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【社会人向け】当たり前のことを失った時の対応方法を解説!

  • 当たり前と思っていることが失われることに不安・・・

  • 当たり前と思っていることが実は奇跡的であるかもしれない?

  • 当たり前のことを突然失った時にどのように捉えればよいか教えて!

 当たり前にあったことやできていたことが突然失われた時、強いショックを受け、実は当たり前ではなかったことに気付かせるケースは非常に多いです。

 私はこれまで健康には自信がありましたが、ある日、首が頚椎症になりショックを受けた出来事がありました。その朝、目が覚めて起きようとすると首に激痛がはしり、少しも動かすことができない状態になってしまいました。その時は非常にショックを受けましたが、同時に健康であることが実は当たり前ではなかったことに気付かされました。

 そこでこの記事では、当たり前と思っていることが失われた時の対応方法について考察します。

 この記事を参考に当たり前に対する捉え方が変われば、何があっても落ち着いていて人生を謙虚に生きられるようになるはずです。

<<当たり前と思っていることが失われた時の対応方法について今すぐ見たい方は下記のとおり

身体について今日が健康だから明日も健康であるという保証はどこにもない。

  • 身体について今日が健康だから明日も健康であるという保証はどこにもない。このように当たり前と思っていることが実は幻想である場合が多い。

  • 当たり前と思っていたことが失われた時は、まず現実を素直に受け入れることが大切である。

  • 現実を引き寄せた自分の本心(=信じているもの)と向き合うことが大切である。本心と向き合わず問題解決だけしようとしても、本質的な解決ができず繰り返し同じ問題が起きてしまう。



1.今日が元気だから明日も元気である保証はない

 私は以前、首が頚椎症になったことがあった。突然、首に激痛がはしり起き上がることさえも支障をきたすようになったのだ。発症した直後は何が起こったか分からず、気が動転した記憶がある。6カ月ほど治療に通い完治したがこの間、床屋で椅子を倒す時でさえ痛く感じ生活に支障をきたす程だった。これまで当たり前にしていた動作ができなくなったのだ。この時はなんで自分がこんな目に合わないといけないのかと被害者意識でいっぱいであった。私は健康の大切さを十分自覚しているつもりであったこと、また適度な運動も行い健康に気を付けていたため、まさか自分がこんなことになるとは想像もつかなかったのだ。元気な人が突然、検査で病気が発見された時も同じように思うのではないかと思う。改めて人間は生身であることを認識させられる。今日が元気だから明日も元気である保証はどこにもないのである。

2.現実を受け入れる

 では、このような状況に陥った時にどのように行動すればよいのだろうか?まず、現実を素直に受け入れることが大切であると思う。しかし、これは非常に難しく思う。私はまだ首の頚椎症という軽傷であったため受け入れることができたが、もっと人生に重大な影響を受けるような状況に陥った時、果たして素直に受け入れることができたかどうか自信がない。なぜなら受け入れるには昨日まで当たり前に持っていたことを急に手放さなければならないからである。例えば毎日、頑張って仕事をしている人が突然病気で仕事ができなくなった時、将来自分が出世し活躍している夢を手放さなければならない。その思いが強ければ強い程手放すことは難しい。では夢を持って生きることはいけないのか?そんなことは無いはずである。夢があるから頑張れることもあると思う。ただし、その夢は「心から望む」ことかどうかは自分の気持ちに聞いてみる必要がある。もし、その夢が強い承認欲求からくるもであれば話は別である。承認欲求は自分が生身で弱い存在であることを考慮していない。一方で潜在意識は生身の自分をしっかり考慮している。私は突然、身に降りかかる出来事は実はこの自分の潜在意識が引き寄せているような気がしてならないのである。では、なぜそのような経験を望んだのだろうか?

3.自分の本心に向き合う

 では、これからどのように行動すればいいのだろうか?それは、なぜ体調を崩すまで頑張っていたのかその本心(=自分が信じていること)に向き合うことだと思う。「頑張る目的が強い承認欲求のためではなかったか?」
 私は首が頚椎症になる前は、誰にも頼らず自分一人の力で頑張って困難を乗り越えていくのだという思い上がりが強くあったのだ。ではなぜ自分一人の力で頑張ることに拘(こだわ)ったのだろうか?私の場合、自分のことより、人からどう思われるかに焦点が当たっていたためである。もっと言うと自分の健康より社会的な評価の方が自分には重要であったからだ。では、なぜこのような思いにかられたのか?
 この原因は育つ過程で、自分は「社会的に価値がない」ものだという思い込みを両親、特に父親から刷り込まれたように感じる。私は最近になってようやくこのことに気付いたのである。今更、両親を責めるつもりはないが、「社会的に価値がない」という思い込みを無くさなければ、真の幸せは訪れないとつくづく感じるのである。

4.トラブルは問題解決のタイミング

 最近よく「当たり前と考えず感謝しよう」という言葉を耳にする。私は確かにそのとおりであると思う。しかし、もう一つ奥まで考えてもらいたい。「なぜ当たり前と考えてしまうのか?」あるいは「感謝することを恐れるのか?」もう一つ奥を探ってみることで、自分の抱えている本質的な問題に辿り着けるのではないかと考えるのである。そして、根本的な解決をするきっかけになるのではないかと思う。この私の経験では私が抱えている根本的な問題は「承認欲求が強過ぎる」であり、根本的な解決は承認欲求を手放すことに至ったのだ。トラブルとは問題を解決する絶好のタイミングではないかと考えるのである。

5.まとめ

【当たり前が失われた時の対応方法】

  • 身体について今日が健康だから明日も健康であるという保証はどこにもない。このように当たり前と思っていることが実は幻想である場合が多い。

  • 当たり前と思っていたことが失われた時は、まず現実を素直に受け入れることが大切である。

  • 現実を引き寄せた自分の本心(=信じているもの)と向き合うことが大切である。本心と向き合わず問題解決だけしようとしても、本質的な解決ができず繰り返し同じ問題が起きてしまう。


最後まで読んで頂きありがとうございます。
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