異次元とはどんなものだろう?
今日はガチで書いているので、頭がおかしいと思う人は読まないでください。
スピリチュアルはマユツバが多いから嫌いな人も多いと思う。
noteなんかで書かない方がいいのかもしれない。だけどやっぱりこれが私の一部だから、書かないわけにはいかない。
これはきっと読まれないようにした方がいいのかもしれない。
次のものからは有料にしようと思う。
このブログはSNSにも載せていない。
前に書いていたブログに比べて日々1/6程しか人は見に来ない。
今でも半年前にやっていたブログの方が毎日の訪問者数は多い。だけど私はこのnoteに鞍替えをした。飽きたからか?と言えばそうではない。
はじめはスピリチュアルな部分を封印しょうと思った。でもやっぱりそれは出来ない。
どうしても書きたくなるからだ。
五次元とはドンナモノダロウ?
そう思って頭で考えてみる。
息子にも説明されて、数学的な頭でない私に難しい数字的な部分は分からないのだと言われる。
まず次元と言うのはもしかしたら無限にあるのかもしれないなというのは息子の説明でいくと漠然とわかる。
縦一本の線が一次元とするとそれと交わる横線を加えると二次元。
同じような二次元を2つ作るとしてそれをつなぐ線が加わると三次元。
ここまでは難なく分かる。
立体となると私たちの住む三次元そのもの。
同じものを他に作りそれをまた同じだけつなぐ線を作ると四次元。
これは時間を表すのかな?と思う。
重なりを増やすほど次元が増える感覚。
幼い頃覗いた三面鏡の世界に似ているなと思う。
私たちの感覚では視覚までて三次元しか理解できない。
四次元は視覚では見えない世界に存在すると考えているので、気持ち、虫の知らせなどと呼ばれる感覚からとらえることが出来る。
そこまではなんとか理解できるのだが、五次元となるとどうやって文章としてとらえていけばいいのか?難しい。
私が習っている習い事は普通のものとはちょっと違っている。
このnoteの中ではあまり大きく言っていないけれど…。
すべてを作った存在はいるのだと思っている。
私たちの次元よりもっともっと多くの次元の中にいる存在だとしたら、私たちの目には見えないだろう。
リーディングという習い事をしていたときは、違う次元をみていたのだと思う。
三次元には無いものをみにいくということも出来て、ただそれは私たちの次元には無いものだから理解すること、説明することが難しいものとなる。
みえるもの、説明はことばではされない。
人間ではないものが教える、人がいる場所ではない所をみるとき、ことばで説明はされない。
最も私は自分という我が強すぎて、自分の思い込みでビジョンの解釈をするので間違えた解釈になっていたことが多かった、といえる。
自分の基準を消すと、伝えてくれている存在の本当に言いたいことが入ってくる。
けれどいつもそれが出来なくて挫折した。
逃げたと言ってもいい。
自分を消すのは難しい。
相手の気持ちを読み取るのがリーディング。
相手の言いたいことを正確に読み取るためには、みえるビジョンに対して自分の解釈が間違えているかもしれないと思いながら質問をしないとならない。
合っていればビジョンは強調される。違えば消えるかモヤモヤしたままだ。自分が正しいと思いたい私は、質問が出てこない。
リーディングが出来るようになるためには、自分自身が変わらなくてはならない。
我の強い私では難しい。
実際リーディングを続けている人たちは変わって行っている。
もちろん私の様に挫折する人もいる。
篩があるのだと思う。
変われないままだと自ら降りていくのだと思う。
変わらなくては、変わるための努力をしなくては、嫌なことから逃げないで苦しくても続けることが出来れば、考え方も変わってくる。
それも頭ではわかっている。わかっているが人は楽をする。
そして変われない言い訳をする。
行動にもそれはあらわれる。
近頃その辺のことが本当に良くわかるようになった。
人は自分が悪者にはなりたくない。
だから人を批判しがちだ。
