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小笠原、2024年もサッカーするってよ

決断に正解も不正解もない。そこから過程と結果が生まれるだけ。最近いいなと思った考え方です。常にリスタートであり、そのループをどこまで続けるのか、という問いもあります。でもそんなことは既に始まってしまった過程の中では考える必要はありません。またどこかのスタジアムでお会いできるのを楽しみにしています。願わくばそのピッチに僕が出ていますように。

「絵を描くにしても、なんにもせんにしても、どんなことも最低五年はかかるんや。いったん始めたら五年はやめたらいかんのや。なんもせんならそれでもええけど、五年は何もせんようにしてみぃ。その間にいろんなことを考えてみぃ。それも大変なことよ。途中でからやっぱりあん時、就職しとったらよかったねぇとか思うようやったら、オマエはプータローの才能さえないっちゅうことやからな」

リリー・フランキー『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』P.220より

サッカーを職業にすると決めて5年が経ちました。なんとか生き残ってきました。一般企業に就職していたら、教員として学校で働いていたら、そのほうがどんなに良かっただろうかと考えてしまうことも少なくありませんでした。給料の多寡や雇用の安定さだけで判断するならサッカー選手を選ばないほうが正解だったと思います。楽しくないこと、キツいこと、おもしろくないことが大半を占めるからです。嬉しかったこと、報われたこと、幸せだと思える瞬間なんてものは振り返ってみても自分の手で数えられるほどしかありません。

5年間いろんなことを考えながら続けてきました。続けてはこれたけれど、「続けられる」と「活躍できる」の才能は少し違うと気づきました。僕の場合、「続ける」才能はあったけれど「活躍する」才能はありませんでした。そこには大きな大きな壁があります。続けるには低い給料で我慢したり、転職だリスキリングだと声高々に謳われる時代に一つの世界にしがみつくことであり、サッカーのスキルが全てとは決して言い切れません。

冒頭の「どんなことも最低5年はかかる」という言葉を借りるとすれば、5年という最低ラインをクリアした現時点が、ようやくサッカー選手としてのスタートラインになるのだろうと思います。活躍しなくても期待値や伸び代といった漠然としたもので残してもらえる年齢はとうに過ぎています。そして高卒で入った同い年は来年プロ10年目を迎えます。ベテランの域に達しつつある彼らを心底尊敬しています。彼らはこの世界で活躍してきた人たちなので。

僕はといえば、これから先「続けられた」から「活躍した」に移行しなければなりません。それができなければすぐにでも淘汰されるでしょう。そして来季それは「藤枝MYFCでJ1への切符を掴み取ること」を意味します。今季初めてJ2で闘ってきてその目標がどんなに大変なことかはクラブに関わるステークホルダーの皆さんも重々承知していることだろうと思います。僕もピッチ上で痛感させられました。でも、やればすぐにできることに挑戦することほど面白くないことはありません。生きがいや、やりがいのないことに時間を費やすほど人生もサッカー選手としての時間も残されてはいません。

「応援してください」とは言いません。
僕も闘います。だから一緒に闘いましょう。
それぞれの場所、それぞれのやり方で。

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小笠原 佳祐
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