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覚書:津阪東陽とその交友Ⅰ-安永・天明期の京都-(5)

著者 二宮俊博

東陽の詩友-小栗明卿・太田玩鷗・巌垣龍渓・清田龍川・伊藤君嶺・大江玄圃・大江伯祺・永田観鵞・端文仲


清田龍川(寛延3年[1750]~文化5年[1808])

 『日本詩選』の作者姓名には、「清勲 字は公績。江邨綬の[第]三子。嬰[孩]他家に撫養さる。兄秉死するにおよんで、復た綬家に帰る。年已に弱冠、始めて学に就き、日夜読書、すこぶる天授有り。居ること二年、渉猟あまねく、最も辞才有り。ここに於いて綬弟君錦子無し、因って請うて嗣と為す。故を以て清田氏を姓とす、俗称大太郎」とあり、『平安風雅』にも採録。東陽より6歳上。君錦は、清田儋叟(名は絢、字は君錦。享保4年[1719]~天明5年[1785])のこと。龍川は儋叟の後を継いで福井藩儒となった。『東山寿宴集』に見えることは言うまでもない。
 東陽の作で早い時期のものは、七絶「公績が塞上の曲に和す四首」(『詩鈔』巻六)で、純然たる盛唐詩風の習作である。やはり七絶で「公績・仲素諸子、城東の僧院に納涼す、余は事有り従ふ能はず。佳興を想ふに目に在り、伯魏に附して此を寄す」(『詩鈔』巻七)と題する作がある。

  皓月精藍夜色澄  皓月精藍 夜色澄み
  寶池荷淨露華凝  宝池 はす浄くして露華凝る
  薫風占斷清凉界  薫風占断す清涼界
  徒在塵寰苦鬱蒸  いたづらに塵寰に在りて鬱蒸に苦しむ
◯皓月 白く輝く月。明月。◯精藍 仏寺。◯荷 ハス。◯露華 露の美称。◯薫風 香しい風。中唐・白居易「首夏南池に独酌す」(『白氏文集』巻六十九)に「薫風南り至り、我が池上の林を吹く」と。◯占断 占め尽くす。◯清涼界 僧院をいう。◯塵寰 俗世間。◯鬱蒸 蒸し蒸した暑さ。杜甫の五古「特進汝陽王に贈る二十韻」に「花月遊宴を窮め、炎天鬱蒸を避く」と。

 龍川とともに東山にある寺に夕涼みに誘ってくれた仲素は、医を業とした柚木綿山のことか。東陽に「柚仲素知命の寿言」と題する六言絶句(『詩鈔』巻六)がある。伯魏は、太田玩鷗。
 さらに、七夕の納涼を兼ねて鴨川西岸の三本木にある酒楼で一献酌み交わそうと、先の仲素および伊藤君嶺・永田観鵞・太田玩鷗らが集まった際には、今度は体調不良で行けず、これを羨ましがった。七律「七夕、仲素・士善・公績・俊平・伯魏、三樹岸の酒楼に涼を取る。余病みて赴かず、想ひて歓宴を羨み、因って此の贈有り」(『詩鈔』巻四)。

  河漢清澄片月孤  河漢清澄 片月孤なり
  病逢佳節獨長吁  病みて佳節に逢ふもひとり長吁す
  樓臺近水凉應好  楼台 水に近くして涼まさかるべし
  樹竹生風暑已徂  樹竹 風を生じて暑さすで
  天上今宵慰離別  天上今宵 離別を慰むるに
  人間何事失歡娯  人間じんかん何事ぞ歓娯を失する
  詩成綵筆爭揮處  詩成り綵筆争ってふるとき
  能奪七襄雲錦無  能く七襄の雲錦を奪ふやいな
◯河漢 天の川。「古詩十九首」其九(『文選』巻二十九)に「皎皎たる河漢の女」と。◯片月 弓張月。中唐・李益の七絶「暁角を聴く」(『唐詩選』巻七)に「吹角城に当って片月孤なり」と。◯長吁 長嘆と同じ。◯佳節 めでたい節句の日。盛唐・王維の七絶「九月九日山東の兄弟を憶ふ」(『唐詩選』巻七)に「佳節に逢ふごと倍々ますます親を憶ふ」と。◯綵筆 五色の筆。優れた文才の意がある。杜甫の七律「秋興八首」其八に「綵筆昔かつて気象ををかす」と。◯七襄 『詩経』小雅「大東」に「跂たる彼の織女、終日七襄す。則ち七襄すと雖も、報章を成さず」と。明・周祈『名義考』には「織文の数」とする。◯雲錦 雲紋のある錦。結句は、唐の則天武后が洛陽の龍門に行幸したおり、侍臣に詩を作らせ、最初にできた東方虯に褒美の錦袍を賜ったが、宋之問がすばらしい詩を作ると、これを奪って之問に与えたという「奪錦」の故事(劉餗『隋唐佳話』巻下。『唐才子伝』巻一、宋之問の条)を踏まえ、どなたがいちばん出来栄えのよい詩を作られましたか、という意。

