140文字という制約

 Twitterの使い方は本当に人それぞれで、実況のように感情を毎秒呟く人もいる。僕はどちらかと言うと、後で振り返った時に「この時こんなことやってたな」とか日記みたいに使いたいから文章が長くなる傾向にある。その上で起承転結を意識して、言いたいことのコアは落とさずに、入れたいけど入れるとオーバーしちゃうような部分は削ったり。

 この時点で140文字を超えた。まだ導入でしかない。

 制限が無いと無限に書きたいことが出てきて、そこに説得力を持たせるための関連エピソードや主張が新たに湧いて出てきて、キリがない。

 アメリカではTwitterとFacebookが超絶不人気らしい。インスタとかチックトックに流れてってるという。最近のTwitterがインスタを意識してるっぽいアプデを繰り返している理由の一つだとも言われている。

 日本人は割とTwitterの人口が減らない気がする。昔から五七五とか短歌とか、文字数の決まりの中で言いたいことを表現してきたから日本人の国民性に合ってるってのを何年か前に見た。でも英詩にも韻律とかあるし今思えば信憑性薄いかもしれない。

 英詩に関連して、僕は大学の専攻が英米文学だけど、ことイギリスの方に関しては全く身が入らなかった。英語の成り立ちとか勉強するのは楽しいんだけどね。中学英語で「そういうものだから」と流される複数形や動詞の不規則変化には歴史的なバックグラウンドが実はあるんだ、みたいな。でも文学は好きじゃない。

 シェイクスピアですらロクに読まなかった。そんな僕がすごく気に入った彼の言葉がある。

“Brevity is the soul of wit.”

 「簡潔は機知の精髄」「簡明は言葉の命」とか色んな訳され方をするけど、要するに文章はシンプルイズベスト。そう思う。そしてそれが可能なのはTwitterだと思う。noteはこうやって考えながら書き起こして頭の中のモヤモヤしたものを形にしていく過程で整理するのに向いてるけど、読み手を置いていってしまうこともあるだろう。ここまでついてきてくれてありがとう。

 自画自賛だけど僕は僕のツイートが概ね好きだし、文章めっちゃ上手いって言ってくれる人もいる。だから、もっと情報や知識で裏付けながら喋ってみたい!って飛び出してくると収まりをつける能力の低さが露呈してしまうんだなぁこれが。

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