引き寄せの法則が引き寄せたこと、渇望のない引き寄せはただの不幸な未来予知という話
私は引き寄せの法則が使える。
と言っても、自由に使える訳じゃなくむしろ不自由に不都合な現実まで引き寄せてしまうので困ってさえいる。
私が引き寄せの法則を体感したのは中学校3年生の時だ。
同じクラスに友達になりたいと強く願った女の子がいた。
その子はスクールカースト最上位で、絵に書いたような陽キャというやつだった。同じ学年なら誰でもその子を知っている目立つ女の子。
かたや私は陰キャも陰キャ。同じクラスにならなければ名前どころか存在さえ知られないだろう地味な生徒だった。
それでもその子と仲良くなりたかったわたしは毎日ここからここまで何秒息を止められたら好かれる、ここからここまで走りきったら友達になれる…という行為を繰り返していた。
もはや強迫観念に近いそれだったが、不思議なことにそういった行動はほとんど成功を収めた。
成功を収める度にまさかそんな…とは思ったが、チャレンジは何回も成功し続けた。
そしてそのチャレンジたちを初めて数ヶ月後、なんと本当にその子と仲良くなれたのだ。それも強烈なスピードで仲良くなり、10年以上経った今も月に1度は遊ぶ程仲がいい。
その当時は引き寄せの法則なんて単語は知らず、もはや世の中に存在してたかも分からない。
しかし私は確実にあの時、引き寄せの法則を使ったのだ。
味をしめた私は、日々の生活の中で少しずつ引き寄せのチャレンジを取り入れた。例えばここで左膝を10回叩けたら今日の先生は機嫌がいい、今日は授業で当てられない…などだ。
そうやって小さな引き寄せ行動をしていくうちに、左を使ったチャレンジは実現しづらく、右を使ったチャレンジは実現しやすいということに気づいた。
高校の推薦入試は左をメインにしたチャレンジを行ったためか、全く上手くいかず撃沈してしまった。逆に右を使ったチャレンジをした一般受験は無事合格することができたのだった。
という訳で、私には右が引き寄せを行うには縁起の良い位置だと分かった。
しかし高校生になる頃には、チャレンジ自体が強迫観念のようなものに変わってしまい生活が苦しくなってしまい、日常生活に支障をきたすようになったことを機にチャレンジをすることをやめてしまったのだった。
そんな中で次に芽生えたのが直感だった。
私は嫌なことほど直感を当てる事が多かった。
高校時代に友達ができない気がして本当にできなかったり、なんとなく話す子ができてもこいつに取られるな…という予想通りその子が友人を奪って行ったりなどだ。
知りたくもないが未来が変に分かってしまう。
大学受験も、失敗する事が早いうちになんとなくわかっていた。若かりし高校生の私ら浪人生を毛嫌いしていたが、しばらくするとなんとなく自分が浪人生になる事を心の奥が勝手に確信していたのだ。
そしてその通り、私は浪人生になった。
浪人生になっても、私は第一志望には受からない気がしていた。代わりに行くのは、自分がその時一番嫌っていた大学であろうという確信が何故か拭えなかった。なんど志望校であのチャレンジをしても失敗し、逆に嫌っていた大学に受かるというチャレンジを行うと高い確率で成功した。
そうして、私は確信通り嫌っていたはずの大学に進学する。嫌ってはいたが、受かった大学の中では条件が一番良かったので仕方がなかった。
驚きや落胆はもうなかった。だって半年以上前にこうなる事が確信として自分の中にあったからだ。
そうして大学4年生になり、就職活動の時期。
合同説明会で聞いた一つの企業が、私の心を惹きつけた。それと同時に、私はこの企業に入るという確信が降りてきたのだった。
その通り私は即その企業から内定をいただいた。その年の内定者第一号であり、友人たちの誰よりも早く第一志望からの内定をもらい就活をやめた。
しかし内定をもらって半年を過ぎた頃、私はこの会社を辞めるなという確信が降りてきてしまった。
どうにも自分の中で会社員をするというイメージができなかった。頑張っても頑張っても働き続けるビジョンが見えない。
そうして入社したはいいものの、やはり正社員としての生活に耐えられず1年もせずに会社を退職した。
退職をする前、正社員として働いている頃には、常にフリーターになる自分のイメージがあり続けた。拭っても拭きれないイメージだった。そうして私は想像通りフリーターになった。そうした抗えなかった確信の先の未来を今生きているのだ。
引き寄せの法則のキモは確信だと色んな本が言っているが、私はその意味がとても理解できる。
たしかにあの確信を使いこなせば、何にでもなれると思う。
しかし私はどうも引き寄せの法則を使いこなしているというより振り回されている気がする。
引き寄せたい未来だけじゃなく、引き寄せたくない未来まで引き寄せてそこから逃げる事ができない。
半ば自分に対する未来予知に近いものとなっているかもしれない。
ちなみに今はほとんど未来への確信がない。
あるとするなら、漫画喫茶難民になっているかホームレスになっているビジョンが昔からどうも覆らないのでこの二つのどちらかになってしまうのかもしれない。
できればもちろんなりたくないが、なりたくないでこの確信から外れた未来はほとんどないので諦めているというのご本音だ。
なので私はきっといつかホームレスになって死ぬんだろうな…とぼんやり考えてしまっている。
できれば引き寄せの法則を正しく使って、この暗い未来から逃れたいが…物事を引き寄せるには強い願いの力が必要な気がするのだ。
私は正社員として縛られない生き方に対する強い憧れと引力を感じており、その結果が今のフリーターとしての自由な生活であり、未来の確信としてある漫画喫茶難民とホームレスなのだと思う。
だから今私が最も欲しいのは、お金や社会的立場への渇望だ。
この二つのどちらかへの憧れや渇望があれば、未来を書き換えより幸せな未来を引き寄せる事ができると考えている。
しかしどうも私はお金と立場への欲求が人より大分薄く、強く求めきる事ができない。
お金をもらう=重い責任が発生する、という脳内の無意識がお金と立場への羨望を無くしてしまっているのだ。金がないという責任のなさに安心さえしている。
強い欲求による祈りが、確信される未来ではない別の未来への確信へと変わり引き良さの法則が発生すると私は考えている。
つまり裏を返せば、強い欲求がなければ引き良さの法則は、変えられない未来を予知する力にしかならないということだ。
確信をうまく使いこなすには、欠乏と渇望が必要だと私は考えている…が、どうにもお金がないことに慣れてしまい、渇望が私の中に生まれないのがここ一年の悩みの種だ。
お金と仕事が結びついたマイナスイメージをどうにか払拭する方法、知っている方がいらっしゃれば教えていただきたく存じます。