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シンエヴァ観てきたけど、これ結局「ゲンドウがとてつもないクソ親だった」という話でしかないんじゃないの?

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遅ればせながら、ようやくシンエヴァ観終わった。余韻の残るうちに幾ばくかネタバレを含む感想を残しておく。

まず最初に言いたいことは、こんだけ引っ張ってラスボスは大して強くなかった。少なくとも覚醒後のシンジさんの敵ではなかった。

一番手強かったのは上映時間だった。開演前に二回トイレに行ったのに、半分くらいでおれの膀胱が「活動限界まであと五分!パターン黄色!尿です!」とアラートを鳴らし続けた。

一番賛否の割れそうなラストシーンを迎えてエンドロールからがまた長かった。宇多田ヒカルがフルで三曲くらい歌うだけのボリュームがあり、膀胱がパンパン過ぎて腹が痛かった。

人類補完計画を一言でいうと「ゲンドウが死んだ妻を諦め切れず、全人類から個別の意思を取り上げて単一生命体に融合させてしまう企み」のはずだ。たぶん

「そのためにはなんちゃらインパクトやら、エヴァやら使徒やらを使った戦闘やら儀式が必要!」みたいな話だと思われる。知らんけど

曖昧な物言いばかりになってしまうが、いろんな考察サイトを見ても誰ひとり全容を分かっていないし、庵野自身にもかなりの変節が見受けられるのだ。

テレビ版、旧劇、新劇それぞれ通底するところもあるけれど、設定や世界観は別物と言って差し支えないだろうし、新劇のみに焦点を当ててもQ以降のテイストは明らかにそれまでと異なる。

よって、全編の辻褄が合っている保証は全く無いし、回収されてない伏線も探せば山ほど見つかるし、庵野自身の頭の中でも整合性が取れていない可能性がヒジョーに高いものと思われる。

ものすごく乱暴にまとめるとエヴァとは「やたら面白いけどなんだかよくわからないし、おそらく作っている側もよくわかっていない。その上で謎ワードや謎設定をふんだんに散りばめてオタクに深読みさせるだけさせて、最後に色々ぶん投げた作品群」といえるだろう。

すなわち「深読みしたら負け、庵野が思わせぶりなことばっかり言わせてるだけ」と考えたほうが良さそうなアレなのだ。したがって我々はなんなかんやで四半世紀の間ずっと庵野に負け続けている

そのへんの謎設定はとりあえず脇に置いて「新世紀エヴァンゲリオン」の中核だけを見据えるならば「ゲンドウが妻と一つの生命体になって『再会』するために全人類を巻き込み、それを阻止しようとするのがシンジ他」という物語のはずだ。

その上で、最終的にシンジやミサトはゲンドウ・冬月一派を斃すことになるため、新劇のテーマは「神殺しと親殺し」といえよう。

すでにある神を超克し、それがもたらした法則、摂理を殺したのがゲンドウ/さらにそれを殺したのがシンジという構造となる。

ゲンドウはユイの力を借りたシンジによって葬られ、その際に全てのエヴァも消滅するため、ゲンドウはユイと時間差で心中したような形となる。

ゲンドウは息子の手を汚せるだけ汚して、全人類を巻き込まない形で、なんとなく幸せそうに妻と連れ添って涅槃入りすることになるのだが「最初から後追い自殺するだけで良かったんじゃないの?」と思わなくもない。

そこからシンジ、アスカ、レイ、カヲル、マリは希望の槍の力で?魂と肉体が再生され、エヴァの呪縛も解けて28歳となり新たな生活に踏み出すこととなる。

エヴァとその力によって世界を改変しようとした大人たちの居ない新世紀(ネオンジェネシス)をシンジたちが作り上げていくという一応の大団円を迎えるのだ。

最後に大人になったシンジはマリと、レイはカヲルと恋仲になるような描写が挿入されるのだが、そこまでの過程は一気にすっ飛ばされるため、いかにも雑というかご都合主義的過ぎるというか、やっつけ感は正直否めない

25年間「わかりあえない人類」のストーリーに振り回された(特に非リア)の一部のファンたちにしてみれば「いやふざけんなよ、マジぶっxすぞ庵野。それがシンジの苦悩に対する答えなのかよ。なんだかよくわからないうちに"乳の大きないいオンナ"にいきなり好かれて新生活やれたら苦労は無えんだよ!!!」と言いたくもなるだろう。

上映時間残り十分くらいで、いきなり庵野から「お前らもう過去のことは過去としてちゃんとした社会人として生きろや」と説教喰らっているような気分になった者も居るかもしれない。つまり観る者の属性によって、感想に大きな差が出る作品なのだ

かくいうおれもこの25年の間にいつのまにか子を抱える父親となってしまったため、庵野の言いたいこともわからんではないが、ブチ切れてるファンの気持ちもわかるゆえに評価が難しい。

加えて、シンジは作中の大半においてずっと子供扱いされてるけれども、中学生にしてはやり過ぎるほどようやっとるというか、むしろエヴァを通じていちばん幼稚だったのはゲンドウということになるはずだ。

自分がこさえた子供をほったらかして、いつまでも死んだ女の面影を追いかけながら無関係な一般人を巻き込んで殺しまくっとるわけなので、こんな気の触れたオッサンをいっぱしの大人と呼ぶことは到底できない

「おのれのコミュ障と理解のある彼女タソのおっぱい恋しさのために、一体どれだけのもんを犠牲にしとるんや。息子にアレコレ言う前にてめぇの甘ったれぷりをなんとかしろやks」と言いたくなったのがエヴァファンとして、そして親としてのおれの第一の感想である。

ともあれ、ちゃんと終わってくれてよかったと感じ入るところも大いにある。いくら魅力的な作品であっても、いつまでも未完のものは二流と考えているからだ。

諸々ふまえて、庵野含む制作サイドにも、長年振り回され続けたファンたちにも、三時間近く耐えてくれたおれの膀胱にも心から「お疲れさま」と言いたい。

そして、今これを書いているわけだが、その最中にもシンエヴァの考察テキストを読み漁り続けている。

「エヴァの呪縛」から最後まで解き放たれなかったのは、ゲンドウでもシンジでも庵野秀明でもなく、ファンのボリュームゾーンを形成する中年男性たちなのかもしれない。

そういう意味でやはり「新世紀」を代表する偉大な作品であったと言わざるを得ないだろう。いつまでおれたちを振りまわし続けたら気が済むんだ庵野秀明は。

仕方がないので、まもなく上映予定のシン・ウルトラマンも観に行くことにする。エヴァの呪縛が解け切ってないおれからしてみれば、これはどうしても仕方がないことなので…

(了)


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