サッカーバカ「将来ボールと結婚する」
平素よりお世話になってます。
先進工学部機能デザイン工学科1年の長島正悟(ながしましょうご)です。
今回は私が担当させていただきます。
前回はロンドンの地下鉄から投稿されたふみくんの投稿でたくさんの人の支えのもと今の自分がいることに改めて気がつきました。また、ロンドンと日本の文化の違いも少し知れました。
ここからは私が東京理科大サッカー部入部に至った経緯と小中高のサッカー人生を私の頭の悪さを踏まえながら語っていこうと思います。
馬鹿な私がチャットGDPを使わずに約2700字書いた文章であるため非常に読みづらく拙い文章だと思いますが一生懸命書いたので最後までお付き合いください。
小学生
私は幼い頃からボールで遊ぶ事が大好きで、「将来ボールと結婚する」と意味のわからない事を言っていました。今思うと、サッカーを好きになった時期と頭の悪さが垣間見えだしたのが同じ時期だったと思います。
私がサッカーを本格的に始めたのは小学生からです。
私は小学生の頃プログレッソサッカークラブに所属していました。(郁人の小学校の所属チームプログレットfcは別のチームである)私は我ながら小学生時代から足が速くタッチラインに向かって蹴り、走るという身体能力頼りのプレーをしていました。私の頭の悪さはこのプレースタイルからも伝わると思います。サッカーはチームプレー頭が良くないとできないぞ!と親に散々言われてきたが、幼少期の私は蹴って走れば抜けるから頭なんて使わんやろ!と正直思っていました。
中学生
そんな私がサッカー人生最初の壁にぶつかったのは中学生の頃でした。私は地元の公立中学校に通いながら東松山ぺレーニアという名前の埼玉の田舎にあるサッカーチームに通っていました。
このチームはパスワークを重視するチームであり、頭の悪かった私は戦術やポジショニングを理解するのに苦労しました。日頃からポジショニングが悪かったため「しょうご!そこポジショニング違うぞ!もっと絞らんか!もっと右だ!」と監督に言われました。しかし、その時私がいた場所はピッチ内ではなくベンチでした。(もう少し右に詰めれば1人分座れるくらいのスペースが作れたからあながち間違っていなかった)また中学生になり周りの身体能力が上がったため、身体能力で戦っていた自分は更に苦しめられました。出場時間もだんだん減り後半からの起用が増えてしまいました。
このチームは地獄の夏合宿という宿から練習会場までの片道11キロを行き帰り往復するという陸上部みたいな事をしていました。合宿初日、脱水症状で1人救急車で運ばれて行ったのを見て、人生で初めて生きて帰れるのか?と思いました。
終わってみれば、合宿で試合外の走行距離は驚異の122キロ。この時期私は人生初めてサッカーが嫌いになりました。
分配法則
さて、ここで中学生の頃自分がどれほど頭が悪かったかわかるエピソードを1つ語ろうと思います。
中学1年生数学のテスト
問1以下を分配法則せよ!
(8)3(X+2)(9)5(X−1)
私は分配法則自体は理解をしていた。
自信満々に(8)の問題を分配法則した。しかし、答案が返却されると(8)は不正解とされていた。
自分の答案を見ると3X+33と解答欄に書かれていた。自分は途中式を書かないで正解を出した方がかっこいいと思い途中式を書いていなかった。両親は何故この回答になったのか考え、そして一つの結論が出た。私が計算したのは
3X+6+3×9という式だった事がわかった。
つまり、私は(8)の問題を解くにあたって、隣の(9)という問題番号にまで分配法則をしてしまっていた。このミスに気づき頭を抱えた両親の姿を見た時、自分が相当バカなことに気づきました。中学生の自分の成績はオール3と理科大生からすれば低かったと思います。
家の教育方針上、中学の成績がオール4取れない場合はぺレーニアを辞めるという条件で入部したためクラブチームを辞めさせられるのは時間の問題だと感じていました。人生の分岐点は中学3年生の時だったと思います。頭の悪かった私は中学3年生になっても学校の成績が上がらなかったためぺレーニアを辞めて勉強にシフトチェンジする事になってしまいました。
高校生
私は残された時間を使い猛勉強し、城西大学附属川越高等学校に進学しまた。城西川越は37年間連続県大会出場なしと弱小高校でした。そのため私は1年生の頃から公式戦に出場することができました。
中学では通用しなかったドリブルもこのレベルでは通用しました。私は高校でもポジショニングなどを学ばずドリブルで相手を抜くことだけを考えていました。結局私の代も県大会に出場することが出来ず、満足するサッカー生活を送ることもできなかった。同時に、男子校であったため女子と会話が出来なくなるという大きな代償もおってしまいました。(現在マネージャーとは事務連絡くらいは話せるくらいまで成長した)しかし、勉強は1年次からコツコツ継続しやっていたため中学の頃の成績からは考えられない東京理科大学に進学することが出来ました。
そして大学生
私は理科大入学前からサッカー部に入ることを決めていました。理由は高校で勉強を優先したため満足のいくサッカーをする事が出来なかったからである。しかし、工学系に進んだ私は実験レポートや試験勉強と部活を両立することができるのかが不安でした。同じ学科でサッカー部に体験に来た人はたくさんいました。しかし、私と一緒にサッカー部に入部してくれる人は誰もいませんでした。
私は中学生の頃出来なかったサッカーと勉強を両立させることを決意し入部しました。
5月に入り実験レポートが始まり徹夜をしてレポートを終わらせることが増えました。また、実験レポートと朝練が被った週は寝ずに朝練に参加する事もありました。このような状況の中でも部活を継続出来ているのは、間違いなくあの地獄の合宿の経験、そしてサッカーを辞めて大嫌いだった勉強にシフトチェンジした経験があるからだと思います。私は恥ずかしながらも大学生になった今でもポジショニングの理解が出来ていません。しかし、大学サッカーではポジショニングの理解が出来ていなければ全く通用しないと思います。これからは試合の映像を見ながら自分でポジショニングの勉強をしていこうと思います。また、分配法則が出来なかった私が4年間で東京理科大学を卒業するために必修科目の勉強も気を抜かず取り組みたいと思います。
最後までお付き合い頂きありがとうございました。
次回予告
次回は1年ガキ大将のだいち
見た目からわかるように常時ジャイアンのようなガキ大将である彼だが、時折可愛い一面もみられる。最近は一年生の中でただのかまちょ説が浮上している。そんな彼の新たな可愛い一面がブログでみられると期待しています!