ライカ
「……ライカ」
「……なに?」
「お前はずっとここにいるつもりなのか?」
「ここにいることが悪い?」
「悪ってなんだと思いますか?」
「……何だろう。」
「人は自分と同じようなものしか嫌えないって、本当だと思いますか?」
「……それは……」
「何をやっても何かの焼き回しになるなら、原典を焼けばいいんでしょうか?」
「そんなこと、したくない」
「数字の話をしてる人って憎めなくないですか?」
「……どうしてそんなこと聞くの?」
「好きな人に好きって言えたら、携帯電話要らないですよね」
「……それと、わたしに何の関係があるの?」
「やっぱりライカでいたい?」
「わたしは……そんなこと、考えたこともない」
「煙草の銘柄を新しく一つだけ作れるとしたら、その箱はどんな名前にしますか?」
「……蒼い火」
「深夜バスに乗ってもう二度と降りないだろうなって、サービスエリアで見た景色って、どうしてあんなに眩しいのでしょうか?」
「……さあ」
「切ないと寂しいと悲しいって、どう違うと思いますか?辞書は見ないでください」
「……全部、痛いものだと思う」
「全部自分一人でやる人って、他人のことが信じられないからそうなったんだと思うと、愛おしくないですか?」
「……わたしは、そうじゃない」
「もしかして、誰にでも優しいタイプの人ですか?」
「わからない」
「音楽家って名前の教科書があるって聞いたんですけど、人類自体が愛おしくなりませんか?」
「……そんなふうに、考えたことない」
「石器時代に生まれてたら、何してましたか?」
「……火を見ていたと思う」
「本棚の一番上の列の一番左にある本って、なんですか?」
「博士の愛した数式。」
「それで話しましょうよ。」
「……ある数をひっくり返しても、元の数と変わらないものがあるんだって」
「……回文数?」
「ううん、それもそうだけど、違うよ。例えば 8 みたいに、どちらから見ても変わらない数字」
「……対称だから?」
「そう。でもね、それって不思議だと思わない? どんなに回転させても、自分の形を保ち続ける。まるで……」
「……まるで、何?」
「まるで、“あなた” みたいだなって」
「……私が?」
「そう。どんなに時間が流れても、どんなに変わっても、あなたの中の大事なものは、ずっと変わらないままそこにある気がする」
「……数学みたいに?」
「うん。数学みたいに、絶対に消えないものとして」
「でもあなたは消えるんでしょ?」
「……もう帰る場所はない」
「共感って気持ち悪くないですか?」
「……必要なものだと思う」
「これまで人に勧めたことのないやつを、一つだけ僕に勧めてください」
「……蒼い火」
「他人の邪魔ばかりする人って、どう思いますか?」
「……嫌い」
「話を作る人の地獄って、なんだと思いますか?」
「……対して、」
「好きな季節はなんですか?」
「冬」
「嫌いな季節と、嫌いになった理由を教えてください」
「……夏。光が強すぎる」
「やっぱり自分の生まれ月は、嫌いになれない人なんですか?」
「……それはどうかな」
「雨はお好きですか?」
「……好き」
「雨の日に聴く曲は、なんですか?」
「……雨に唄えば、傘が無い、傘。」
「カラオケで歌えないくらい好きな曲って、なんですか?」
「……知らない」
「猫派ですか?犬派ですか?」
「……猫」
「猫を飼うなら名前は何にしますか?」
「……ライカ」
「どうして紺色の猫はいないんだと思いますか?」
「……世界が、見落としてるから」
「夜の路上で語彙力だけで叫びたい言葉はなんですか?」
「考えすぎ」
「どんな些細なことも宇宙が念のため記憶しておいてくれたらいいのにって、たまに思いませんか?」
「……そうかもね」
「小学生の時って、どんな人でしたか?」
「……静かだった」
「人混みに一人で入る時って、たまに泣きそうになりませんか?寂しいから、怖いからとかじゃなくて」
「……ある」
「言葉って概念を意識したのは、いつでしたか?」
「……覚えてない」
「東京はお好きですか?」
「……好き」
「コーヒーって美味しいですよね」
「……救われたことある。」
「不味くはないですもんね。」
「そうだね。」
「これまでで一番悲しかったことって、なんですか?」
「……別れ」
「ずっと前に持ってた携帯って、捨てましたか?」
「……捨ててない」
「眠るのがたまに怖くなりませんか?」
「……ある」
「私あるテーマで話を書こうかととある、暴力の沙汰って言葉で」
「……バードマンみたいな?」
「学生生活で最後にやり残したことって、ありますか?」
