自分のセクシャリティを認めるまで②-所有の概念と子育て・性的指向
セクシャリティにはいくつもの要素がある。
男か女かだけで区別できないのはもはや明らかだ。
かと言って、LGBTの概念だけでも表しきれない。
そもそも「LGBT」はセクシャルマイノリティを表す言葉。
全ての人を対象としてセクシャリティを表そうとするなら、最低でも以下のような要素の組み合せをすることが必要だと思う。
-生まれ持った体の性
-体の性自認(体はどうありたい?)
-精神的な性自認(見た目どうする?とか。)
-性的指向(恋愛対象となる性は?)
ひとつひとつの要素を取っても、答えは有限ではない。
アナログ的にたくさんのあり方がある。
さらにその組み合わせなんだから、「同じセクシャリティの人はいない」という方が自然だということに気付く。
自分以外、みんな異性だと言っていいと思う。
性の表現には「SOGIESC」なども確立されている。
これまで、男か女かで分類してきたことは、かなり力技だったと感じる。
これからは、ひとつひとつのセクシャルが存在感を持って輝ける時代になりつつある。
そうなると、セクシャルマイノリティという言葉自体が浮いてくる。
そう遠くない将来、言葉として消えるんじゃないかな。
まずは自分のセクシャルを、ひとつひとつの要素について考えてみることから。
善悪の概念とか、こうあるべきという信じ込みとか、どう思われるかという不安を排除して考えるのは、新しい自分を見つけるみたいでドキドキするはず!
正解はないし、厳密でなくてもいいし、答えは変わってもいいと思う。
セクシャルに少しでも違和感を感じる方には、気軽に分析する機会を作ってほしい。
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私も、自分のセクシャルを全体的に見通せるようになってきた今だからこそ分析しようと思います。
なかなか踏み出しづらい方、いらっしゃいましたらご一緒にどうぞ。
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ここで、私が最近いただいたメッセージをご紹介させていただきます。公開のご承諾済みです。
この方とは最近知り合いました。
この方は、たまたま私のセクシャリティを詳細に知ることになりました。
そのたまたまは、ドラマのような偶然が重なった展開でした。
(以下、メッセージの転載)
私も緒霞さんと同じような感覚を持っていて、
私はそれを否定的…というか、
持ったらいけない感覚なんだろうな~と思ってきたのですが
緒霞さんはしっかり受け止めて肯定して
堂々と生きていらっしゃるのを見て
すごく眩しいというか、カッコいいというか、
私も自分の感覚を認めてあげてもいいんだ!!
と思わせて頂けたことが本当に有り難いです。
私にとって緒霞さんは希望の星というか、
ずっと自分が否定してきた部分を
初めて肯定してくれた方なので
すごくすごく応援しています!!
絶対に私のような人、他にもたくさんいるはずです。
肯定してもらえるだけでも
こんなに嬉しいことなんだって
他の人にも教えてあげたいです…。
(ここまで)
この方とはまだ直接お会いしたことはありません。
先に挙げたセクシャリティを作る要素のそれぞれが、私ととても近いのです。
【生まれ持った体の性、体の性自認、精神的な性自認、性的指向】
私が、性エネルギーを使ったヒーリングを通して活動していることが、こんなにも他の方を肯定できること、希望を示すことができていることを知りました。
また、直接ヒーリングでお会いしなくても、私のやっていること、目指しているところに共感して勇気を出してくれる方がいるんだということも。
セクシャルマイノリティというくくりで傷ついたり、傷つくのが怖くて隠している方は、潜在的に相当いらっしゃるんだろうなとも思いました。
私がセクシャリティを隠していてもヒーラー活動はできるのですが、そこをオープンにすることでヒーリングを受けていただく関係になる前にも救える部分があるということがわかりました。
もっと正確に言うと、私はもう隠していたくないんだと思います。
メッセージをくださった方も、私に対して初めてカミングアウトできたということを喜んでいらっしゃいました。
「隠さなければいけない自分」って何だろう?と思います。
本当の自分を少しずつ、生きてみませんか?
