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機内で留年通知を受け取った人間が行く卒業旅行 in 九州

フライト編


2023年2月末

はたと目を覚ます。アラームに気づいたのではない。スマホの画面をタップ、6:28の表示。飛行機に乗り遅れた。7:15羽田発の便。家から空港まで1時間と少し掛かる。やってしまった。

だが、ここまで飛行機に乗るという状況が無かったから大丈夫だったというだけで、腑抜けた4年間を思えば、確かに起こってもおかしくない事態だった。集大成としての、卒業旅行絶起。

それでもなんとかなるだろうと考えていた。
大学の入学手続きをすっかり忘れたまま締切を5日も過ぎてから気付いた4年前のとある夕方と比べたら、全くと言っていいほど絶望感はなかった。

とりあえず航空会社に連絡だ。飛ぶ前に断りを入れておけば予約変更できるという旨の記述をネットで見て、実行。手続きが出来るのは8時以降らしい。一旦入浴。

実は昨夜は入浴していない。早寝が望ましかったのだが、そういう時に限って友人から通話しようぜとの誘いがあり、終わってみれば日付が変わる直前。

今から熱いお湯を浴びたら覚醒してしまうな…と考え、とりあえずシンクに頭を突っ込んで水を流し、シャンプーを使ってジェルでパキパキになった髪を洗ってドライ。パジャマに着替えて布団へ。3時半頃に起きよう。全然眠れないけどそこでお風呂に入ればスッキリするはずだ。

しかし寝られず。時刻は2時。いっそのこと今から風呂に入って目を覚まして、オールで旅行に行った方がいいんじゃないか?とも思い始めたが、1ヶ月前に期末レポートを書くため徹夜した上で朝から図書館へ行って夜にはバイトもした際に結構しんどかったことがよぎる。

20を超えてから(流石に早すぎやしないか)、「寝ない」ことによるダメージが大きくなったような気がしている。

なんとか眠ることに務める。
務めは果たした。
少し果たしすぎた。
そんでこうなってしまった。

8時になり航空会社に連絡し、何件かたらい回しをこうむる。結果から言えば搭乗はキャンセルとなった。時刻を後ろにずらして取り直しとかそういう措置は取ることが出来なかった。

適宜仲間たちにグループラインで報告。向こうも割と到着ギリギリだったようで、「やべーぞww」みたいな実況を飛ばしていたけど、空港に居る時点でヤバいも何もないわと若干逆ギレをかます俺。でも空港って最寄りの駅に着いてからも結構油断ならないよね実際。

さてどうしようか。今から便を取り直すと当日なので一切の割引は効かないし、最も早くて午後1時台のものになる。

下手に時間が浮いたせいで迷いが出始める。

まず、新幹線でよくね?ということ。東京から広島経由して陸路で行きたくなってきた。

空の旅は怖い。
旅行の数日前にチャック・パラニュークの『ファイト・クラブ』を初めて原作で読んでいた。映画は確か3回ほど観ている。本作は確かに飛行機が出てくるけど大して問題ない。

だがこの著者には『サバイバー』という作品もある。これはハイジャック犯の物語だ。まだ途中しか読んでいないのだけど、ファイトクラブを読んだ直後ということでそちらも連想され、どうにも飛行機が怖くなっていた。

割と映画版との違いがある

よくアンビリバボーとかであるじゃないですか。
飛行機が乗っ取られたり事故を起こしたり。しかし語り手はたまたま空港までの道が混んでたとかのアクシデントに見舞われて当該の便を逃していた。それが功を奏する形になり難を逃れた・・・みたいな。

それには逆もまたあるはずで。
今回俺は飛行機に乗り損ねたが、改めて取った便で不幸は起こる・・・。そんな想像が離れない。
既に友人たちを乗せた便は無事に目的地へと辿り着いていたという事実もまた俺に要らぬ心配をさせる。

マジでどうしようかな。ほんと行くのやめようかな。3日間と5万円(このくらいあれば足りると言われていた)を自由に使えるようにしておこうかな。明日までウェブで全話無料公開中の『宝石の国』でも読んでいようかな・・・。

結局吹っ切れて、俺はフライトを予約していた。
本来はソラシドエアに乗る予定だったが、取ることの出来る最も安く早いものはスカイマークだった。

それも乗り換えが必要。
13:05に羽田を飛び立ち、14:25分に降り立つ神戸を中継して同空港を15:05に離れ長崎へは16:25に着く。

今回の旅の全貌を全く明らかにしていなかったことに今さら気づいたが、我々は長崎と佐賀、福岡を巡る予定だ。

それにしても東京から長崎までの所要時間がこんなにも短いことに驚いた。2時間前後で行ける。

なので7時に羽田をあとにした仲間たちは9時過ぎにはもう長崎に着いていた。俺は夕方の4時半。マジで何やってんだ?

