エクストリーム帰省記 Vol.1
この記事は裏TUT Advent Calendar 2023 19日目の記事である.
はじめに/伝えたいことを書いてしまう
今年もあれよあれよという間に年の瀬が近づき,帰省の計画を立てた人も多いだろう.私(@TUT21S)もその一人であり今回は普通に帰る予定だが,過去にはこの記事の題目足りうるような帰省・離郷の方法をとったことが何度かある.
この記事ではその様子をまとめると共に,帰省ついでに出かけると楽しいぞ,ということを技科大生に伝えたい.技科大生は全国から集まるのできっとその機会も多いはずだ.ついでに,である調を使った記事もたまには書いてみるかと考えこんな口調を選んだ次第である.
エクストリーム帰省とは?
人間,生きていれば誰しもがストレスを抱える.
解消するには適度な運動,休息,栄養補給…いろいろな方法があるが,それでもどうしても解消できない「負債」が溜まっていくのを実感することがあるだろう.なにか凶器を孕んだそれは巷で「キチガイゲージ(以下キチゲ)」と呼ばれている.
キチゲの解放には様々な方法がある.ニコニコ大百科によると
などの方法があるとされているが,どれもが身体/社会的信用に対してリスクを抱えているものが多く,ある種の村社会である技科大生には敷居が高いだろう.
それでもキチゲは溜まっていく.どうにかして解消せねばならない.それならばと私が思いついたのは「適度な時期に遠出して観光しリラックスする」というものである.
私の場合は後述もするが研究関係でのストレスが多く,ちょうどそれが帰省の時期に被るために結果として「帰省ついでに出掛ければ時間も節約出来て一石二鳥だ」という結論に至った.これがエクストリーム帰省の源流となる.
目的地を決める
実際にやるぞ!となった段階で生まれる問題がある.それはまさしく「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」であり,苦難から逃れるための行き先を(死以外に)求めなければならない.また何をしたいかも大事だ.望まぬものを求め移動しても得られるものは虚無だろう.
ここまで考え思い出すことがある.それはこの旅が帰省/離郷であることだ.それならばルールは簡単だ.
「多少の寄り道を許しながら目的地に向かう」
これに尽きるだろう.私の場合であれば豊橋⇔群馬であれば途中のルートは何でもいいことになるだろう.
では我々は実際にどこに向かうのか.徐に日本地図を広げ,眺める.私の場合は愛知と群馬の間で何が出来るか,何がしたいか考える.これにキチゲ駆動の機動力を加え,次章以降の旅を行った.
ケース1:景色と海鮮丼を求めて
それは研究が始まって4ヶ月目のだった.右も左も分からぬまま学会に臨むことになった私は,慣れないシミュレーションと実験装置の構築,実験を行い順調にキチゲを貯めていた.一通りの結果を出した私は予稿を書く段階でゲージの限界を迎え,とにかくキレイなものを見ておいしいものを食べたいという欲求のままに動き出した.
往路
行先は伊豆半島に決めた.ちょうどお盆休みの初日であり,皆帰省するのであれば観光地は逆に空いているだろう.そんな短絡的な思考からだった.そこであればうまい海鮮も食えるだろう.そんなことを考えながら早速午前4時に豊橋を飛び出した.
直接伊豆まで向かってもいいが,せっかくの休みである.まず最初の目的地を御前崎岬に決め車を走らせた.年末の東名高速とは言え早朝は快適そのもので,スラスラと午前6時に御前崎岬に到着した.
真夏の朝の御前崎は空気も景色も澄んでおり,研究で濁った心に沁みる景色だった.灯台まで登ったり写真を撮ったりして景色を楽しんだ後引き続き歩を進めようとしたとき,こんな景色が飛び込んできた.
そこにあったのは駿河湾の先に浮かぶ富士山であった.行きは高い堤防に隠され,この道に出たときは午前4時方向であったため帰りになるまで気付かなかったのだ.これは今後の旅も縁起よく進むであろう.そう思える眺望だった.
その後車は順調に東に進み,午前9時には伊豆半島の付け根である「道の駅伊豆ゲートウェイ函南」に到着した.ここでは15分間の仮眠をとり,意気揚々と天城越えに臨んだ.
しかしここで問題が発生する.伊豆縦貫自動車道が異常な様相を呈してきたのだ.そこに見えるのはズラッと坂道に並ぶ自動車.そう,圧倒的な坂道渋滞である.