まずは安心できる場で、安全なペースで。
以下、有料設定にて、必要な人にお届けします。
私のセクシャリティのベースにあるのは、ひとつ前の記事でお伝えしたように、ポリアモリー的感覚です。
(ポリアモリー「的」としているのは、ポリアモリーは関わる相手全ての合意も得ることが定義に含まれているからです。ポリアモリーという言葉を使う時にその点、いまいち不便さを感じています。)
契約とか、関係性の概念にとらわれない関係が理想です。
この理想も、所有の概念が薄いことによって生まれているのだと思います。
私は夫だけでなく息子に対しても所有の感覚があまりありません。
体の中で存在を感じていた胎児と、生まれてきた息子が私の感覚としてつながらないんです。
息子としてどこかに存在していたその存在が、出産してはじめて目の前に現れたような感覚です。
息子の顔に、私に似ている要素を見つけても、不思議としか思えません。
DNAも幻想にしか思えません。
息子がモテても全く嫌な気がしません。彼は3才の時に彼女がいました。
小学生になったら、さらにウソみたいにモテました。
息子も私も、ただ喜んでました。
彼のモテっぷりを知る近所のお母さんに「息子がモテるの嫌じゃない?」と聞かれてはじめて、そういう感覚もあることを知りました。
こどもとは言っても私の物ではありません。私の思うように誘導しては失礼だと思っています。
安心できる場を提供し、必要だと思うことを教え、社会に送り出すのが私の役目です。
さて、本題の私のセクシャリティについて書きます。
-生まれ持った体の性 ⇒ 女性
-体の性自認 ⇒ 女性がいい
-精神的な性自認 ⇒ 中性
-性的指向 ⇒ 男性も女性も恋愛対象
私は、女性も好きになります。
この部分がいちばんカミングアウトしにくいです。
ポリアモリー的なので、好きな男性と好きな女性がいる、という状況がいちばん多いです。
好きな人が同時に4人いたこともあります。
初恋は6才の時。
小学校の同じクラスの女の子でした。
当時すでに「女の子を好きになる=悪いこと」という概念が私の中にできあがっていたので、その気持ちを誰にも言ったことはありません。
私は病気なのかな、とか、その子には男の子っぽいところがあるしな、とか、理由を探していました。
気持ちを肯定するための理由探しですよね。
けなげだなぁと思います。
人を好きな気持ちが、罪悪感と不安しか生まないのは悲しいことです。
間もなく、その子をこっそり好きなまま、同じクラスの他の女の子も好きになりました。
当時からポリアモリー的意識があったんですね。
こうして振り返って、はじめて気づきました。
その後もそんな調子で、男子も女子も、好きな子がたくさんできました。
年齢差も気にならないみたいで、学校の先生や塾の先生もよく好きになりました。
高校生の時、とても気の合う友達に対して恋愛感情を持ったことがあります。
一緒にいるとドキドキするわけでもなく落ち着くので、恋愛感情ではないように思っていました。
その子が欠席だと、穴が空いたみたいに寂しかったです。
やっぱり好きってことなのかな?と思うのですが、また会えると落ち着くので、この気持ちは何なんだろうと思っていました。
ある時、その子が私の後ろの席に座っている時に「好きだよー」と言ってくれました。
私はなにもリアクションできませんでした。
自分に自信がなさすぎでした。
その後も、私がその子にそのことに対して何か答えることはできませんでした。
すてきな彼氏と付き合っていた過去もあるのに、なんで私!?という、とまどいの気持ちも大きかったです。
それも自分に自信がなかったせいなのですが。
言い訳してないで受け取れば良かったと、後悔しかしていません。
大学の時は、女子寮で生活しました。
寮生とは恋愛感情を持つことがなく、距離の近い先輩、後輩、同期として過ごしました。
女の人に対して恋愛感情を持つと言っても、一緒にお風呂に入っても下心ある目で見るわけではありません。
今も、女湯に入っても発情するわけではありません(笑)
女性の体を見たいという気持ちも特になく、入浴中もいたってフラットな感情のままです。
好きな人の体を見るのは緊張するし、恥ずかしいです。
気持ちが先です。私の場合。
こうして38年間、女性も好きなことを隠していました。
性の解放につながるヒーリングやセッションを重ねてきた結果、私にとってはやっぱりそこが引っかかっている部分だと浮き彫りになりました。
いつしか、そこも突破できる心境になりました。
「プロの力を借りよう」と。
次回以降はレズ風俗の体験談を書きます。
すでに何回もお世話になりましたので、シリーズものになります。
追記1:このヒーリングを行うことで、私が性的に興奮することはありません。負荷のかかった状態でも実証されました。レズ風俗体験談の2回目で触れます。
追記2:私の息子もポリアモリー的感覚の持ち主です。女の子が大好きで「1人としか結婚できないならしない」と言っています。または、一夫多妻の国の人になると言っています。小学校2年生の時の発言です。