空の旅はやっぱりなかなか気の休まるものではなかった。第一に羽田からのフライトにしょっぱな乗り遅れかけた。流石に1日に2回やるのはシャレにならんわとかなり焦ったのだけど、空港内の構造や手続きの場所および手順などは可能なら予習しておいた方がいいね。空港到着までは問題なかったけど、その後が結構スリリングだった。

お呼び出しのアナウンスまでされちゃいながら機内に乗り込む。飛行機嫌いはここで一息つけないのが辛いところだな。

フライトは2015年以来であった。その時は国際線も経験した。今回の比ではない乗車時間だったし、途中すげえ機体が揺れていたけど、でも怖さや不安は全く感じていなかった。その2年前に北海道へこれまた飛行機で行っていたばかりだったというのもあるかも分からない。

小学生の頃も飛行機を怖がったことは一度もなく、仰天ニュースとかを見て自分が乗ることさえビビってる友達のことを結構本気で不思議に思っていた。どうしてこうなったのか自分でも分からないが、結局のところこれは今回のフライトが自分一人で臨むものだからなんじゃなかろうか。ぼっちフライトは経験が無い。

席まで歩いて頭上の棚にデカい荷物をぶち込む。数冊の本と充電器やガムなどが入ったトートバッグだけになって座り込む。

スマホを見る気分ではなかった。心臓の鼓動が上がっていった。本を読もう。とにかく自分のペースを取り戻さなくては。

『人生の短さについて』by セネカ。今の俺にとってはタイトルが不吉すぎるよ。

機体は離陸を間近に控え揺れ続ける。飛ぶなら早くしてくれ。明かりが消え、アテンションプリーズ。身の回りのものは足下に置いてください。テーブルはまだ出さないでください。機内モードにするか電源を落としてください。エトセトラ。そして緊急時の対応。やめてくれ。酸素マスクがなんだって言うんだ。そいつで乗客をハイにさせて恐怖を忘れさせるのが目的なんだろ?

飛行機が滑走路を走り出す。長い。早く上がって・・・。これほんとに飛ぶの?大丈夫?全速力でそのまま真正面に突っ込もうとしてない?

ああ・・・

このまま死んだら俺は部屋の壁に貼りまくったアニメのポスターも紙の日記帳も、ちょっとしたアダルトグッズも何もかもを家族に見られてしまうな・・・。

体が斜めになっていく。俺は飛んでいる。

ほどなくして機体は安定した。

バカらしいかもしれないけど、マジで、マジで、離陸を待っている間の脳内はこんな感じだった。あまりにも不安しいすぎるな。

落ち着きを取り戻し、読書を再開。セネカはいいや。カーヴァーにしよう。一番好きな『大聖堂』を取り出す。表題作と『ささやけだけれど、大切なこと』、『ぼくが電話をかけている場所』を読んだ。

1時間半のフライトはあっという間だった。皆さんのご協力のおかげで当機は予定よりも早い到着となりますみたいなことを言っていたので、体感時間だけでなく実際に予定より短い旅だったらしい。着陸前はまた不安が多少戻ってきたが、先ほどまでのものではなかった。俺は空を克服した。

原書でも読みたい

早く着いたはいいけど、次の便に乗る時刻は変わらないのだから待ち時間がかえって長くなった。神戸空港の決まったエリアで待つしかなかった。カフェに入って何か飲食をする気分ではまだなかった。喫煙所でアークロイヤル。そういえばここで森友哉に会った人がいるらしいな。港をもっと近くに見れたらいいのに。

ケータイの電源をつけてインスタ。友人たちがストーリーを更新している。なんだかよく分からないお花畑のような場所で遊んでいた。アムステルダムみたいな橋がかかっている。あ、これがハウステンボスなのか。

フライトを取り直した時点で今後の見通しを彼らには話してある。俺が長崎へ着くのは4時半なので、合流できるのは5時くらいだろう。それまでずっとハウステンボスにいるらしい。俺の旅は夕飯から始まる。

長崎へ

乗り換えのフライトではもう狼狽えなかった。予定通り九州に降り立つ。小学校3年の夏休み以来だな。あの時は熊本と大分を家族で旅行した。

「佐世保まで来てや」とのLINE。

空港からバスが出ていた。現在16時半すこし前。それに乗って大村駅というところへ行き、シーサイドライナーとやらで佐世保まで行ける。17:56到着予定。長旅だな。ちなみに空港からのバスを逃すと次の便まで30分くらい待たないといけないので注意。(本数は時間帯によるとは思うけど)

バスにいつも通り乗ろうとしたら、真ん中の大きいドアから入ってと言われた。そこで整理券を取り出して、前のドアは降りるときに使う。乗った分だけの運賃をそこで支払って出るのだ。

田舎システム!かつて「街(地方都市用語)」へ行く時に使っていたバスを思い出してノスタルジック。

既に日が長くなり始めた2月末の夕方は明るくポカポカしていて、ひとり旅みたいになってるけどこれはこれでゆったりしてていいかもななんて、一度も見たことがないのにどこか懐かしいような町並みを眺めながら思っていた。

