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トイレかわいい。トイレ掃除をして思うこと。

わたしの掃除対象は、そんなにできたやつじゃない。音姫なんてないし、手を洗う蛇口も無いし、保温効果もだってついてない。
ハイテクではなく、ローテク。ただ静かに佇み、最低限のことしかいたしません、と言っている気がする。
掃除は前からしていた。しかし日をだいぶ跨いで、気が向いた時にやる、といった感じだった。これはこれで汚れがひどく溜まっているので、終わった後の達成感はすごい。
トイレの居姿に気づいたのは、トイレ掃除を最近進んでよくするようになったからだ。
掃除をしたその日、綺麗になった、と満足する。そして2日後ぐらいになってまた掃除をすると、前回掃除していない場所を発見したりする。それがなんだか嬉しい。「今日のお掃除ポイント」として、新たにわたしは世界を認知したことになる。さらに、トイレを使用するたびに「今日はここを掃除したんだな」と思い、愛らしさが湧いてくる。トイレに。
汚れたところでなくても、今まで気づかなかった形状や、色味、温度が現れて、エモさを味わえる。アナログなトイレであるせいか、レトロな喫茶店に入ったときに感じるエモさがトイレを見て湧き上がってくる。
掃除とは、心を磨くことである。どこかで聞いたなぁ。綺麗に磨かれたものを見ると気持ちよくなるし、掃除をしたっていう事実がわたしを喜ばせてくれる。
掃除とは、観察である。汚れがある場所を発見するには相手をよく見なければならない。
掃除には、出会いがある。観察は世界を区切り、見出すことに役立つ。
トイレとわたしに関係を繋いでくれたのは掃除だった。私はトイレの雑貨の可愛さに似た魅力を発見したし、トイレは綺麗になった。
掃除の魅力を見つけた気がする。もう少し続けたらもっと見えてくるものがあるだろうか。

明日はトイレットペーパーを三角折りにしよう。

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