 それから次に挙げる七絶「和して公績に答ふ」(『詩鈔』巻八)は、京都での暮らしが立ち行かなくなり、帰郷する決意を固めた頃の作であろう。

  儒冠何事誤斯身  儒冠何事ぞの身を誤る
  宿志蹉跎要津路  宿志蹉跎す要津の路
  三十無家漂泊客  三十家無し漂泊の客
  好將妻子托誰人  く妻子をもつて誰人に托さん
◯宿志蹉跎 前掲、張九齢詩の「宿昔青雲の志、蹉跎す白髪の年」を踏まえる。〈蹉跎〉は、ぐずぐずして時機を失すること。畳韻語。◯三十無家 盛唐・綦毋潜の七絶「つとに上東門を発す」詩(『唐詩紀事』巻二十)に「三十家無く路人とる」と。◯漂泊 あてどなくさすらう。双声語。

   其二
  蒯緱彈盡一身孤  蒯緱かいこう弾じ尽くして一身孤なり
  落魄無因涉世途  落魄して世途を渉るによし無し
  宦學十年成底事  宦学十年 底事なにごとをか成す
  田園歸去舊農夫  田園に帰り去らん旧農夫
◯蒯緱 アブラガヤの縄を巻いた剣のつか。戦国斉・孟嘗君の食客馮驩は、蒯緱の剣一ふりがあるのみで甚だ貧乏であったが、「其の剣を弾じてうた」い、自分を優遇するよう求めたという(『史記』孟嘗君列伝)。◯落魄 うらぶれること。畳韻語。◯宦学 仕官のため学ぶこと(『礼記』曲礼上)。◯底事 俗語的表現。なお、〈何〉は平字、〈底〉は仄字で、ここは仄字を用いる箇所。

 「紈袴餓死せず、儒冠多く身を誤る」と歌ったのは盛唐の杜甫だったが、その後半生、縁故を頼り官職を求め家族を伴っての漂泊の旅を続けた偉大なる詩人も若い頃には「ただちに要路の津に上る」、すぐにも栄達して高い地位に駆け上るなぞ容易だと考えていた。自分もある意味同じだ。もとはと言えば郷士とはいえ百姓のせがれ、帰りなんいざ故郷の田園で百姓仕事をやろうか。
 龍川との交流は、東陽の仕官後も続き、五律「和して公績に答ふ」(『詩鈔』巻三)には、次のように詠じている。

  雲鴻呼友處、別恨悵相望  雲鴻友を呼ぶとき、別恨いたみて相望む
  舊交書千里、曽遊梦一場  旧交 書は千里、曽遊 夢は一場
  交情擬膠漆、索居奈參商  交情 膠漆に擬し、索居 参商しんしょういかんせん
  何日論文興、重登風月堂  いづれの日にか文を論ずるの興、重ねて風月の
               堂に登らん
◯雲鴻 空高く飛ぶ鴻。◯膠漆 ニカワとウルシ。親密な喩え。『蒙求』巻上の標題に「陳雷膠漆」。◯索居 学友と離れて独りいること。『礼記』檀弓上に子夏が曾子から、その思い上がりをたしなめられて謝した言葉に「吾れ群を離れ索居すること、亦た已に久し矣」と。鄭玄の注に「群は同門の朋友をふなり。索は猶ほ散のごとし」と。◯参商 参宿(オリオン座の三つ星)と商宿(蠍座のアンタレス)で、同じ空のもと一度に見えることはない。『古文真宝』前集にも収める杜甫の五古「衛八処士に贈る」に「人生相見ざること、ややもすれば参と商との如し」と。◯論文 やはり杜甫の五律「春日、李白を憶ふ」詩に「何れの時にか一樽の酒もて、重ねて与《とも》に細かに文を論ぜん」と。