余談だけど、本当にひとり旅だったら旅行前夜に読んでいた『ふたりエスケープ』の新作同人に登場した長崎のスポットを巡りたかった。


大村駅で降りる。これまた田舎の駅だあ・・・。
有害図書回収ポストってものを初めて実際に目にした。

シーサードライナーには1時間以上揺られたが、最後まで座ることは出来なかった。時間が時間なので帰宅途中の高校生たちがいっぱいだった。こういうところで10代を送るってのはどういうものかな、と肯定的な意味合いで夢想して過ごした。

何を撮りたいのか分かんねぇな

18時に佐世保駅に着く。さて皆は改札の向こうで出迎えてくれるパターンかな。

「東横インの○○号室来て」

はい・・・。

調べれば分かるけどホテルは駅からむちゃ近い。

部屋の前まで来てノックすると、あいてるぞと声が。開けて入る。なんか男3人パンイチなんだが。

「遅くなりやした」「おめぇ何やってんだよ~」

ケータイをいじる。ややきまずい。会うのが1年ぶりな上に、俺以外の3人は早朝のフライトに始まり夕方までの長崎観光で若干賢者タイムに入っていて口数少なかった。

同じ時間を共有していないってのはその場に溶け込む際にまあまあの壁になるんだなということを久しぶりに感じた。

狭い部屋から出たかった。

「めし食わね?」「外いくかー」

いいぞ。

せっかく長崎に来たんだからちゃんぽんやろ!ってことで近くの店をググる。みんな腹が減ってるみたいでマップ上で目移りし出す。

「カツ丼だってよ」「おいちゃんぽんつってんだろ」「どこも閉店時間早くね?」「リンガーハットなら遅くまで開いてんじゃね」「それはいかん」

ホテルから少し歩いたところのラーメン屋を目的地とした。

ちょっとした商店街を抜けて到着。広くはないがテーブル席がメインの店だった。我々は4人とも同じものを頼んだ。

店内には雑誌や本が置いてある。それが自己啓発系のものやビジネス書ばかりだったのがなんだか場違いな感じで面白かった。

胡椒が効いてます

本場のちゃんぽんが沁みる。
みな同じものを食べ、俺も旅の遅れを自然に取り戻し始めた。会食はいいものだな。

2軒目いくぞ!ってことで商店街の方をぶらつく。20時前だったが店じまいをしているところが多かった。この町は夜が早い。街の規模から当たり前っちゃ当たり前なんだけど、観光客的には結構面食らったねこれ。

いくらなんでも磯丸とかトリキに行くのもあれなんで、全国チェーンじゃなさそうなお店に入った。

2階に案内される。めっちゃ人おるやん。畳の部屋。掘りごたつかと思いきやそうではない。座布団を尻に敷きテーブルを囲む。

取り敢えず生。テキトーに色々頼んでつまむ。会話。会話。俺と徳山はもう1年学生をやる。徳山の方は留学していたのでなんも後ろめたいことはないのだが、24卒に変わりはない。

一方ストレートで23卒の平井と岡本。励ましをくれた。
「決まらないってことはないから」
いつもふざけてばかりの2人が真顔で言うこれは、就職活動における真理に思えた。

シメの鯛茶漬けがめちゃうまい。22時に店は閉まり、俺達は外へ出た。まだまだ夜は始まったばかり。素晴らしいね。

東京で高校同期と飲むってことはあまり無い。のでいつもなら帰省中。となるとあと1時間もしたら終電で、ここから何か本格的にするってわけにはなかなかいかない。

でも今日は違う。歩いて10分のところにホテルがある。最高だな!

・・・しかし開いてる店がマジで無い。

「カラオケいこーぜ」

出た!カラオケ!だるい!申し訳ないけどそれはちょっと勘弁。つかおめーらよくそんな元気あるよな・・・。そういえば平井とか岡本はカラオケオールして朝帰りみたいなことを地元でもよくやっていた。

俺は一度も経験が無い。朝帰り自体に良い思い出がないし、ボックスで夜を明かすってのがどう考えてもキツい。

今は酔ってるけど、アルコールが切れたときに絶対やってられなくなる。ノリ悪くてすまんな。しかもここ2年ほどラップばっか聴いてるから歌えるものねえわ。

しかし本当に開いている場所が無いので商店街の中にあるボックスに入った。流石にオールはしないようで(ホテル取ってんだから当たり前だろ)、1時間分の料金を支払った。

3人は坂道グループのファンだった。音楽の趣味が合わないってのはなかなかキツいものがあると思わされたのはこの次の日のことであったが、とにかく俺は微塵も知らないアイドルの曲を彼らが歌うのを聴いて、時折合いの手を入れたりした。AKBならまだ分かるんだけどな。

イメージ映像に映る男が決まってもみあげを伸ばしていることに4人とも大爆笑した。酒が入っていると本当にしょーもないことでバカ笑いできる。

23時を過ぎカラオケをあとにした。まだ日付変わってない。どうしよっか。海行こーぜ!マジ?歩いてすぐっぽいよ。寒くないか?大丈夫しょ。

コンビニで缶酒を買って水辺まで歩いた。ジャン負けで俺が買った。

ちょっとした港みたいな場所へ出た。他に誰も居なかったが、足下を照らす明かりはほどよく灯されていた。気持ちの良い夜風が吹いていた。

適当に何枚かセルフィーしたり、黙って海を眺めて酒を飲んだ。素晴らしい時間だった。こういう場所が近くにあったらいいのに。できれば地元にさ。帰省のたびに何をするでもなく海を見て、25メートルプール分のビールを飲み続けたりしたいじゃん。

