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終戦記念日だったので火垂るの墓について思う事を綴っていく

 『火垂るの墓』というジブリ作品を知らない人はあまりいないんじゃないかと思うほど、国民に衝撃を与えた(ある意味)問題作だ。
 優しく笑っていた面影もないほどに焼けただれた母の姿は全国民のトラウマ、「節子・・・!これドロップや無い!おはじきや・・・!」の台詞はとても有名。
 ちなみにサクマ式ドロップスの中にちょっと水を入れて振ると甘いジュースになるという実験をした事がある人はいるだろうか?
 私はやったことが無いのだけど、職場の方がやったらしく「水ですね。甘いかと言われれば甘いって感じでした。そんなに美味しくないです」という感想をもらった。
 餓死寸前の節子だったからこそ、余計に甘く感じたのかもしれない。

 この映画は1988年に上映されてから、様々な人の目に留まり、心を動かし、反戦のメッセージがあるとして知られてきた。
 その印象が覆されたのは、youtubeや各SNSが流行りだし『火垂るの墓』考察動画が広がった昨今の事だ。
 今まで戦争の悲惨さや、節子うざい、清太未熟、清太VSおばさんくらいしか語られてこなかったこのアニメの考察動画を見た多くの視聴者が「そんな手の込んだアニメだったの!?」と思った事だろう。私もその内の一人だ。
 (誰の動画かはなんとなく分かるだろう。youtubeの検索で「火垂るの墓 考察」と調べてヒットした一番上の動画だ。そう、体格のいい眼鏡のおっさんのやつだ。)
 まさか清太が輪廻を繰り返していた話だとは思いもよらなんだ。


 ちなみに、火垂るの墓について毎回毎回話題になるのが「清太とおばさんどっち派ですか?」という話。
 私は「どっちの気持ちも分かるし、馬が合わなかったんだろうな」派だ。
 親戚と言ってもほとんど面識のない小母さんに頼らなければならない、厄介者扱いされて疎外感を感じた清太の気持ち。
 同じように面識のほとんどない親戚の子供二人を預かり、かつ長男は妹と遊んでばかりでいつまでも客気分、自分たちの生活もいっぱいいっぱいだからこそ実の娘と贔屓したり小言を言った小母さんの気持ち。
 そもそも誰もがひもじい思いして明日を生きようとしている中、親戚の子供を二人も預かった事自体が割と良心的なんじゃないかなとか思ったり。  
 しかしボンボン出身プライドエベレスト級の清太からしてみればただの現実だけ突き付けてくる意地悪なおばさんに映ったのも無理はない。
 どっちの気持ちも分かる気がする。


 火垂るの墓は原作者である野坂昭雄氏の実体験を元にしている。野坂自身を清太とし、一歳の妹(血縁関係なし)を節子として描いた小説で、野坂自身の「自分は妹に対してこんな兄でありたかった」という理想、悔恨、鎮魂の念など様々な思いが込められている。
 実際野坂は自分で面倒を見なければならなくなった妹の事を非常に疎ましく思っており、激しく泣く妹を黙らせるために頭を叩いて脳震盪を起こさせたり、自分たちの食糧が枯渇し始めた時には食べ物を与えず結局餓死してしまったと語っている。
 火垂るの墓はそんな野坂の後悔を基に作られた作品だ。
 ただ、悲しいことに作品における火垂るの墓も実体験の中でも幼い妹は栄養失調で亡くなってしまう。
 私はこの作者の実体験こそが、清太があのままおばさんの家に残った時にたどるルートだったのかもしれないと思っている。

 この作品を「とことんまで妹に優しく寄り添う兄貴の姿」と「亡くなった妹への鎮魂」を目的として書かれたものだとすれば、作中で妹が亡くなる事が必須だったとすれば、おばさんの家に残ったとしても家から出ていったとしても同じだったんじゃないだろうか。
 ジブリにおける火垂るの墓がすべて清太目線で描かれているのは「妹の目に映る優しい兄」でいたかったから。節子にとっての唯一の心のよりどころでいたかったから。清太は清太なりに妹に寄り添っていたんじゃないだろうか。実際第三者の目から見ればいろいろと選択が間違っているのだけど、戦争と言う現実から目をそらして自分たちの理想郷で生きた14歳と4歳。

 だから、なんか清太ポンコツとか清太未熟とか言われているけども、結局節子餓死させたことに罪悪感持ち続けて、現代に幽霊として彷徨ってるくらい大変な思いしてるんだから、もうそんな言わんでやってもええやんなんて思ったりしている。

 来年の今日で終戦から80年が経つ。79年も戦争をすることも巻き込まれることなく発展し続けたこの国はすごいなぁと素直に思う。
 だけどもし、今後戦渦を生きなければならないような状況に立たされた時、私たちもまた清太たちと同じ道をたどるような気がしてならないのだ。 
 厳しい現実から目を逸らして逃げるか、現実と向き合って生きる道を選ぶか、どちらを選択するのだろうか。 
 そして、そんな極限状態の時にこそ日本人の真価が試されるのだろう。


 謝罪:夜テンションで書いた記事なので、まとまりのない文章になった事をお詫びいたします。まぁどうせ数多のnoteに埋もれていく記事だからいいかと思っています。ahahaha












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