見出し画像

書き切る力とは考え抜く力?

みたいなことを思ったりした。かねてよりnoteの下書きを溜めがちであることはここでも書いてきたが、今確認したところ38件もの書き散らしが下書きのリストに層を成しており、そのうち18件は今年の5月以降に書き始めたものである。今年実際に公開した記事は11件であることを思えば、これはなかなかの数であろう。

下書きの何が問題なのかと言えば、一度書くのをやめてしまったものについて、少なくとも自分はその続きを綴ることが出来ないという点にある。

Twitterで2016年からの付き合いがあったコミュニティを抜けたこと、受験期に某勉強時間記録アプリで繋がったユーザーのうち今でも親交のあるメンバーのそれぞれの人生の話、フロムの言う「生産的構え」である人間になりたいと願った6月の夜、8年ぶりに葬儀に参列したこと、同じ日に国中に衝撃が走り、自分は何をすべきなのか固く決意した日、けつなあな確定について少し真面目に考えてみたこと、俺は俺で留年が確定したこと、それに伴って一応そこまでの就活体験を書いてみようと思ったこと。基本的には外の世界に目を向け、そこから生じた感情を内省するようなものが多いのだけど、エッセイとはそういうものだと思う。

数行しか書いていないものに関してはまあ見切り発車が過ぎたのだろうと諦めがつくが、3,000字近くベラベラ喋っておいて急にスン・・・と途切れているものは流石にオイと言いたくなる。俺も続きが読みたい。のに、読むことが出来ない。大抵は深夜にAlcoholを流し込みながら書いているため、良くも悪くも再現性が無いのだ。そもそも酔っているから段々眠くなったりしてキーボードから手を離してしまっているのだろう。

僕はnoteを通して誰かに何かを訴えたいとか、あまりそういうことは考えていない。もちろん公開している以上はある程度ひとの目には触れる前提でいるし、ありがたいことに毎回ちょっとの反応を貰えてもいる。だが、書くことで人や世を変えたいというのはなかなかにタフである。端的に言えば順序が逆であり、先になんらかの分野や方面で一定以上の評価をされた方が明らかに効率が良い。この世界は大概、何を言うかより誰が言うかだから。僕の書き散らしには現状どれだけ多くたって10程度のLIKEしか来ないが、adoさんが「北海道はでっかいどう」とツイートすれば50万いいねを獲得する。

では何故書くのか。やはり自分のためである。「自己療養へのささやかな試み」である。22歳の自分は日々どんなことを考えているのか、何について思考し、何に対して怒り、何で喜ぶのか、その時々の足跡を残したい。誰にも継承されないMemeである。それでいい。まずなんらかのジャンルで突出することで自らの言葉に付加価値を与える、ことの出来ない自分はこうやって一人で自分が何を考えているのか突き詰めて納得して、自己満足したい。それすら出来なくなっているのは辛いことである。

大学は学費と4年間を引き換えにして大卒の資格を得る場所だと言う人がいる。実際、入る前と後とでは圧倒的に勉強は出来なくなっているというケースも多いだろう。しかし自分の場合、昨年と今年の間に一気にそれが来ている気がしてならないのだ。noteの当アカウントを始めたのは丁度1年前だが、その割に去年は投稿が多く、どれも今読んだって俺は良いと思ってる。だから下書きに戻しているものは少ない。それは、2021年はゆっくり考えてしっかりと自分の言葉にしてきたからだと思う。

大きな変化として、昨年後期まではオンライン授業で、今年の春から全面的に対面へと切り替わったというものがある。様々な議論を呼んだオンライン授業だが、個人的にあれは素晴らしかった。全くもって勉強だけをすることが可能なシステムだから。絶起したってZoomを立ち上げさえすればよく、大人数での講義でなら尚更イージー。移動にかかる時間とコストは全カット。外食だって不要。いやまあ外食は出来た方がいいんだけど、週に5回近く昼は外で摂らないといけないのは結構キツいのも事実で。

それが対面になれば、朝しっかり起きていなければズルズルと行く気が削がれ、バスは定刻通り来ねえ、毎日の出費考えたらチャリ修理してそれで通学した方がええか?講堂にはちょっとでも遅刻したら入りたくねえ、見下ろしてんじゃねえぞ後ろの特等席。行かない日が続けば自己肯定感ダダ下がり、出席率を単位不可リーチにまで持って行ってからが本番。当然のように4回切って今度は絶対国防圏をどの授業に敷こうか吟味し始める。少しずつ明らかになるこれは退却戦・・・みたいな感じで大学初年度は過ぎ去りましたし、今年の春と、そして現在も若干こうなりつつあります。

まあリモートの方が色々な面で浮くものが出来て良い面もあるというのはある程度共感してもらえると思うのですが、自分としてはやはり学ぶ環境として適していたなというのがある。それは自分が文学部生だから、限りなくほとんど全ての授業が一方通行型であることも関係してそうなのだが。教授がテーマについて何か喋る、文献を紹介する、当時の社会背景を説明する、みたいなまあTHE講義形式が中心で、僕は教授の映るウィンドウと付箋アプリを半々にして構え、うなずいたり何かウンウン言いながらタイピングしていく。もともと独り言はかなり多い人間で、入ってきた情報を再構築して口から出すことを日常的にやっていたオンライン期は、なんというかかなり脳が動いていた実感がある。

その頃に受けていた授業で日々考えていたようなことを今は全然頭から追いやってしまっているなとか、本も大して読んでないなとか、だから自分の言葉も最後まで続かないのかなみたいなことを最近めちゃ思うようになったので、今日はこうやってウダウダと書いてみた。まあね、世界がこっからまた昨年までの状態に戻ることはないし、僕自身それは望んでない。ただ、良い面もあったなという話で、それが大学生として生きる上で特に利点になっていたことを実感してるだけ。あまり雑多なところに囚われすぎずに、また去年のように頭使って生きていけるようにしなきゃなと思う。

とりあえず最後まで書き通せたんじゃないか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?