまり、彼女は”絶望に打ちひしがれて心が折れても、再び立ち上がり前へ進む”~そんな人物だと言える。
そうであるのだから、私が豊川祥子を好きなのは当然の事であろう。
……だが、実際はそうではない。
それこそ、初めの内は彼女の事は好きだった。
アニメ『It's MyGO!!!!!』を視聴する前に登場キャラクターを見た所、おそらく私はこのキャラクターを好きになるだろう~ほとんど見た目だけの印象ではあったが、そう思えたのが彼女である。
そうして、物語の主軸とは少しズレた立ち位置ではあったものの、彼女の事は注目していた。
そのおかげか、彼女への思いは他の人よりも強く募っている……そんな自負はある。
だが、最終話時点での彼女に対しては、これといった感情は特になかった。
興味がない~と言ってしまっても差し支えないほどだった。
それは、”絶望に打ちひしがれて心が折れて”はいるが、それを乗り越えて”再び立ち上がり前へ進む”という事をしているわけではない~そう思えたからだ。
では、何故そう思えていたのか?
新たなバンド~Ave Mujica~を結成して再起を図っていたのではないか?
……答えは、アニメ『Ave Mujica』にあった。
彼女は、”バンド”という形に強く拘っている。
それは、母親を喪った悲しみを癒すための、心の拠り所として選んだのが”バンド”だったからだ。
……そう、彼女は再起を図っていたわけではなく、過去に縋り付いていただけなのだ。
前を向く事なく後ろ向きで、全てを”忘却”したと嘯きながら俯いている……それが今の彼女なのだ。
……いや、今までの彼女だったのだ。
いよいよ表題の件に触れる。
私は、このアニメ『Ave Mujica』第4話にて、そんな彼女から小さな”再起の光”を感じた。
この回で彼女は、若葉睦に発現したもう一つの人格であるモーティスから、彼女自身が若葉睦に対して行った行為について聞かされる。
後ろ向きで俯いていて自分の事ばかりしか考える事が出来なかった彼女は、友人の貌をした誰かの口から聞かされた事で、自身が行ってしまったその身勝手な行為を初めて自覚できたのだろう。
その後、Ave Mujicaの存続に関して祐天寺にゃむと言い争い~いや、ほとんど一方的に言われる事となる。
その際に祐天寺にゃむが発した「数えきれないくらい色んな人が色んな事を、それこそ寝ないで頑張ってくれてるからできてんの!」という言葉……この言葉を聞いた彼女は「ハッ」とした表情を見せる。
———そこに私は、彼女から小さな”再起の光”を感じたのだ。
自分の事ばかりしか考える事が出来なかった彼女が、自分自身が行った他者への行為を自覚する事ができた。
そして、祐天寺にゃむの言葉(※)で少しばかり顔を上げ、自分の事しか見えていなかった視野を広げる事ができたのではないか。
その後に発した彼女の「……睦に、戻ってきてほしい。」という弱々しい言葉は、またあの頃に戻りたい~などという後ろ向きなものではなく、もう一度友人と向き合いたい~という前向きなものなのではないか……と、私はそう思いたい。
(※)奇しくもか、はたまた意図してか、同じ回で彼女も我々も名前を知る”寝ないで頑張って”いる人物が登場する。
自分自身の事しか考える事が出来なかった彼女は、”寝ないで頑張って”いるのは自分だけだ~そんな思考だったのだろう。
だが、顔を上げて周りに目を向ければ自分以外にも確かに存在している~そういう事を示す1シーンだったのだと思う。
モーティスは彼女に向かってこう言っていた、「こんな祥子ちゃんじゃ、睦ちゃん二度と戻ってこないかもね!」と。
それはすなわち、”こんな祥子ちゃん”でなければ若葉睦は戻ってくる~という事なのではないか。
Ave Mujicaは終わりを告げるが、「あたしたちの仮初めの命もここまで。」「人形たちは、もういない。」と。
それはすなわち、仮初めの命の人形としてなどではなく、
ドロリスではない、三角初華として。
ティモリスではない、八幡海鈴として。
アモーリスではない、祐天寺にゃむ……祐天寺若麦として。
モーティスではない、若葉睦として。
オブリビオニスではない、豊川祥子と、再び集う余地はある~という事なのではないか。
また、温かい家族に恵まれている祐天寺若麦。
豊川祥子と激しく対立していたそんな彼女は、彼女の境遇を知った時、一転して心強い味方になってくれるのではないだろうか~そんな希望もあると信じている。
……さて、ここに書いてきた事は全てすぐにでもひっくり返ってしまうかもしれない。
三角初華や八幡海鈴の事いい、まだまだ明らかになっていない事は山ほどある。
それに、毎週我々の想像を大きく裏切ってくれる作品である、安易な予想など当てにならないだろう。
……そもそも、全てありもしない妄想でしかない~という可能性すらあるし、むしろその可能性の方が高いだろう。
表情一つを深読みして、全く的外れな妄想を繰り広げた~そんな経験はある……それに何なら、第3話までを振り返ってみても、既にいくつもそんな的外れな予想をしているからだ。
———それでも、豊川祥子に小さな”再起の光”を感じた~その事は、ここに記しておきたい。