まるでBE KOBEのようなSASEBOオブジェの前で写真を撮って、ちょっと(諸説あり)はしゃいでホテルに帰った。

途中でコンビニにまた寄って、アイスとか各々好きなように買った。エロ本コーナーがまだ残っていた。

有害図書ポストがあるのにこういうゾーニングはしてないのな。マジでこんなん見たの10年ぶりじゃないか?厨房の頃部活の先輩がセブンで快楽天を買ってきたことを思い出す。(売るな)


佐賀へ


佐世保の夜を地元ノリで楽しみ、翌朝は10時にチェックアウト。
昨晩ホテルに戻ってきてシャワーやらアイスタイムやらを終えた時点で既に2時を回っていて、その頃日課としていたpixivでの「ぼ虹」タグ巡回を済ませた俺が眠りについたのは3時半頃だった。6時間弱の睡眠を経て2日目が開始。皆がいるから寝ブッチはしないぜ。

とりま朝飯くおうってことで、ホテル真横のカフェに入った。シナボン・シアトルズベストコーヒー佐世保店。今ググったら九州を中心に店舗がヒットするけど、なんかフツーに東京にもあるな。

ホットドッグとカフェラテのモーニングを注文。カップがでけぇ。お抹茶を頂いた時みたいな見た目だな。

店内は広く、まだ我々以外にお客もいなかった。

今となってはパーティションも懐かしいだろうか?

目を覚まして本格的に今日が始まる。
佐賀へ行くのだ。

旅行の前に、春休みの予定は?と聞かれ「九州に行く」と答えると、「私も!」という人がチラホラ。しかし佐賀に行くという者はなかった。

「佐賀?」佐賀にいったい何があるというんですか?
がばいばあちゃん。

佐世保でレンタカーをとった。返却するのは福岡。最終的に訪ねる福岡の中継地としての佐賀。そして今回の旅ではもっぱら昼食を食べるためだけの県だった。

さてレンタカーを借りるぞというところで、免許証の提示を求められた。しかし友人らは俺にその必要は無いと言う。運転に信用が持てないらしい。意味分からん。ペーパーなのは皆おなじやろが。

車に乗ること約1時間。今日は天気が悪かった。

佐賀牛なかむらに到着。予約していないので少し待つ。有名人のサインが沢山掲げられていた。知っている名前もいくつかあったと思うけど、思い出せないので自分にとってはその程度なんだと思う。

友人の撮ったものが残ってた

ランチメニューを頼む。2,000円台で、これでもお手頃な方だった。

彩度上げすぎ
目の前で焼いて切り分けてくれるシステム。

ミディアムレア。
マジで最高の肉だった。
佐賀牛はうまいことを知った。

宮崎牛も食べたいよな

満腹になったところで銭湯へ。
雨が降っていて寒かったので露天風呂にはあまり行かず。サウナと水風呂を含む屋内の湯が中心だった。

昨今のサウナブーム。皆さんはついていけていますか?僕は全くです。
小学生の頃はスーパー銭湯で水風呂とサウナをローテーションするのがすごく好きだった。記憶違いでなければ水風呂に40分ぶっ続けで浸かっていたこともある。水泳を長いことやっていたプライドのようなものが俺に意地を張らせたのだ。水泳教室では水風呂の中を泳いでいるわけではないというのに。

サウナって単純にクッソ熱いし、なんか静かにしてなきゃいけない雰囲気あるのがあまり好きではない。喋ってられたらもう少し長く耐えられそうなんだけど、それだと体の消耗も速くなるか?

時期や時間帯によってはプロ野球の中継をテレビで流してくれてたりする。以前そうやって渡辺俊介が投げてるのをサウナの中で見つめていた。しかし今は完全にオフシーズン。

こういう文句みたいな、なんで好き好んで苦行せなあかんねんみたいなのはサウナに入って最初の3分くらいつきまとうのだけど、慣れてくると結構気持ちいい。

でもキリが無いので外に出た。ぬるい湯をかけて、水風呂にダイブ。きっつい。しかしこちらも慣れるとfeels so goodだな。これはハマっちゃうかも。徒歩圏内にあったら全然おれも趣味がサウナになると思う。

福岡へ

晴れ!

