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捨てることで得るもの。捨て、自分が持っていたことに気づく、ということ。

捨てたい、捨てたい!捨てられるようになりたい。捨てられるように、捨てても自分の元に残っているように、しゃぶりつくしたい。私は今日も、生きている。

昨日は捨てることについて考えていた。掃除をして、部屋を空け、仕入れ、磨き、自分のものとなり、捨てられると感じた時、また捨てる。そしてその時がそれを本当に得ることであり、私はその段階まで行きたい、と昨日の文では書いたつもりだ。

今日は私が捨ててきたものについて考えている。

高校受験の時、友達との楽しい帰り道を捨てた。塾へ直行するためだ。捨てたことによってわかったことがあった。勉強のため、一緒に帰らなくなった私。受験勉強という壁が見えてきて、私は、自分たちとの楽しい時間よりも勉強を優先している。そんな私を彼女らは、拒まなかった。中学生は多感な時期だ。反感を持たれるかもしれないと、正直思っていた。

しかしそんな私の恐れとは反対に、彼女らは私のその行動を受け入れてくれた。むしろ、たまに会った時には、悩みを打ち明けてくれたり、どれくらい勉強が進んでいるのか教えてくれたりした。そして最後には「一緒に頑張ろう」と言ってくれるのだ。

うれしかった。私は友達とのつながりのひとつ、かつ、当時一番大きかったものを捨てた。けれどつながりは残っていた。むしろ捨てることで、そのつながりを発見したのだ。

昨日の文章に補足する。捨ててさらに得ることもある。得るために、捨てられるようになるまで磨く、というのもあるが、捨てることで思いがけないものを得ることもあるかもしれない。

捨てたり、得たりする。それは生活であり、積み重なって人生となる。それらを起こすこともあるが、いつの間にか起きていることもある。さらに、どちらも同時に起こっている。その躍動をいかに捉えられるか。

私はたくさんを得たいと思っている。しかし、何を得たいのかはわからない。躍動を全身で味わう力、静かに観察できる力、感受性が欲しいのだろうか。

まだわからない。だからこうして言葉にして、頭から出し、磨く。今日も。

ありがとうございました。

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