絵本『わたしのいもうと』を全くの別視点から見る
注:この記事は、いじめを題材にしている。だからこそ、今心が不安定な方や、現在進行形でいじめられている方には向かない内容である事を先に述べておく。この記事を開いた方が、心に余裕があるのならば、どうぞこの先へ進んでくれればと思う。あまり、深く考えないで読んでいただきたい。
あまりにも重い内容だったので、小学生の頃に知って今でも頭に残っている絵本。この記事を書きたいがために、全文を読んだ。何十年ぶりの絵本に、懐かしい記憶がよみがえると同時に、「こんな色彩暗かったっけ?」とも思った。
大まかな内容は、「私の妹の話を聞いてください。」という姉の言葉から始まる。妹は小学生の時にいじめられたのがきっかけで、学校に行かずに部屋に閉じこもるようになった。誰とも話さず、ご飯も食べずどんどん衰弱していく妹。病院に行っても診察を拒否し、母が抱きしめても妹の心は全く回復せず、妹はそのまま死んでしまう。
この結末は、当時小学生だった私に重くのしかかった。というのも、私も実際にいじめられていたことがあったからだ。「いじめ」という表現が適切かは分からない。ただ、変わり者すぎて周りから避けられていたことは事実だった。その頃の生づらさを、これからも忘れることは無いだろう。
学校生活に必ず存在する「いじめ」は決して許されない”絶対悪”だと思っているし、この絵本も「いじめによって傷ついた心が二度と戻ることは無い」ことを強調したいからこそ、世に出したのだろう。実際にこの話は、作者のところに届いた一通の手紙を基にしたものだそうで、いわばノンフィクションという事になる。
ただ、今回は『わたしのいもうと』という作品を全く違う視点から捉えていこうと思う。そう、”いじめの残酷さ”ではなく、”トラウマと向き合う事”を伝えていきたい。
単刀直入に言うと「いじめから逃げることは、いけないことじゃない。だけど、いじめの呪縛に縛られ続けて、進めなくなってはいけない。自分の人生を助けられるのは、最後はいつだって自分自身でしかない。」という事。
妹は、いじめられたことがきっかけで、小学校四年生から家に引きこもってしまうようになった。引きこもった妹は誰とも口を聞かず、中学にもいかず、高校にもいかず、最後は鶴を折るようになり、その後ひっそりと死んだ。暴言を吐かれたこと、つねられるといった暴行を受けたこと、誰からも無視をされたことが妹の精神を蝕んでいった。
ここで二つの疑問を紐解いていこうと思う。
「何故妹は誰とも口を聞かなくなったのか」と「なぜ妹は死んだのか」の二つだ。
これ、もう一度読み直したから気づけたことなのだが、妹は悪口を言われていることを姉に話していたのだ。作中で姉は「妹が汚いと言われている。全然汚い子じゃないのに」と言っているので、妹なりにSOSは出していた。
けれど、なんの助け船も出してくれなかった。結局、妹の心が壊れてしまってから、母親も姉も妹に寄り添うようになった。つまり、すべてが遅すぎたという事なのだ。
そうであるならば家族である自分たちにも、口を聞いてくれなくなったことの辻褄が合う。というのが一つの解釈。
もう一つの解釈は、「自分の生きている世界との境界線を引いた」という事。なんだか、長期にわたって引きこもり続けている人の気持ちと似ている気がするが、「自分の生きている社会が、自分を除け者にするのなら、もう関わりたくはない」とうことをことさら伝えたかったのでは無いか。
そして、もう一つの疑問。なぜ妹は死んだのか。
私は「引きこもっている期間が長すぎて、自分自身に絶望したから」だと解釈する。おそらく、妹が引きこもった理由は「恐怖」、つまり「学校に行くことでいじめられることを恐れたから」ということ。そして、「恨み」、つまり「いじめられている事を伝え続けていたのに、何もしてくれなかった家族を困らせたかった」の二つの心情があったからだろう。
そんな妹はあまりに長い期間引きこもりすぎてしまった。そして、ある事実に気づいてしまう。「今更、失った時間を戻すことが出来るのか」という事に。
本文にも書いてあるのだけれど、「妹を苛めた子たちは中学生になり、高校生になっていった」と時系列が書いてあるので、ずっと家に引きこもっていた妹はその光景を窓の外から眺めていたのではないだろうか。
そして、自分だけが止まっている時間の中にいることに気づき始める。
これ、妹からすると物凄い絶望だと思うんだけどどうだろろうか。自分を苛めた加害者の子たちはどんどん成長しているのに、被害者である自分はワンルームの中でずっと生活している。しかも、小学、中学、高校という時間を失った。本来自分もあの子たちと同じように過ごせるはずだった生活があったのに。エスカレーター式に進んでいく日本では大事な義務教育を省いてしまうと、もう生きていく事自体が難しくなってしまう。
だから、妹はひっそりと死んだんじゃないかというのが私の仮説。つまるところ、弱者を助けてくれない社会と、自分の力でトラウマと向き合えなかったことに失望しちゃったんじゃないかなぁって。
こんな風に、『わたしのいもうと』を大人になってから見ると、だいぶひねくれた見方をするようになったと思う。
自分の時間を無駄にしてしまうほどに「いじめ」の影響がすさまじかったと思うのだけど、周りがどれだけサポートしても結局は妹自身が動き出さなければ現状は変わらず、この結末も必然だったんじゃないかな。
とまぁ、こんな見方をしてしまうほど廃れてしまった私の心だけど、この絵本って被害者である妹がなんの言葉も発しないところが読者の想像力を掻き立てるんですよね。あと、この本、まだ語られていないところがいくつかあるんですよ。
例えば「主たる大人が母親しか出てこないのは何故か」「何故妹は鶴を折ったのか」「何故転校という選択肢を取らなかったのか。あるいは取れなかったのか。」「姉が作者にこの手紙を送ったのは何故か」など、いろいろと考えられるところがたくさんある。
絵本って、子供の創造性を養うものだから、語られていない部分はたくさんあった方がいい。登場人物が具体的な心情を吐露しないからこそ、自分の好きに妄想したり、考えたりすることが出来る。
そして、そんな絵本こそ良書なんじゃないかと思う。だからこそ、これからもこの『わたしのいもうと』という物語は、学校教材として使われて行ってほしいなぁと個人的に願って止まないのである。