 龍川は伊賀上野の東陽のもとに越前和紙の彩箋を送ってくれたこともあった。七絶「越州雲錦箋」(『詩鈔』巻八)の題下に「清文学の遺る所」という自注がある。

  故人佳惠遠方來  故人の佳恵遠方より来たる
  百種彩箋雲錦開  百種の彩箋 雲錦開く
  悔惜常供等閑用  悔み惜しむらくは常に等閑の用に供して
  探笥僅剩兩三枚  はこを探すも僅かにあます両三枚
◯雲錦 雲紋の錦。◯等閑用 中唐・元稹の七絶「楽天の紙に書す」詩(『元氏長慶集』巻十八)に「拈将して等閑に用ふるに忍びず、半ばは京信を封じ半ばは詩を題す」と。

友人からのせっかくの贈り物なのに、ありきたりの日用品みたいに使ってしまい、文箱を探しても2、3枚しか残っていないという。
 なお、寛政元年(1789)に『龍川詩鈔』が刊行されたが、河内の儒医北山元章(享保16年[1731]~寛政3年[1791])の序を巻頭に置き、ついで巌垣彦明の「龍川詩稿に題す」、太田玩鷗の「龍川詩集の序」が載せられている。

伊藤君嶺(延享4年[1747]~寛政8年[1796])

 『日本詩選』の作者姓名に「伊藤栄吉 字は士善。君嶺と号す。本姓塩田氏、播州北条邑の人。伊藤君復の嗣と為り、職を襲って越藩の文学」と。『平安風雅』にも採録。伊藤君復は、伊藤錦里(宝永7年[1710]~明和9年[1772])のこと。江村北海・清田儋叟の長兄。君嶺は安永6年(1777)に北海および儋叟の序を冠した『日本咏物詩』三冊を編纂刊行した。前述の清田龍川の従兄にあたり、東陽より九歳上。
 嵯峨野に雪景色を見に往き、君嶺の詩に次韻した作がある(『詩鈔』巻四、七律「嵯峨雪望、伊藤士善に次韻す」)。その後半四句に云う、騒々しく何かを争う鷺の群れ、林の木々には雪の花。もっと寒くたってかまいはしない、度月橋の前には酒を売る店がある(「水を隔てて群れを争ふはすべて是れ鷺、林を圧して斉しく発するは花に非ざるは無し。妨げず寒冽を祈るを、度月橋前酒を売る家」)。
 また夜訪ねてくれたこともあった。五絶「士善に夜過ぎらる」(『詩鈔』巻六)に云う、

  風月酒中趣、何必綺羅席  風月 酒中の趣、何ぞ綺羅の席を必せん
  這些骨董羹、與君永今夕  這些の骨董羹、君と今夕を永うせん
◯風月 清風明月。◯酒中趣 飲酒の深い味わい。晋末宋初の陶淵明「晋の故の征西第将軍長史孟府君伝」に見える。◯綺羅席 美しく着飾った妓女の侍る宴席。◯這些 これらの。近世以来の俗語。◯骨董羹 魚肉や野菜のごった煮。北宋・蘇軾の著とされる『仇池筆記』に「羅浮の穎老、飲食を取りて之を雑烹し、骨董羹と名づく」と。◯永今夕 『詩経』小雅「白駒」の「之をちうし之を維し、以て今夕を永うせん」から出た語。〈縶〉を〈維〉も、つなぎとめる意。

「野菜の炊き合わせしかありませんが、今宵はじっくり飲みましょう」。
 ある年の仲秋、君嶺と龍川との三人で東山に月を観る約束をしたが雨で果たせず、わが借家で一杯やったと題する詩もある。七絶「中秋、士善・公績と東山に遊ぶを約す。雨に遇ひて果たさず、予が僑居に小酌す。虚字を分韻す」(『詩鈔』巻七)。

  聯相迎照艸廬  聯璧相迎へて草廬を照らす
  雲陰遮莫月華虚  雲陰 月華の虚しきに遮莫まか
  若非風雨妨行樂  し風雨の行楽を妨ぐるに非ざれば
  濁酒爭能此駐車  濁酒いかでか能くここに車を駐めん
  *壁は、璧の誤字。
◯聯璧 「明卿を哭す二首」其二に既出。◯遮莫 任す。釈大典『文語解』に、この語を挙げ「俚語ノカマワヌナリ」と。「サモアラバアレ」は旧訓。◯月華 月。

