意見|竹田ダニエル氏のツイートから考えたこと:少しずつでも世界を明るくするために

竹田ダニエル氏の以下のツイートを読み、ちょっとしたモヤモヤを抱いたので、それをきっかけに考えてみたことを書き記す。


イスラエルとパレスチナの件はとても複雑だから、どちらかの立場に身を置いて発言することばかりが正しいとは思わない。(追記:ほぼほぼ一方的な虐殺の様相を呈しており、「複雑だし、ルーツ的にどちらにも関係ない自分みたいなのがどうこう言うのはちょっと…」というのとは別の次元で、今はとにかく「虐殺反対」を唱えるべきだと思っている。 さらに追記:また、様々な情報を調べていると、いろいろな出来事があるという意味では「複雑」かもしれないが、イスラエルによる一方的な暴力が行われ続けているという意味ではあまり「複雑」ではないということもわかった。)
それでも、ひとつの深刻なイシューとして認識することは、国際社会の一員として大切なことだと思う。だからこそ、上記のツイートでの「ヘラヘラ笑う」「シェアされた記事をスルー」という留学生の態度が事実だとしたら、これから改めるべきだろう。

しかし、その留学生のことを見下すようなこれらのツイートに、果たしてどれだけの意味があるのだろうか、とも思う。ツイートにあるように「悲しいステレオタイプを自分で助長」して、「社会問題やカルチャーに関心を持たずに日本に帰って行く」かもしれない目の前の留学生に対して、「自分は正直こう思ったんだけど、どうかな」と問いかけて会話をしてみれば、新たに関心を抱き、今後はステレオタイプを助長しなくなるようなきっかけになりえたのではないだろうか。

もしかしたら、そんなことはしたくないと思うほどに、その留学生が不適切な言動をしていたのかもしれない。でもそうなら、ツイートの主題がその言動に関するものになっていたり、そこまではいかなくとも何かしら触れるはずなんじゃないかと思う。根拠という根拠は無いけれど。それかもっと単純に、忙しいであろう竹田ダニエル氏のことだから、追加で会話をする時間的な余裕が無かっただけなのかもしれない。

仮にそうした事情があったとしても、こうして蔑む対象にして、フォロワーやツイートを見た人による「そうだよな。これだから日本人は政治や国際問題に関心が無くてダメだ。」みたいな内輪の共感を喚起したところで、何か希望はあるのだろうか。むしろ、こうした知識人とされるような層が、誰かの無知や無関心に対して、その背景(または、自分がそうではない背景)を考慮することなく揶揄してきた歪みが、ここ数年の間に問題として噴出しているという見方もあるのではないか。

これらのツイートを見て、新たな気づきを得る人や自分の言動を省みる人よりも、相対的に自分の正しさや優位性を再確認して安心するだけの人のほうが多いような気がして、そこにポジティブな意味はあまり無いんじゃないかと思う。知識や想像力を、誇示して誰かを見下すためにではなくて、もっと周りにいい影響を与えられる、前向きなかたちで使っていきたいなと思うきっかけになった。

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