【思い出話】花畑牧場が話題だからカントリー娘。の話
先日、田中義剛が経営している花畑牧場で働いていたベトナム人従業員が待遇改善を求めてストライキを起こしたことで不当な雇い止めされたという驚きのニュースが入ってきた。花畑牧場は10年以上前に生キャラメルで一大旋風を起こし、大きな社会現象になったが、かつてはカントリー娘。が牧場に住み込みで働きながら芸能活動を行なっていたことをご存じだろうか。
カントリー娘。の歩み① 〜インディーズ時代〜
カントリー娘。は花畑牧場で働きながら芸能活動を行う半農半芸をコンセプトとしたローカルアイドルグループで、タレントとして活動経験があったリーダーの小林梓、過去にモーニング娘。と映画で共演した経験がある柳原尋美、グループで唯一の北海道出身だった戸田鈴音(後のりんね)の3人で結成された。
オーディションからデビューまでの模様は中澤裕子と平家みちよがMCを務めていた深夜帯番組『アイドルをさがせ!』で密着され、作詞に森高千里、作曲につんくという豪華な制作陣を迎えてインディーズデビューする予定だったが、デビュー直前に柳原尋美が不慮の事故で亡くなってしまう。その数日後には小林梓が事故のショックで活動休止することになり、そのままグループから脱退(タレント時代に撮影したセクシー写真集が発売されたことで責任を取って脱退なんてことも言われているが…)。一時は存続の危機に直面したが、戸田鈴音による事実上のソロユニットとして活動をそのまま継続した。
当時は牧場での仕事がメインで、芸能活動は北海道のラジオ番組のレギュラーやハロー!プロジェクトのコンサートツアー(以下、ハロコン)に参加する程度。現在でいうところのローカルアイドルグループに近かった。更なる飛躍を目指すべく追加メンバーオーディションが複数回にわたって開催されたが、牧場に住み込むことを条件としていたため該当者なしという結果が続いた。
そんな中、犬ぞり大会で大人に混じって優勝した経験を持ち、花畑牧場で勤務していた木村麻美(後のあさみ)が追加オーディションに合格(ほとんどヤラセに近いような気もするが…)。りんね・あさみのデュオ体制でカントリー娘。は始動した(「恋がステキな季節」は名曲!)。
これまで北海道を拠点にインディーズで活動を行なってきたが、モーニング娘。の大ブレイクやハロー!プロジェクトが本格的に始動したことで東京での仕事が急増。りんねは『アイドルをさがせ!』の2代目MCになったり、明石家さんまがメインパーソナリティを務めるラジオ番組『MBSヤングタウン土曜日』のアシスタント(ヤン娘)にモーニング娘。のメンバーと共に抜擢された。
そして、いよいよカントリー娘。はメジャーデビューに向けて動き出すが、田中義剛はモーニング娘。からメンバーをレンタル移籍するという驚きの計画を実行。モーニング娘。のプロデューサーだったつんくと相談した結果、レンタル移籍のメンバーとして選ばれたのが芸歴1年にも満たさなかった石川梨華だった。
カントリー娘。の歩み② 〜メジャーデビュー〜
カントリー娘。は「カントリー娘。に石川梨華(モーニング娘。)」(以下、カン梨華)としてこれまでのミディアムテンポ調からアップテンポ調の王道アイドル路線に方向転換した「初めてのハッピーバースディ!」でメジャーデビュー。モーニング娘。から助っ人を呼んだことが大きな話題となり、『ミュージックステーション』や『うたばん』といった人気音楽番組にも出演した。
しかし、石川はカントリー娘。に加入したわけではなく、あくまでもモーニング娘。からの助っ人。そのため別行動を取ることも多く、本拠地である花畑牧場で仕事することもなかった。カン梨華として音楽番組や雑誌の表紙には登場するものの、ラジオ番組でのキャンペーンや雑誌のインタビューには不在なんてこともあった。これは紛れもなく、モーニング娘。として多忙を極めていたためであって、ミニライブと握手会をセットにしたインストアイベントは大阪・名古屋・札幌・横浜の4ヶ所を2日間で回るほどの過密スケジュールだった(※石川は2ndシングル以降のリリイベには不参加)。
これまでの石川といえば、同期の吉澤・辻・加護に比べて、どこか控えめなイメージがあったが、カントリー娘。の助っ人に抜擢されたことで明るいイメージへと変わり、三人祭「チュッ!夏パ〜ティ」、モーニング娘。「ザ☆ピ〜ス!」ではセンターに大抜擢された。その変貌ぶり(?)はジャケ写からも分かり、2ndシングル「恋人は心の応援団」ではかなり垢抜けている。
順風満帆の中、追加メンバーオーディションが再び行われ、過去にモーニング娘。のオーディションに落選したことがある里田まいが加入。ハロコンでは藤本美貴らとお披露目を果たし、当時17歳でありながら見た目以上に大人びていた印象がある。
新体制となったカン梨華は3rdシングル「色っぽい女 〜SEXY BABY〜」からセクシー路線へと変更するが、その頃からオリジナルメンバーのりんねが体調不良を理由に花畑牧場で行われるイベント等を欠席するようになり、どこか不穏な空気がヲタの中では流れ始めた。その予感は的中し、里田が加入してから1年経たずしてミュージカル女優を目指すためにりんねは卒業していった。あまりにも突然の発表でファンの間では憶測を呼んだが、後にカントリー娘。は芸能活動を中心とするべく活動拠点を東京へ移したことから方向性の違いによる卒業と筆者は推測している。
