【16タイプ】人を16種類に分けられるわけない!派に物申す
●16タイプに関して
16personalitisが再流行して、16タイプ関連の話題でバズるツイートも増えてきた。
そういう時、引用RT欄でちょくちょく目にするのが「人間を16種類に分けられるわけないんだよ」という論点で否定する人たちである。
私はこの発言について物申したいことがある。
確かに、同じ人間は決して存在せず、みんなが唯一無二である。だから"人間は16通りしかいない"と定義すれば、それは間違っている。
しかし、16タイプはあくまで、I/E・S/N・F/T・P/J、8種類の心理機能という基準を設けて、その項目に沿って、共通点を持つ者をグルーピンクしたものなのだ。
(タイプの決定付け方の定義に関して、正確な言い回しができている自信はないので、大目に見ていただけると嬉しいです)
●普通名詞は全部、16タイプと同じ原理
これは16タイプに限った話ではない。
広義でいえば、世の中の全ての"名称"は、これと同じ原理だと、私は考えている。
人間と同じで、世の中のものは千差万別で、本来、何通りに収めるなんてことは不可能だ。
しかし、森羅万象を、一つひとつ正確に丁寧に定義し、固有名詞で呼び分けていたらどうだろう。
共通点で括ることのない世界線では、個性は尊重されるかもしれない。でも、普通にキリがないし、世界はカオス状態になる。私たちの脳内も、固有名詞に支配されるし、非効的になるだろう。
だから、私たちは、りんごが黄色くても薄赤でも真紅でも「りんご」と表現する。ジョナゴールドと紅玉は違うものだけど、まとめて「りんご」と呼ぶ。重さ・形・ヘタの長さ・グラデーションの色合いが微妙に異なっても、「紅玉」って定義したりする。
物はいいけど、人間はダメっていう人もいるかもしれない。でも、性別も、年齢区分も、血液型もそうだし、科学的に定義できない職業や肩書きなんかも全部同じこと。
世の中、違うものに共通点を見出して区別して整理することで、生きやすくなるし学びが生まれる。
すごく壮大で突飛な話になってしまったけど、16タイプの概要も、そういうものだと思う。
●まとめ的なもの
結論、「人間を16タイプに分けられるわけない」って批判の仕方は、ちょっと違くない?っていうのが私の意見。
科学的根拠はないと言われてるし、お遊びコンテンツの範囲内だし、16タイプで何でも決めつけるな、と言われたらそうなんだけどね。
これは誰かの受け売りだけど、人間みんな、何かしらの偏見を持っていて、16タイプによってその偏見をアップデートしているだけ。
そう考えたら楽だし面白いよね〜っていう感覚で、性格類型を楽しむことにしている。
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