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最近のrave、partyでの差別騒動で思い出したこと、改めて感じたこと
最近twitter(X)で老舗のrave「ラビリンス」主催者のトランスジェンダーについての見解が差別的だったということで、ちょっとした騒ぎになっている。 演者が出演をキャンセルしたり、raにも取り上げられている。
他に最近以下のような投稿も。
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客観的な事実を知らない&推測であれこれ両件に対し公に意見を言うのは個人的にどうかなと。
ただ、この2件から改めて自分が参加してきたrave, partyを振り返ることで感じたこと、思い出したことがあった。
自分と当時の彼女(今カミさん)を1995年の初raveに誘い、連れて行ってくれたのは大学のゲイカップル同級生。彼らはraveでも仲間から普通に受け入れられ、知る限り差別は受けていなかった。
ピッツバーグ、マイアミ、その近郊という都会が近かったから?たまたま?かはわからないけど… 自分たち自身、米国のrave、クラブカルチャーの中で人種差別、その他差別を受けた事は一度もなかった。オランダ(アムス)の廃墟パーティ&クラブ巡りでも同様(2000年頃)。
当時のアンダーグラウンドなrave、partyではアジア人が少なかったためか、踊ってると「どこからきたの?」と話すきっかけになったりで、逆に日本人、アジア人いうことを強みとして感じていた。
ダンシングハイを求める場所でもあったけど、人とも繋がれる大切な居場所だったなと改めて。
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みんなそれぞれ過ごしてきた違う人生。育ってきた違う環境。価値観。その中で差別的概念を持ち、意見が違ってくるのも普通。
友達、ソロでただ単に楽しむため。
溜め込んでいる鬱憤を踊って晴らすため。
rave、partyに来る理由も違う。
ただ、せめてrave, party中は人種、性別、政治的理念、性的指向、年齢、その他「違い」からくる軋轢全てから解放され、みんなが楽しく過ごせる場所であってほしい。踊ってる人も、そうでない人も。
差別的概念を持ってしまうのはしょうがないとしても、それをわざわざ公にする必要はないと思う。差別は相手を必ず傷つける。
せっかくなら気持ちよく遊びたいでしょ😂
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また、感動・喜びは一人で味わうより、シェアできる人がいると倍増するし、人から人に感染するものだと思う。
みんなが楽しめる環境はその感染者を増やし、rave, partyがただのイベントでは無く、一生の思い出になるイベントに昇華させてくれる大事な要素。
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そんな一生の思い出になるrave, partyは稀だけど、いつもどこかにあると思う。アンダーグラウンドかメジャーかなんて関係なく。
経験上、それに巡りあうには自分をまず解放する必要がある。他の人、その場に対してのリスペクトを忘れず、どれだけ自分を解放しているか?
本格的に始まるraveシーズンの前。
初心を思い出させてくれた出来事に🙏
『HAPPINESS ONLY REAL WHEN SHARED』(幸せは分かち合ってこそ)
イントゥ・ザ・ワイルド (2007)