時折浮かぶ「何故生きているのか」という疑問について①
「何故生きているんだろう」言葉だけ浮かぶ。特にこの先を考えていることはない。確かない、はず。少し考えてみたい。
どうしてこの疑問が浮かぶんだろう。何を尋ねたいんだろう。誰に尋ねているんだろう。
この疑問が浮かぶ理由を今日は考えてみる。
この声が聞こえる時は、大抵何もしておらず、心に重たい霧がかかっているような時だ。そしてその霧の発生源だってちゃんと存在する。これに向き合いたくないから、大きな問いを立てることで思考をあやふやにして、誤魔化す。
そんな自分を馬鹿にしているフリをして嗤うが、本当は自分に酔っている。
「ああ、なんもできないなぁ、なんもしてないなぁ、なんか悲しいなぁ(なんて壮大なこと考えてんだろ)」
多分ね。とりあえずこの疑問は、自己陶酔の手段なんだろう。酔っぱらうのって気持ちいいよな。何も得ないけど。
快楽に向かうための疑問?それがこの質問の存在理由?
ただこの質問、わたしが病んでようが、料理してようが、鍵無くして探し回っていようが、何してる時も存在しうるものとは思う。
だからわたしにとっての生きる意味掘り下げようね、っていう動機かぁ。それにある程度の答えが出れば、もう疑問としてかなりの頻度で上がってくることがないのでは?と思うんです。
多分答えをみんな探してる。だから世の中には、人の生き方紹介した文章が出回ってる。
ゆるゆる生き方考えていきましょうよ、というnoteになりそうな、予感。需要あるかな。ないな。答えは多分出ない。ただ、グルグル回って燻っている人の言葉を綴っていこうと思います。
さぁ!ようこそ!沼へ!
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