カラオケではラップ担当です。あと無職になります
先日、お茶会に参加してきた。またもや4畳半の方の茶会だ。前回の様子はこちら。
お茶会であるが、本体は「うつわ」の勉強会だ。今回は「現代の陶芸」というお題。講師の青山さんの手元資料をまたチラリと覗いたが、前回と同じく「極秘資料」とあり、追加して赤文字で「門外不出」と記載されている。この記事で余計なことを書いたら青山さんにけちょんけちょんに叱られるのでは。わくわくだ。
私自身は芸術分野を生業にしておらず陶芸も不勉強な身であるが、お話はなかなかにみっちみちで、濃くて、楽しかった。ほぼ講義形式だというのにとてもパワーを使った。精神がはしゃいでしまった疲れだと思う。
そもそもこの勉強会に参加したのも、お茶をたててくださるのが10年以上前から好きな作家さん・大槻香奈さんであることと、大槻さんの個展会場(白白庵)にいらっしゃった青山さんが陶芸について語ってくれるから、という半ば推し見たさみたいなところもあった。念願かなったり。
実物の器を手で触れつつ、ストレージの資料を見つつな勉強会であった。
「現代陶芸」と「現代の陶芸」をあえて区別し、この勉強会で語らなければ無かったことにされるシーンがあるのではないかという青山さんの切実さがひしひしと伝わった。業界の構造を笑いを混ぜてそれとなく匂わせてくれたり、審美眼を鍛えるためにはどこをみるべきか、どの作品をみるとよいのか、という親切設計な語りだった。
勉強会の1部と2部の間に、茶室に見立てられた別部屋に移る。お茶会のはじまりだ。緊張するがこれまた楽しみな時間だ。参加者それぞれにどの器が出されるのか、正座しながらわっくわくだった。私は今回も木ノ戸久仁子さんの器だった。やっっっっった。一つの茶碗で色んな厚みや触り心地があって楽しい器。なんか深海でボコボコ湧き上がる砂煙を青で閉じ込めたような感じ。好きだ。
そして今回も床の間に見立てられた壁に、大槻香菜さんの作品が掛けられている。
ご本人から絵についての語りもあった。
個人的な思い入れをあまりいれていないそうだ。自己顕示欲が服を着て歩いてる私にとっては「(それってどうやったらできるのか)」と吃驚こいた。ここでうまく言語化できるか分からないが、少女たちの前途が明るくたらんことを、という祈りを感じた。少女という存在の社会からの勝手な価値付与、少女時代の感性と関係の揺らぎ、自意識、いろんな感情がせめぎ合って頭がくらくらしたが、お茶菓子(ブラウニー)がとても美味しかったのでことなきを得た。お茶ももちろん美味しかった。あの温度感のお茶って、このお茶会でしか味わってないなあ。他の茶会もそうなのだろうか。
勉強会が終わり、大河ドラマみたさに早々に退席した。帰りの駅までの道で青山さんの言葉を反芻する。
「日本はアジアの辺境」
「辺境で、独自の価値観でなんか変なことをやっている国」
私の学生時代は「日本スゴイぜ!」という空気感の終末期だったように思う。近頃の日本を、私は斜陽だと思っていた。その日本でうまく生きられない自分への劣等感も凄まじかった。
でもなんか、大丈夫かもしれない。
メインストリームに乗れなくても、弱く生きるために工夫をこらしながら、工夫をこらそうと試行錯誤する機会がある自分の人生がとても運の良いものであることを確信した。
勇気をもらってしまった。
その勇気を携えて、勉強会翌日の月曜日、職場に「辞めます!お世話になりました!」という電話を入れた。晴れて無職となることが決まった。やっほい。
やりたいことが沢山ある。まずはラップに挑戦しようかな。昨年からずっとラップやりたいラップやりたいと言ってカラオケで練習してたのだが、同席してくれる友人家族は「いいじゃん」と言ってくれる。優しい。
これからゆるりと、やらなければいけないこと、返せてない恩に報いること、火急でないがやりたいわあみたいなことをやって参ります。