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初期の『ASAYAN』について

 ハロー!プロジェクトの歴史において外せないのが、1995年から2002年まで毎週日曜日の夜9時から放送されていた“夢のオーディションバラエティー。”こと『ASAYAN』である。番組では数々のボーカリストオーディションが行われ、モーニング娘。の他に鈴木亜美やCHEMISTRYなどを輩出した。


『浅草橋ヤング洋品店』から『ASAYAN』へ

 1992年4月に放送開始した前身となるバラエティ番組『浅草橋ヤング洋品店』(通称:浅ヤン)は、司会に浅草キッド、演出にテリー伊藤を迎えて、流行のファッションや一風変わった人を紹介する『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』と同様のコンセプトとなっていた。

 1995年10月からは番組名が『ASAYAN』となり、前半が『浅草橋ヤング洋品店』、後半が小室哲哉プロデュースのオーディション企画『コムロギャルソン』の2部構成としてリニューアルした。特に「コムロギャルソン」は小室ブーム真っ只中とあって視聴者から反響を呼び、番組の演出を手がけていたテリー伊藤が降板したタイミングで“夢のオーディションバラエティー”をコンセプトとしたオーディション番組へと変わっていった。

初期の『ASAYAN』(1996年)

 1996年4月からはオーディション番組『ASAYAN』として本格的に始動し、歌手のみならず俳優・タレント・モデル・ファッションデザイナー・ラッパー・Jリーガーの新人発掘を行ない、空前のオーディションブームとなった。

コムロギャルソン

 1995年10月に『ASAYAN』の放送開始と同時に小室哲哉がプロデュースするオーディション企画「コムロギャルソン」が開催された。小室ブーム真っ只中だったことから25,929人の応募が殺到し、その中には後にモーニング娘。としてデビューすることになる石黒彩(※スタジオ審査にも進出)なども参加していた。

 審査経緯に不明な点がいくつかあるが、最終的な合格者はtaeko・asami・kaba(KABA.ちゃん)の3人で結成されたダンス&ボーカルグループのdos(1996年3月デビュー)で、オーディションをきっかけに小室氏の右腕的存在であった久保こーじプロデュースで天方直実やL☆ISといった面々がデビューしている。

 コムロギャルソンに落選したものの、“沖縄の天才少女”と高く評価された亜波根綾乃は、その後のレコード会社争奪・大放出オーディションで12社から指名を受けて華々しいデビューを飾った。

 1996年10月には芸能事務所やレコード会社からの問い合わせが多かった候補者を集めてデビューまでを支援するプロジェクトとしてAIS(アイス)が結成され、福井麻利子・ABYSS(小林優美)・Say a Little Prayer(片桐華子・田口理恵・大櫛江里加)・FBI(大泉めぐみ)・佐々木ゆう子・石井ゆきの8人がデビューを果たした。

第1回 CM美少女オーディション

 1996年5月に第一興商「ビッグエコー」のCMに出演できる「第1回 CM美少女オーディション」が開催され、7月に約4,000人の中から樋口明日香が合格した。CMでは番組の司会を務めるナインティナインと共演して話題になった。

乱発オーディション

 1996年10月にavexのMAX松浦がプロデュースする「乱発オーディション」が開催された。3月までに5組のアーティストをデビューさせるという企画でYURIMARIなど4組を輩出した。

  • 1996年11月度:中村友理(伊澤真理と共にYURIMARIとしてデビュー)

  • 1996年12月度:周戸憲子(SHU:DOとしてデビュー)

  • 1997年1月度:該当者なし

  • 1997年2月度:源河里奈

  • 1997年3月度:三宅亜依(Like uncolored velvetのボーカルとしてデビュー)

第2回 CM美少女オーディション

 1996年10月に三井不動産リアルティ「三井のリハウス」のCMに出演できる「第2回 CM美少女オーディション」が開催され、1997年3月に映画監督の市川準に見出されて約8,000人の中から池脇千鶴が合格し、第8代目リハウスガールとして鮮烈な芸能界デビューを果たした。

 2次審査を通過した37人の中には加藤あい、安西ひろこ、後藤理沙、藤岡麻美(元チェキッ娘)、折田みゆき(元MISSION)がいた。安西は11人に絞り込まれた3次審査にも進出した。

シャ乱Q 女性ロックボーカリストオーディション

 1997年4月に小室哲哉の「コムロギャルソン」、MAX松浦の「乱発」に続く新たなボーカリストオーディションとしてLINDBERGや相川七瀬のような女性ロックボーカリストを発掘するシャ乱Q 女性ロックボーカリストオーディションが開催された。その中には後にモーニング娘。としてデビューする中澤裕子・石黒彩・飯田圭織・安倍なつみ・福田明日香の5人が含まれていた。

 1次審査は福岡・大阪・東京・札幌の4ヶ所の会場でそれぞれ行われ、通過した52人を対象に歌唱審査が行われた。2次審査はスタジオに観客を入れた状態での歌唱審査、その模様をVTRでチェックしたシャ乱Qからの発注内容に基づく収録(またはスチール撮影)が行われた。中でも安倍なつみはシャ乱Qから高い評価を得て、はたけの「即決勝」の一言で最終審査への進出が決定した。

 最終審査は福岡から3人、東京から3人、大阪から2人、札幌から3人の計11人が進出し、生活態度を通じて人間性を見極めたいとの理由で3泊4日の寺合宿が行われた。

 メニューは以下の通り。

  • 朝5時に起床

  • 朝のお勤め

  • 本堂の掃除

  • 午前はダンスレッスン(夏まゆみ指導)

  • 午後はボイストレーニング(笠木新一指導)

  • 夕方のお勤め

  • 夜7時に瞑想

  • 夜10時に消灯

  • 4日間とも全て自炊

  • 禁酒・禁煙

  • 夜間の外出禁止

 寺合宿終了後はスタジオで11人による創作ダンスと課題曲「GET」を1人ずつ披露し、抜き打ちでシャ乱Qとの個人面談が行われた。

 1997年8月24日放送分で即戦力と歌唱力を重視した結果、約9,900人の中から当時18歳だった平家みちよが選ばれた。このままオーディションが終了するかと思われたが、シャ乱Q 女性ロックボーカリストオーディションは新展開へと突入し、インディーズCDを手売りで5万枚完売させる敗者復活プロジェクトのモーニング娘。が始まることになった。

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ほりすた
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