「りっぱなお二方がお見えになって、わがあばら家もぱっと明るくなったような気がします。曇り空が月の光を隠しても、それはそれでかまいません。もし雨でもなければ、濁り酒しかない我が家に来ていただくわけにはまいりませんから」。
 郷里に帰る時に、見送ってくれた君嶺に贈ったのが七律「伊藤士善に留別す」(『詩鈔』巻四)で、

  落月都門曉色侵  落月都門暁色侵す
  悽然別淚欲沾襟  悽然として別涙 襟をうるほさんと欲す
  歸來大澤深山境  帰り来る大沢深山の境
  已矣攀龍附鳳心  んぬるかな攀龍附鳳の心
  流水無情亦嗚咽  流水情無きも亦た嗚咽す
  浮雲含恨自陰沈  浮雲恨みを含んで自ら陰沈
  殷勤久要平生好  殷勤にす久要平生のよしみ
  時復因風惠徳音  時に復た風に因って徳音を恵め
◯暁色侵 夜が白々と明けてくる。◯大沢深山 『左氏伝』襄公21年に「深山大沢、実に龍蛇を生ず」と見えるが、かなりおおげさな表現。◯攀龍附鳳 龍や鳳のようなりっぱな人々につき従う。◯陰沈 どんよりとしたさま。畳韻語。◯久要云々 『論語』憲問篇に「久要平生の言を忘れざる、亦た以て成人と為す可し矣」と。『書言故事』巻三、交情類にも、この語を挙げる、また同巻に「平生懽」の項あり、「もとより相善きを平生の懽とふ」と。◯徳言 善き言葉。古くは『詩経』に見える語で、ここでは便りをいう。

別れをうらんで、本来感情をもたない渓流も嗚咽するかのよう、空に浮かぶ雲もすっかり暗く沈みこんでいる。「どうかこれまでの長い間のよしみで、時々は風にのせて便りを下さい」。
 その後、伊賀上野に在って君嶺と龍川の二人に詩を寄せている。七絶「懐を士善・公績に寄す」(『詩鈔』巻八)に云う、

  懷舊秋風望日邊  旧を懐ひ秋風 日辺を望む
  長安不見白雲天  長安見へず白雲の天
  一場春梦東流水  一場の春夢 東流の水
  花月相將十五年  花月相ひきふ十五年
◯日辺・長安 東晋の明帝(司馬紹)が数歳の時、父の元帝(司馬睿)から長安と太陽とどちらが遠いかと尋ねられ、「日遠し。人の日辺り来るを聞かず」と答えたが、翌日になると、「目を挙ぐれば日を見るも、長安を見ず」と答えた逸話(『世説新語』夙慧篇)をふまえる。◯一場春夢 儚いことの喩え。五代・張泌の七絶「人に寄す」詩(『才調集』巻四)に「柱にりて尋思すれば倍々ますます惆悵す、一場の春夢分明ならず」と。伊賀上野での作、七絶「浪華の旧遊を追憶し筆にまかせて興を遣る二首」其一(『詩鈔』巻八)にも「一場の春夢旧風流」と。◯東流水 過ぎ去って帰らぬもの喩え。中国の江河はおおむね西から東へと流れる。李白の雑言古詩「夢に天姥に遊ぶの吟、留別」に「世間の行楽亦たかくの如し、古来万事東流の水」と。◯相将 行動を共にする。

京での暮らしは、春の花、秋の月それに浮かれて遊興三昧に明け暮れたわけでは決してなく、むしろ生活に追われ苦労する毎日だったが、思い出されるのは、そうした愉しかったことばかり。だが、それは今となっては儚い春の夜の夢、二度と帰らぬ青春の日々だった。ここで「十五年」というのを額面どおり受け取れば、安永3年東陽18歳、尾張の医師村瀬氏のもとを辞していったん郷里にもどり、その後ただちに上京したことになる。そして北海に入門し、そこで君嶺や清川とも相識となったのであろう。


覚書:津阪東陽とその交友Ⅰ-安永・天明期の京都-(4)
覚書:津阪東陽とその交友Ⅰ-安永・天明期の京都-(6)

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