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人生なんて他人から見たら(映画「パルプ・フィクション」)。

先日Q・タランティーノの「パルプ・フィクション」をみた。すでに25年たっている。

あの頃映画をよくみていたなと思いながら、内容の方はうろ覚えだったから思い出しながら作品を追っていた。

中年になったトラボルタはまだセクシーだったし、ユマ・サーマンも魅力的だった。

あの作品のよさは時系列がパズルのようになっていて、最後の場面で全てが繋がるところだろう。

元になっている作品があり、それを下敷きにしていると言うこともあるんだろうけれど映画に詳しくない私にとっては分からない。

それでも十分楽しめたのは出てくるキャラクターみな癖が強かったから。

そして、音楽の使い方がカッコいい。

音楽があることでクールな印象を受けた(私だけかも知れないけれど)。
また時系列のバラバラさがみているこちら側に神の目線を与えている。

本来なら登場人物の誰かに感情移入していくところを時間の歪みによって客観的にみることに終始する。

私としては時系列のバラバラさは面白いと思ってみているがそういうものが嫌いな人には向かない映画なのかもしれない。

映画をみて感じるのは、命の軽さ。
突然あっさりと死んでしまう。

あっさりと死んでしまっても、後始末が大変な訳で、ただ悲しみや恐怖ではなく、単に厄介ごととして描かれている。

他者の死に対してとてもドライ。

その割に自分が死ぬことになるかもしれないとイメージすると、とたんに熱が入る。命がけになる。

セクシーで魅力的なボスの奥さんに手を出したら大変なことになると考えると慎重になるし、奥さんが死ぬかもしれないとなると必死に助けようとする。自分の命を確約するために、危ない所に舞い戻ったりする。

人ひとりの死は同じだが、自分のことと他人事ではこうも違うんだなと言うのが分かりやすすぎて笑える。

パルプ・フィクションとは「くだらない話」と言う意味らしいが、ラストシーンでトラボルタとサミュエル・L・ジャクソンが銃をしまいながら店を出ていく場面を見、必死にその場をしのくことが出来ても先の出来事を知っていると人生なんて取るにたらないことなのかもしれないと感じた。


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鶴木マキ
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