佐世保から佐賀へ行くよりも長い時間のドライブだった。俺以外の3人がtake turnsでハンドルを握り、それなりに強い雨を受けながら車を走らせた。

スマホを車に繋いで流す音楽は、例によって坂道。イントロが流れるごとに彼らは俺の知らない話をし始める。誰々がセンターの時のじゃんだの、これをバスラで聞きたかっただの、マジで分からん。

後部座席の俺はずっと飴を舌で転がしていた。2023年2月、世界から龍角散ののど飴が消え失せていた。突然の品薄となり、俺は代替の飴を何種類か試してずっと舐めていた。(ちなみに中国からの観光客がコ口ナ対策で買い占めていったという噂があるが、真偽は不明である。最近のTwitterジャパンではこの手の話が真実のような顔で闊歩しているが、どういった層が主に流しているのかに注意。たとえそれが事実であっても、背景の物語に煽動されないように。)

俺はのどがあまり強くないのだ。そのくせ友人と会っていると煙草をいつもの数倍吸うし喋りまくるので、飴で潤していないと辛い。今回の旅はそこのところが結構大変だった。

博多の市街地に入る頃、車の中ではSHOさんの曲が流れていた。ヤクブーツはやめろ、ルイ・ヴィトーン、ババババレンシアガ。音量を最大にして、EDMカーのようにズンドコ言わす。

今夜のお目当ては屋台メシ。
しかし長蛇の列。川を挟んで両岸に何軒か並んでいるのだけど、ちょうど夜7時台だったこともありとてもすぐには食べられそうにない。

ダウンを着ている人の多さから窺える2月末の気温

ということで取り敢えず1軒目に行く。
寿司屋に入った。

2階はジムか?

店内はさほど広くない。ちょっと奥へ進んだところのテーブル席へ。

回らない寿司屋に来たのはいつぶりだろうか。
しかし俺は持ち金がかなり少なくなってきていて憂鬱だった。

あまりに露骨だったのか、友が気を遣ってくれる。返すのすぐじゃなくていいから気にすんなよと。情けないったらありゃしねーぜ。来月から正社員として週5で働く友人、もう1年キャンパスで遊べるドンの俺。

心置きなく寿司を頼む。一応頼んだものはスマホのメモアプリに逐一記録しながら。それなりにいい値段する。しかし美味い。

肩代わりしてくれる友人に取り敢えず今はこれでとでも言わんばかりに、ピースジャズセッションの未開封のボックスを一箱あげた。2、3本吸った後に返された。ラキストユーザーには合わなかった模様。(正直わかるぜ)

22時を過ぎ、再び屋台へ。

すぐに座ることは出来なかったが、列も無かった。10分かそこらして呼ばれると早速ラーメンとビールを注文。うまかった。チェーン店を除いてでは初めての博多ラーメン。

その後おでんやら追加のビールやらを頼む。店主さんは1人でメモも取らずに、他の作業をしながら正確にオーダーを取っていて提供までも早く、すごいと思った(小並)


最終日!!


ホテルをチェックアウトし、朝食探しにぶらつく。
昆虫食のお店を見かけた。そういえばなんか鎮火した感あるけど、この頃は昆虫食を巡る陰謀論ベースの話題が結構ホットだったなあ。ともかく朝から虫を食べる気はしないのでスルーしてこちらのお店に決めた。

リトルスタンド大名店。

チョコケーキとホットコーヒーのセット。甘いもの食べたの久々かな。すげぇ美味しかった。

店員さんがテーブルと椅子を用意してくれた。

流石にこれだけでは満腹にならないので、このまま昼食といく。博多ラーメンの店にしようと考えたが、当然のようにどこもかしこも混んでいるので軽めに済ませられそうなところを探した。

なす、とり、いか。

天ぷらのひらお
食券で注文して、揚げたてをこうやってトレーに乗せていってくれる。
ここも結構混むお店です。脳筋の平井と岡本は待ってる間に腹ごなしがしたくなったとかで、俺と徳山に手荷物を渡して走り込みに行ってしまった。そのくらいには並びます。

揚げたてはとてもおいしい。写りめっちゃ悪いけどおいしいです。友人から借金の身であるとか、昼食までのつなぎであるとか、そういう事情が無かったらここで豪遊するのも全然アリだった。

さて次はどうしようか。平井はアスレチックのある屋外施設、海の中道海浜公園に行きたがる。我々3人はちとダルさを感じる。

というのも、この日は結構寒かった。天候が(昨日を除いて)素晴らしいので忘れていたが、まだギリ冬である。気温というか風がかなり吹いていた。そんでもって花粉は既に猛威を振るっていた。できれば外には居たくない・・・。

あとそもそもの話、その施設までちょっとした電車旅行をしなければならないのも億劫だった。

ちなみに風が強かったというのは伏線である。

これが目的地

外で遊ぶより博多観光してぇよ、今回そういや博多駅行ってすらないしな。でも博多観光って何がある?博多ポートタワー…?正直ビミョーやな。空からの景色はここに来るまで散々見てきたぞ。

後でたまたま知る機会があるのだが、福岡住まいの人からしてもウチの県はメシだ。観光地ではない、という見解で概ね一致しているらしい。管見の限り。

俺たちは折れた。電車を乗り継いで海浜公園まで来た。道中にゃん電なるものに乗った。

しかし今回の旅では野良の猫ちゃんに会えなかったな

電車を降りた後、結構な距離の歩道を歩いた。中2あたりの笑える話が急に出てきて吐くほど笑いながら歩いた。これまで卒業後に何回も喋ってるのになんでそんな隠し球持ってんだよというレベルの。

そしてついに入口へ。

…あれ
人がいねーぞ。

アスレチック、シー・ドラグーンが見えたが、誰も乗っていない。係員すら見当たらない。

これやってないんちゃう?ホームページを見てみる。

「運営に関するお知らせは、下記Twitterにてご確認をお願いします。」

飛ぶ。

「本日強風のため営業中止とさせて頂きます。」

おい!!!