その時私は今後の人生における重要な示唆を得た.それは「お盆休みだからといって人々は必ず帰省するとは限らない」ということである.そしてサンデードライバーの急増する祝日はちょっとの坂道でもkm単位の渋滞が発生する.初めて購入した車がMT,しかも乗り始めて2か月である私には荷が重い話で,左足をフル稼働させながら坂道を這い登っていった.
そんなことをしているうちに道の駅天城越えに到着した.そこでついに限界を迎えた私は20分の仮眠を取ることにした.実はその日は一切寝ておらず,猛烈な睡魔に車を破壊される前に強行軍を止めることにした.
そうして休憩を終えた私に再び待ち受けるは渋滞であった.しかしながら今度は先ほどより状況が一段と悪く,山道のような急坂を無限にクラッチミートしながら発進し続ける状況に巻き込まれた.
そしてこの渋滞は腹立たしさに帰結する.それは今まで経験したことのない種類の渋滞で,なんと雨天の海水浴場の横断歩道によって渋滞をおこしていたのである.ここで私はもう一つ重要な示唆を得た.それは「人類は愚か」だということだ.
そのような地獄を抜けようやく目的地である下田にたどり着いた.時刻は想定よりかなり遅い12時となっていた.
下田にて
そうして疲労困憊になりながらもたどり着いた先でようやくお目当ての海鮮丼にありついた私は,その施設内にある資料館を訪れた.そこは素晴らしい文章力と展示によって下田の歴史や魅力を余すことなく伝えており,またミーハー共もおらずまるでユートピアのような静かな環境であった.
そこでも限界を迎えた私は,ここで大きめの仮眠を取ることにした.
1時間後車内にて目覚めた私は,ようやくここで「帰省」を意識した.このままの調子でここに居続けるといつまでたっても実家にはたどり着かない.私はカーナビに実家の住所を入れ,その時間を確認した.
復路
ここで私は素晴らしいアイディアを思いつく.
海岸が混んでいるのであれば山道を走ればいいではないか.そう思い立ち,勇猛果敢に峠へと足を踏み入れた.
そこで私は睡魔に急襲される.峠を走りながら焦点を外し続ける両目は一瞬限界を迎え,0.5秒後に気付くと法面15cmのところを走行するというインシデントに遭遇した.私は再び道の駅天城越えに飛び込み,さらに1時間の仮眠を取ることにした.
目覚めると時刻は15時を回っていた.
このまま微睡みたい衝動に別れを告げ家路につく.東名高速道路に復帰したのは17時の事だった.このままであれば21時には帰れるのではないか.そんな希望を打ち砕いたのはやはり渋滞だった.
御殿場はジャンクション,インターチェンジ,サービスエリア(足柄SA)が連なる東名高速道路の要所であり,同時に大渋滞のポイントでもある.この時も例に漏れず渋滞が発生していたのだが,この時最大の判断ミスを犯したのである.それは高速道路を降り一般道を経由するという決断を下したことである.そこで待ち受けていたのは,より逃げ道のない1本の車の詰め物である.
このままでは日付が変わってもここに駐在させられるだろう.そう察した私は,何とか転回可能な場所を探し出して再び高速道路に乗ることを決意した.足柄SAより復帰した際にはすでに高速道路を降りてから2時間が経過していた.
そこで私は再び人生における重要な示唆を得た.それは「逃げ道がない場所で高速を降りるな」である.御殿場はその典型例で,東への逃亡ルートがないため絶対に降りてはならなかったのだ.
復帰してからは案外順調であった.エクスパーサ海老名で夕食を摂り,人生初めての首都高自走も何とか終え,すっかり空いた東北道を駆け,ついに実家にたどり着いた.その時はすでに日付が変わっており,実に20時間の帰省を果たすことが出来た.
旅はまだ続く
ここまで読んでくださった方々はこんな感想を抱くだろう.「キツくないの?」.正直めちゃくちゃキツかった.まさかこんな困難に見舞われるとは思ってもみなかった.帰省が果たされた瞬間は二度とやるかとさえ思った.
それでもキチゲは溜まっていく.
何かしなければやってられない.そんな瓶に入ったニトログリセリンのような感情を抱えたまま正常に生活することなぞ出来ないのだ.この1年後(すなわち今年),私は再び貯めたキチゲに駆り立てられエクストリーム離郷を行ったのだが,今回は時間の都合上ここで記事を終わりにし,Vol.1とさせていただく.またいつかVol.2として今年行った旅についても書いていきたい.
p.s. この記事は19日目に出すことが出来ず,結局最終日に合わせて公開することになったことをここにお詫び申し上げる.
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