リーディングの解釈が悪いのも、相手の見せ方が悪い。どうせ私には、できない。そのように言い訳をするから嫌になって逃げたのだ。もう私には無理です、と。
出来ないことで相手に合わせろという都合の押し付けで怠惰でいることを止めなかったから。
それだから何年習ったところでしっかりとできるようにならない。
そして、もういいやと思ってしまったのだ。
「魔が差す」ということばはこういうときに使うもので、まさに魔物に取り込まれているのだろうなと思う。
リーディングは異次元をみている。
四次元には目に見えない肉体のない精神の世界があるのだと思うと、そこでみせてくれる存在がいる反面、嘘を教える存在もいる。
魔物世界もまた四次元にあるのだろう。まがい物をみせるものは確かにいて、本当のことを教えているのかわざと間違えた情報を流しているのか自分で見極めないとならない。
私は自分についている魔術界の存在をみたときに強く拒否をすることをしなかった。
本来はいづらくさせなくてはならないのにそうしなかった。今では気軽に姿をみせないが、強く拒否すればよかった。
彼らは自分がいやすいように人を操作しようとするからだ。取り込む隙を狙っている。
彼らは人間よりも高い次元に住んでいるのだから、人間を操作することも容易いだろう。
甘いことを言う。いいじゃないか、無理しないでもと。そういう声に流されてはならないのに。
もともと人が生まれるのは、
魂が三次元で思い通りにいかない中で(肉体があるから三次元にいるのであり、肉体があるから思い通りにもいかないのだ)不自由な中で自ら学びなからランクアップしていくことなんだが、
自分が傷つきたくない、自分は悪くないという考え方をしているときには相手に変われと言っている。
それはまさに相手を操作しようという考え方で魔的な考え方になる。
私は自分には出来ないと決めてしまってそれ以上に努力を怠っているので同じだと言える。
分かっていながら変えようとしない。
これは自分に嘘をついていることになる。
自分に嘘をついている私は、だから自分をごまかしているから何事にも自信がない。
本当は心ではどうすればいいのかわかっているのにやらない。
これは特別なことではない。
そんな人は沢山いる。
しかし沢山いるからと言ってよい訳ではない。
肩や首凝りが激しくてしんどい。
そういう人はいないだろうか?
それは私。
そういう人は私と同じだろう。
自分の奥底にある気持ちをごまかしている。
どんな角度にしていると楽かと言えば、上を向いているとき。
上には私たちを作ったものが繋がっている。
繋がりを持っているものの方をきちんと向きなさい。そうからだが教えている。
ごまかしても不調は良くはならない。
(気がついたら改める。改めようとするとからだの不調は緩和するはずだ。
からだは間違えているとき、注意するためにしんどくなるのだ。
正しい方向に向かうとき、調子はよい方向に行く。
体調が優れない人にはその法則を意識して貰いたいと思う)
それも知っていて、だけどもう一度頑張ろう、とならない。
なんとか逃げる場所は無いかとウロウロする。
これはとても卑怯なことでもある。
そんなこともすべてわかって逃げている。
いつか向かわないとならないのだろう。
そのときのために他の角度から自分を整えている今だ。
今は四次元思考を習っている。
自分をコントロールする方法を習っている。
人は相手をコントロールしようとする。
だから相手を攻撃するけれど、自分が変わることが出来れば攻撃することはない。
自分が変わればいい。
それが自分をコントロールするということだ。
他人は変えられない。それを知っているのに、誰かを攻撃する気持ちがある時、自分が変わらないと決めているときだ気がつかないとならない。
そういうときは自分をコントロールしてみる。
違った角度から物事をみる。相手の立場で見てみる。その視線が意識できると考え方や感じ方が変わってくる。
自分が変わると、相手の態度も変わる。
相手のことをコントロールするときはまず自分の態度や考え方を変えなくてはならない。
その考えまではわかるようになってきた。
本当はすぐ実践出来ればいいのだが。