いやまあ予め見とけよって話なんだけど、1時間半かけて来たんやぞという感じ。入口あたりで呆然としていると、奥の建物から職員と思しきおじさんが歩いてくる。

「シー・ドラグーン乗りに来た?今日はお休み」

いやーそうなんすねぇ〜来てから気づいちゃいましたよ〜wとでも言えばいいのに、我が友はちょっとしょうもないところがあるので、「ちゃいます」と無愛想に意地を張る。

そんな若者をよそに職員さんは案内をし始める。件のアトラクションは使用できないが、公園部分は営業してるから中へどうぞと。

https://uminaka-park.jp/facility/ より施設の全体図

園内で借りられる自転車があるということで、我々はそれをレンタルして乗り回すことに決めた。1人1台の方がどう考えても乗りやすいのに、節約しようとなって2人乗り×2台の料金を支払う。

俺と岡本、平井と徳山のペア。まず俺が漕いだ。岡本はかなり軽い男(言うまでもなく、比喩表現ではない)だが、それでも後ろに成人男性を乗せて自転車を操縦するのは簡単ではない。

向こうのペアでは平井が漕いでいる。ふたりとも恵体。マリオカートで言ったら重量級のキャラに重めのカスタマイズ。その馬力を活かして早速飛ばしている。チンタラしているとラチがあかないので俺も全力で漕ぐ。直線でちょっとしたレースのようになった。慣れてしまうとこれが楽しい。

しかしコーナーに差し掛かるところや、降りなければいけない時が結構怖い。なにせこの自転車自体は割とオンボロだった。あわせて100㎏をゆうに超える人間を支えるには心許なく、それは減速時に顕著になる。

https://uminaka-park.jp/guide/touring/cycling/  より

これ見りゃ大人と子供のペア向けだって明らかだわな

交代して自分が後ろに乗る時もかなり怖い。体を預けているバディは、意味も無く競走をしてバカみたいにスピードを出しているのだ。厚いスタジャンを着ていて良かった。最悪転倒して投げ出されても上半身に擦り傷を負うことはなさそうだ。

コースの途中で一旦降りた。小さなビーチのようなものが広がっていた。そこからの一望を眺め、写真を撮って、再び漕ぎ出す。

自転車レーンの終着点はさっき職員が言っていた公園だった。広々とした海浜公園。様々なアスレチックが備わっていた。

そこへ行く前に手前の食堂エリアで軽食を摂る。
焼いたサバの丼ぶりと迷うも博多ラーメンをチョイス。既に時刻は15時を回っており、たくさんある食堂の大部分はクローズしていた。

食事を済ませた我々が向かった先はゴーカート。マジで何歳ぶりだ?これは1人乗りしか存在しない。

短すぎず長すぎないコースだった。マニュアル教習以来の坂道も乗り越えた。いくらアクセルを踏んでも一定以上のスピードは出ないのが少々もどかしい。あと、車体後部に取り付けられた羽みたいなオブジェが終始バタンバタン鳴っているのが、壊れた車に乗っているかのようで少し落ち着かなかった。

その後は巨大な滑り台。
これまた懐かしい。でもゴーカートほど遠い記憶ではない。俺達は高校2年の終わり頃から3年生の中盤あたりに、放課後しょっちゅう公園で遊んでいた。受験の足音をかき消したくて、ドタバタと走り回っていた。2018年の初夏はワールドカップがあったことも影響して、サッカーもよくやっていた。(余談ですが、2018年のW杯はロシア開催でしたね。4年の間で本当に多くのことが様変わりしました。今後ロシアが国際的な催しの表舞台に立つ日は来るのかな。)

その公園

しかしここの滑り台は近所の公園のそれよりも長かった。例によって競走。ローラーに身を任せているだけではスピードを出し切れないので、サイドの手すり部分に両腕を交互に素早く伸ばしてシャコシャコと滑っていく。俺は競走に勝ったが、この動作のおかげで広背筋を痛めた。

その後はTHE アスレチックなゾーン。ターザンだったり、小さな足場のエリアだったり、ぶっとい綱が張り巡らされていたり。いずれにせよ運動神経が悪いと落っこちる。高い位置にはないけれど、下はちょっとした池なのだ。

俺達は前を行くやつをビビらせたりしながらも無事に向こう岸へ渡っていった。そして問題のゾーンが現われる。雲梯(うんてい)だ。

これは小学校にしか存在しなかった。そんでもって俺は一切できなかった。これが出来るのはスポーツに秀でた少年少女だけだった。今一緒のメンバーは、俺以外は小学生の頃からサッカーだのテニスだのをやっていた。俺が野球を始めたのは中学校。案の定みんなその当時、雲梯が出来た模様。

