☆滋賀県甲賀近辺神社⛩️参拝巡り☆
連休最終日は、夜勤明けでしたが、天気も良くエネルギーチャージが必要だったので、車で1時間30分程のドライブ🚗がてら参拝へ行って参りました。
【参考ブログ】
https://teamearth.hatenadiary.com/entry/earth-kouganinja
①田村神社
〒528-0211
滋賀県甲賀市土山町北土山469
坂上田村麻呂公田村神社のご祭神「坂上田村麻呂公」は、平安初期の武人で、天性の才能に優れ、兵を用いるに神の如くであったと伝えられ、 恒武天皇・平城天皇・嵯峨天皇の三代に仕え、 その忠勲と蝦夷征伐等のご功績は後世まで高く顕彰され、有史以来およそ匹敵するものはありません。 征夷大将軍に任ぜられたことは、あまりにも有名です。
由緒
田村神社は近江国(滋賀県)と伊勢国(三重県)の国境にあり、古来には都より伊勢へと参宮する交通の要衝でした。 当社の言い伝えによると、「鈴鹿峠に悪鬼が出没して旅人を悩ましており、嵯峨天皇は坂上田村麻呂公に勅命を出してこれを平定させた」とあります。 それゆえに、交通の障害を取り除いて土地を安定させた坂上田村麻呂公の御遺徳を仰ぎ、弘仁3(812)年の正月、 嵯峨天皇は勅令を出して坂上田村麻呂公をこの土山の地に祀られることとなりました。
御神徳
坂上田村麻呂公が鈴鹿峠の悪鬼を平定してよりのち、作物が実らず疫病が流行しました。 そのため、弘仁3年の正月に嵯峨天皇は詔を出し、坂上田村麻呂公の霊験を以て厄除の大祈祷が斎行されました。 これにより、坂上田村麻呂公は厄除の大神として崇敬され、その御神徳は厄除の祖神として崇敬されることとなりました。 また坂上田村麻呂公は、鈴鹿峠の悪鬼を討伐して交通の安全を保たれたことに加え、延暦年間には東北に出征され、これを平定されました。 その御神威により、交通安全の神様としても崇敬されています。
②油日神社(あぶらひじんじゃ)
〒520-3413
滋賀県甲賀市甲賀町油日1042
TVのロケ地で有名な神社⛩️だそうです。
ご 神 徳
油日大神のみ名は記紀にも見えず、又油日の名も国内に見当らない。たゞこの地に於いてのみ千数百年の昔から、油日大神とのみ申しあげて篤い信仰がさゝげられて来たのである。油日大神はアブラのヒの大神さまであって、万有始動の根元神として諸事繁栄発展の大本を司られる大神さまである。従って古来より諸願成就の神として衆庶の尊信あつく、又油の祖神として業界の崇敬があつめられている。
猿田彦命は道案内(サキダチヒコ)の神として方除授福のご神徳高く、又罔象女命は水神として衆庶の生業に大御恵を光被まします。
③大鳥神社
〒520-3403
滋賀県甲賀市甲賀町鳥居野782
私の誕生日に毎年【おおはら
ぎおん祭】が開催されているようです。何かご縁を感じました(^^)
来 歴
陽成天皇の元慶六年(882)平安初期に伊賀国阿拝郡河合郷篠山嶽より大原中に勧請され、その後当地に移し祀られ、その当時は比叡山延暦寺の別坊が36院あったといわれ大原山河合寺と称され祭礼は坂本の日吉神社に準じていたと伝えられているが、大原祗園は神輿渡御に用いる千枚張に記されているとおり応永22年(1415)に始まったとされる。
また、織豊時代に入っては社号を河合祗園社とも大原谷の祗園社とも称し牛頭大明神河合社牛頭天王といわれ現在でも氏子の人々から(てんのうさん)とも呼ばれ親しまれている。
後陽成天皇文禄4年(1595)当社の花奪神事に豊臣秀吉よりお墨付きをいただいたと伝えられている。元禄2年(1689)第五代将軍綱吉の生母桂昌院より永世山年貢五石八斗を当社の修繕料として寄付された。
明治元年令達により旧大原荘の大の字と鳥居野の鳥の字を合わせて大鳥神社と改称、明治9年10月村社になり明治18年2月に郷社に昇格、明治41年4月に神饌幣帛料供進社に指定された。
後柏原天皇大永元年(1521)2月拝殿が改築され、また境内に架かる石造太鼓橋は延享元年(1744)の架設で石工は京都の杉本文右衛門の作である。
また旧大原村九地区に祀られていた神々は大正元年に境内社に合祀され、大正5年4月に本殿を残し拝殿の一部と楼門、回廊、神楽殿、社務所、河合寺等を焼失、大正9年に氏子総意の力によって復興し大原の産土神として崇敬信仰され現在に至っている。
さらに平成14年7月には、文化財保護法により国の登録原簿に、復興した拝殿を始め7棟の建物が有形文化財として登録された。