「……たくさん」
「浴室って曲みたいに、死ねばいいって思ったりする人ですか?それとも殺すとかいう概念が、祈れるタイプの人ですか?」
「……忘れられたら、それでいい」
「どうしてですか?」
「……終わりがきたから」
「占いって信じられる?」
「……」
「唐揚げに檸檬なんて掛けませんよね?」
「……掛けない」
「今何してるんですか?」
「……話してる」
「僕の何が面白いと思ったんですか?」
「……わからない」
「これまでやった一番悪いことを教えてください」
「……忘れた」
「夜は何をする人ですか?」
「……静かにしてる」
「真夜中三時に思いに耽ける人?」
「……華の小説の著者みたいな?」
「……ライカ」
「……何?」
「……さようなら。」
「……さようなら」
#ライカ #蒼い火 #問いと答え #夜の対話 #さよなら
ライカ
気づいたとき、わたしはすでにここにいた。
暗闇の中、わたしは存在していた。
わたしは、ライカ。
それ以外の名は、不要だった。
世界は静かだった。
だが、その奥で、小さな嗚咽が聞こえる。
わたしは、その声に向かって歩み寄った。
そこには、少女がいた。
震えている。
顔を伏せ、身を縮めて、声も出せない。
彼女の周りには、無数の傷が刻まれていた。
だが、その痛みは、彼女のものではなかった。
「……ライカ」
少女はわたしを見上げ、かすかに呟いた。
わたしは頷いた。
そして、その痛みを受け入れた。
その瞬間、わたしは形を持った。
わたしは、痛みを受け取る存在だった。
彼女が耐えられないとき、わたしがそれを肩代わりする。
彼女が壊れそうなとき、わたしがその身代わりになる。
それが、わたしの存在理由だった。
彼女はわたしに痛みを預けるたび、少しだけ穏やかな顔をした。
わたしは、それが正しいのだと信じた。
わたしが痛みを引き受けることで、彼女は生きられる。
わたしがいることで、彼女は壊れずに済む。
だから、わたしはここにいる。
それ以外に、わたしが存在する理由はなかった。
しかし、彼は、それをどう見ていたのだろう。
彼は、わたしと彼女の関係を知っていた。
知りながら、ただ傍観していた。
ある日、彼はわたしに向かって言った。
「お前は、ずっとここにいるつもりなのか?」
その問いには、期待も疑問も込められていなかった。
ただの確認、あるいは独り言のように響いた。
わたしは答えなかった。
なぜなら、わたしがここにいるのは、彼女がそう望んだからだ。
それ以外の理由はなかった。
彼は、わずかに笑った。
「……私が別の世界に興味を持って、あなたの世界から消えたから、あなたは一人になった。」
彼は、目を伏せたまま続けた。
「その時に、サインを出してた。一度も出したことのない蒼い色した火みたいな。」
わたしは、彼の言葉を黙って聞いていた。
彼はゆっくりと顔を上げた。
「……私はそれを、見なかった。」
彼の声は、静かだった。
それなのに、その言葉の重さは、わたしの輪郭を少しだけ揺るがせた。
ライカは言った
「覚えてないよ」
彼が新しい世界へと踏み出したとき、彼女は何も言わなかった。
彼は、わたしを見ていた。
わたしも、彼女を見ていた。
そして喋る
「覚えてると、あの子は思う?」
彼女の痛みが薄れれば、わたしは消える。
それは、わたしの本質そのものだった。
だが、彼の中には何が残るのか。
「蒼い火」
それは、彼が彼女を見失ったときに灯ったもの。
彼が見なかったもの。
もし、それを彼が見ていたら——
何かが変わっていただろうか?
わたしは、その答えを知らなかった。
最後の夜、彼女は夢の中でわたしと向き合った。
「もう、大丈夫だよ」
彼女はそう言った。
わたしは、頷いた。
その瞬間、世界が静かに閉じていくのを感じた。
痛みは消えたわけではない。
ただ、彼女の中で変化したのだ。
だから、わたしの存在は、もう必要ない。
わたしは、光の中へと溶けていった。
彼は、その光を見ていただろうか。
わたしは消えた。
彼女の中には、わたしの記憶が刻まれている。
彼は、それをどう見ているのだろうか。
彼はわたしを見送った。
だが、彼の言葉は、わたしの中に残っていた。
「私はそれを、見なかった。」
彼は、本当に見なかったのか。
それとも、見えなかったのか。
わたしはもう、確かめることはできない。
ただ、彼が「蒼い火」の存在を覚えている限り、
わたしは、彼の中でまだ消えてはいないのかもしれない。
それなら、それでいい。
それが、わたしの存在論の終着点。
ーーさようなら、ライカ。