とはいえ10数年ぶりのトライなのは変わらないので不安はある。おのおの靴と靴下を脱いで裸足になり、落下時のリスクを軽減した。

ビビっていた割に拍子抜けという感じで3人とも成功。俺の番になる。しかし、どうしても上手く行くビジョンが見えない。あまりに恐ろしかった。すまん!マジで無理だ!と懇願しておわり。悔しい。

その後は園内をちょっとぶらついて帰路についた。巨大トランポリンで遊びたかったけど、そこは未就学児とその保護者に限られたアスレチックだった。

グッバイ九州サン

18時前。我々は博多駅に居た。21時発の飛行機に乗るまでの時間で夕飯。中華料理屋。かなり賑わっていた。退勤後の大人も多かった。

恒例の、とりあえず生。アルコールと辛い料理で俺の喉は若干ピンチになっていた。しかし駅構内ということで喫煙は発生しないためセーフ。

20時頃に駅を発ち、電車に揺られ空港へ向かった。みんなかなり眠そうにしていた。いよいよこの旅も終わる。

ステッカーを外せば寝顔。向かって左は知らぬ顔。

空港に着いて、徳山とはお別れ。彼は俺達3人と違って東京在住でないので別の便。

行きはどっかのあほちんのせいで生きた心地さえしなかったので、こうやって友人が2人も居て、時間にも余裕がある帰り道はすごく心地よかった。

おみやげを買うか迷った。九州なんてそう頻繁に来ることはない。
真っ先に思い浮かぶ候補は家族だが、この旅行のことは隠密にしていたのでやめることにした。なぜ隠していたのかって、それはまあ俺が留年生の身だから。100万円以上を余分に負担させるのに、卒業旅行だ?貴様この野郎・・・。

行きのフライトで心臓バクバクしっぱなしだったのは、家族に内緒の旅だったからというのもある。その状態でもし死んだりしたらと思うと怖くて仕方がなかったのだ。後ろめたさは人を臆病にする。

それ以外で唯一心に顔が浮かんだ相手は、次にいつ会えるか分からないからこれまたやめておいた。後日その人とは思いのほか結構すぐ会ったのだけど、向こうも向こうで春休みのお土産を俺に買おうか迷ったが、同じ理由でやめておいたことを知った。それは嬉しいことで、気持ちだけ貰っておく、というのは必ずしも社交辞令ではないことを実感した。

行きの格安とは安心感のまるで違うJAL機に乗って東京へ出発。機内冊子の間違え探しはサイゼのそれと肩を並べる難度だった。

23時、羽田空港で解散。握手はしなかった。

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あとがき的なサムシング

さて、2023年2月28日午後6時28分にシーサイドライナー車内で序文を書き始めた旅行記は、同年7月28日に結びを迎えた。

以前文フリの記事を書いたときにも言ったけど、自分はどこどこに行ってきた!系のものを書くのが著しく苦手らしい。素晴らしい経験をすればするほど、それを紙面に再現できない自らの手腕がもどかしいのだ。

この下書きも長いこと最初の数行のまま放置されていたが、さすがに卒業旅行という大イベントについてはしっかり残しておきたいと思い、つらつらと続きをタイプしていった。

また紀行文に限らず自分は日を跨いで文章を書くことが苦手で、酒を飲んだ夜は日々の鬱憤やらを無性に語りたくなってnoteを開くけど、千何文字と行った辺りで何か満足して一旦切り上げて眠りにつく。

翌日以降にその時と同じテンションで続きを語ることは俺には全くもって出来ない。そうして積まれていった下書きは10いくつとある。伝達しなければ存在しないのと同じだとすれば、俺は非常にムダな時間の使い方をしていることになるな。

しかし、一夜にして完成した文章が存在するだろうか?夏休み最終日の読書感想文などを除けば、殆ど無いと思われる。自分が愛読してきた数々の名作は、時には数年、数十年の歳月をかけて完成したものだってあるではないか。

もちろん私の書き殴りが例えば『ファウスト』と同じ性質や価値を備えたものではないことは敢えて確認するまでもなく承知している(し、そんなことを言っているわけではないと敢えて確認するまでもなく承知して頂きたい)が、ともかく時間をかけてひとつの稿を書き上げるというのは全然一般的なことなんだよなだと急に理解したのが、この3日間の日記を書き終える契機となりました。

この際とても役に立ったのは写真だった。今回の旅を収めたカメラロールの200近い写真を見ながら書いていると、その時の心情とか会話だとかが結構スルスル思い起こされてくる。そういえば去年、大学4年間の秋休みをまとめて振り返る記事をアップした時も、スマホで撮影した写真を1つ頼りにしていた。

出先でパシャパシャすることは、思い出に立ち返ることを容易にしてくれるというメリットがあるんだなと思う。

一方で、もはや電源を入れることもままならないガラケーを使っていた中学時代のことや、そもそもケータイを持ってすらいなかった小学校以前のことも私はそこそこ克明に覚えている。