その後にリリースされた4thシングル「BYE BYE 最後の夜」では再びアイドル路線へと回帰したが、4位→6位→4位→8位と順位を落とす結果となった。
カントリー娘。の歩み③ 〜北海道から東京へ〜
ここでカントリー娘。は大きく方向転換する。芸能活動を中心にすべく活動拠点を東京に移し、新メンバーを募集。プロデューサーは田中義剛→つんくへと引き継がれた(丸投げ)。花畑牧場で働きながら芸能活動を行う半農半芸のコンセプトがなくなり、本拠地であった花畑牧場との関係も徐々に薄れることになった。
追加メンバーオーディションでは数ヶ月前にモーニング娘。のオーディションに落選した静岡県出身の斎藤美海(後のみうな)が加入(またヤラセ?)。再び新体制のカン梨華になると思われたが、石川梨華のレンタル移籍が終了すると同時に、今度は紺野あさ美と藤本美貴を助っ人に迎えた「カントリー娘。に紺野と藤本(モーニング娘。)」(以下、カン紺藤)として始動することになった。都内で行われた「浮気なハニーパイ」の発売記念イベントは紺野・藤本も握手会に参加することもあって多くのファンが押し寄せ、情報番組でも大きく取り上げられるなど新生カントリー娘。をアピールすることに成功した。記憶は曖昧だが、TV-CMもそこそこ流れていた印象がある。
その後も「先輩 〜LOVE AGAIN〜」、「シャイニング 愛しき貴方」とシングルをリリースしたものの、モーニング娘。の勢いがひと段落したことやCD不況などが重なって7位→15位→13位とランクダウン。その間にハロプロのフットサルチームも本格的に始動したことでCDリリースが途絶えてしまい、程なくしてカン紺藤の活動は終了した。
カントリー娘。の歩み④ 〜単独ライブへの道〜
ここまでインディーズ期から助っ人を加えたメジャーデビュー期まで簡単に振り返ってきたが、この時点では単独ライブを行なっていなかった。当時のハロプロはモーニング娘。が一強で、松浦亜弥、後藤真希や安倍なつみといったモーニング娘。の元メンバー、メロン記念日、Berryz工房以外はコンサートツアーを組むことすらできなかった(※中には単独ライブが実現しないまま解散したグループもいたほど)。
カン紺藤終了後は安倍なつみや松浦亜弥などのコンサートツアーの帯同、ラジオ番組のレギュラー、フットサルの活動が中心となり、メディアへの露出が減少したが、過去のシングル曲を集めたアルバムをリリースし、カントリー娘。名義では約5年ぶりとなるオリジナル楽曲「革命チックKISS」が収録された。
これまではモーニング娘。や他のソロ・グループのファンに向けてパフォーマンスを披露することが多かったが、結成から7年が過ぎた頃に念願だった単独ライブを札幌と東京で実現することができた。単独ライブは無事に成功し、カントリー娘。としてシングルをリリースする日も近いと思われたが……。
『カントリー娘。「あさみ」・「みうな」卒業のお知らせ』
カントリー娘。の歩み⑤ 〜予想外のブレイク〜
当時、カントリー娘。は東京から札幌へ再び拠点を移してローカルタレントとして活動していく案が浮上していた(らしい)。北海道でラジオ番組が始まったり、札幌を拠点に活動するフットサルチームが発足されたりと着々と準備が進められていた中で、あさみとみうなの卒業が発表された。
一方の里田はバラエティ番組『クイズ!ヘキサゴンⅡ』に出演。どういった経緯で出演に至ったのかは不明だが、所属事務所は里田にもバラエティに慣れさせようと売り込んだのかもしれない。番組では珍回答を連発し、司会の島田紳助からは「久々に来ました、本格派です」と評価され、以降は番組の常連解答者として準レギュラーで出演するようになった。
通常は単独ライブで卒業するのが一般的だが、横浜アリーナでのハロコンがラストステージとなった。出演時間が限られてしまうことやココナッツ娘。のラストステージが5分にも満たなかったことから否定派の声も少なくなかったが、「浮気なハニーパイ」では助っ人として参加した石川・藤本が加わったり、芸能界を一時引退していた紺野あさ美がサプライズで駆けつけたりと豪華な演出が用意され、結果的にハロー!プロジェクトのステージがラストになって良かったと振り返ってみて思う。
あさみ・みうなの卒業後は里田まい(カントリー娘。)としてバラエティ番組を中心にタレント業へとシフト。カントリー娘。としてのCDリリースはベストアルバムを除いて行われなかったが、『クイズ!ヘキサゴンⅡ』から誕生したPaboやアラジン、里田まい with 合田兄妹、里田まい with 藤岡藤巻、音楽ガッタスとしても活動を行なった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。スキとフォローをしていただけると励みになるのでよろしくお願いします。