周りから「そんなんようおぼえてんなw」としばしば言われるのでそもそも思い出のキャパシティが多い人なのかもしれない(過去に固執するタイプです)が、写真が残っていないからこそではないかと私自身は考えていて、ワンタッチで日常の些細なことを外部に委託・保存しておけないのが当たり前だったから、記憶の収容率が高まっていったんじゃないかなっていう。

と仮定すると、写真を手がかりに過去を語るのが当たり前になってしまうと、自分の能力の中で1つ失われるものが出てくるような感じもする。どうでしょうか。

だが、いずれにせよ記憶というものは信用ならない。小中以前の思い出というのは、それ以降の長い年月を経て少しずつ変容している可能性がある。それでいて自分以外の人間はあまり覚えていないので、訂正されることも少ない。

写真が残っていたって、それにまつわる思い出はやはり必ずしも正確ではない。同じ場所にいて同じ風景を撮っている複数の人間が居ても、のちにそれにどんな意味づけをするかはマジでケースバイケースなんだ。

それどころか同じ俺という人間でも、1枚の写真から思い起こす景色は一様じゃない。その時の気分、どんな夜を過ごしているか次第で、頭の働きは大いに左右される。

本稿も2月末に序文で放置してその次を書き始めたのは確か6月の頭で、そっから2ヶ月近い時を使ってちょびちょびと続きを書いていった。全く同じ夜はないので、筆が乗る日もあればそうでない日もある。それはほんのちょっとした違いで多くの差を生み出し、例えばゼミで上手く発表した夜は良い具合に記憶に入り込めても、そうじゃない時は写真を眺めて事実を淡々と述べたりする。

どのくらいの度数の酒を口に含んでいるか、かけている曲は何か(Green Assassin DollarやSOUL'd OUT、Perfumeが自分の執筆ムードに向いていた)によっても変わる。筆がノッている時は却って脚色が強くなりすぎるきらいもある。過去を振り返るということは結局、多くの虚偽を織り交ぜることになるのだ。

ちなみに〆の文章を書いている今の俺は結構な酩酊状態で、さっきからタイプミスをしまくっている。この部分を数日後の俺が、読むに堪えないわと書き直すこともかなりありえる。

何が言いたいかよく分からなくなってきた。まあこの旅行記録もその他多くの過去と同様に、気分によってアップデートを重ねていくだろうということは確か。酔って気持ちいい時のパッセージは1つの真実だし、しらふになってそれらに顔をしかめた俺が上書きして残る過去もまた1つの真実。

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あとがきのさらに余談

ここで1つ、少なくとも2023年の俺にとっては気分に左右されないであろうことを語る。それは、男だけの旅についてだ。

この卒業旅行は参加者4人全員が男性である。我々はきっとその環境に慣れている。田舎の中高一貫で6年を共にした仲。あの環境はかなりホモソーシャルだった。

卒業してそれぞれ色んな経験をしてきたと思うけど、人は自分の顔をその時その時で作り替えるので、この場合で言えば中高の仲間と一緒の時は必然的にその頃の人間になる。分人主義というやつだな。ぶんじん。発泡スチロールでなんでも作る人のことではないですよ。なのだ。

ティーンエイジャーの頃の仮面に付け替えている時間はある種カンフォタブルであるけれど、自分としてはラインもあって。例えば友人らはアイドルが好きで、そのひたむきな姿勢や、そういう彼女たちが歌うリリックにに力を貰っているってのもあるはずだが、男たちで居る時に強調されるのは性的な役割の方で。それに俺はかなりげんなりするし、一般人についても中高ノリでは街行く女性を平気でジャッジしたりする。

そこにつれない態度を取っていることもあってか、「よく聞かれると思うんだけど、男と女どっちが好きなん?」と旅行中に聞かれる。俺にそうやって可能性の配慮ができるんなら、1歩進んで他者のことも思いやってくれないか。ちなみに俺はシスヘテロだよ。それでも皆が皆、男と女でワンセットな価値観で繰り広げられるお話が好きってワケじゃないんだ。そういうこと。

たださっきも言ったようにこういう猥談ベースの空気ってのは、中高時代の友人と一緒に居る時に際立つものであって、友人の方でも皆と一緒に居るから必要以上にそういう要素を前面に押し出しているという可能性は割と高いと思う。四六時中そういう態度ってわけじゃなく、今はそういうのが適切だからそうしているんだって無意識に最適化される。

だから難しい。
難しいで済ましていいのか分からないんだけどね笑
できる範囲で釘を刺すべきだとは思ってる。

最近は、以前であれば筋金入りの差別アカウントなど以外は言わなかったような言葉が、結構カジュアルに飛び交っているSNS。そんなサラッと言っていいもんじゃないんだよと俺の愛する人達には分かっていてほしいけど、たまにリア垢で出てくる誰々さんがいいねしましたの投稿内容に目眩を起こしたりもするよ。

本音が出やすい間柄かつ、本音が出やすいシチュエーションで会うことが多くなっているからこそ、そのうち地元のメンバーとは根本的な倫理観が合わなくなって食卓を共に出来なくなるんじゃないかってすごく怖い。いつまでも俺のホーミーであってくれ。



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