豊かな人生って?=何が必要なの?

一年ぶりの投稿となりましたが、たまには頭の整理をする為にも「何か書こうかな~」と思ったテーマは幸福論。

豊かな人生というと様々テーマがありますが、要は欲求が満たされたかどうかの度合いな気もします。
この欲求ジャンルの優先順位付けをベースに話すならば、本来は生存欲求が最も幸せに直結している訳ですが・・。

で、先に結論を書きますと、”幸せだと感じる”事が結局幸せであって、例えば紛争地なんかで生死の場面で生活する方々からすると安心して寝れる事が最大級の幸せだったりします。
「あぁ今日も生きれた」という。
そしてその「今日も生きれた」という最高の幸福が毎日続けば段々慣れてきて「風呂に入りたい」や「もっと美味しい物を食べたい」であったり「旅行に行きたい」とか色々なると。

我々日本人は普通にしてれば生死を彷徨う状況に追い込まれる事は稀で、まぁ普通に学校いって大学に進学してキャンパスライフを送って恋愛もしつつ、新卒の給料でも年収250万円ぐらあれば食べ物に困らなくて太る自由もあるし、布団で寝れるし恋愛も出来るし結婚して手当とかもらいつつ子供をつくる事も出来る、悩みを聞けば「自分らしさってなんなのかなぁと思ってさ」とかそんな環境下で生きていく事になります。

この”生存”というやつが幸い日本ではそこそこ担保されているので、生存欲求というやつに我々はもう満たされてしまっていて幸せを感じれない。

でもとても大事なのですが、ここが結局全てだったりしていて、お金かけなくても美味しいものは幾らでも食べれるしふかふかの布団で寝れるんですよ。
ならば既に幸せなんじゃ・・・?と思う訳ですがそうはいかない。
人間は究極の社会的生物と呼ばれるだけあって、集団での生活を望む生き物であるが故に友人や家族、集団に交わりたいという社会的欲求がやってきます。

その次は有名なワードにもなりましたが承認欲求で、最後は自己超越欲求だそうなのですが・・・。
マズローの欲求5段階説的にいうと

こう並べてみてみてふと思うのが、最後の欲求が自己超越欲求だとすればですよ、結局自分のなりたい姿=理想を超える事が欲求の最後ですよね。

とするならば、”自分がなりたい姿”って人それぞれ違いますよね。
恐らくこれって一言では言えない事だと思うんです。
自己超越は最後にしても、自己実現への過程で例えば経済的自由が欲しいとして「お金持ちになりたい!」と思ったとして、実はその内部には生理的欲求に安全承認にと複雑な欲求が絡んでますよね。
でも本当の目的はお金に追われる事なく豊かな生活をする為に”お金持ち”になる訳で。

だから”お金”はあくまでも”道具”であって、道具が増えようが幸せになる訳ではないんですよ。
使い道によって必要な量がある、というだけの考え方で正解です。

”コスパ”という言葉通り、900円も出せばかなり美味しいラーメンは食べれますし、お金持ちの方々も一万円の伊勢海老ラーメンを毎回食べたい訳でもなく、たまには吉野家にも行きますし自炊もします。
実際お金持ちの方々が高い食べ物ばかり食べている訳ではなくて、彼らは”食べたいもの”を食べています。

僕はお金持ちではないですが、お金の必要性ってあくまでも”生活の為”であって、”欲しい物”と”必要な物”は区別して考える様にしています。

一人前2万円の鉄板焼コースは人と食事する時にたまには行くかもしれませんし、これはその人との時間共有を目的とした”必要な物”への出費であって、富裕層の方々も一人の食事でそんな所にいったりはしません。

普段の食生活もスーパーで100円のレタスじゃなく無農薬のレタスを200円ぐらいで買っていたりするぐらいのレベルだったりして、エンゲル係数的には一般家庭のせいぜい2~3倍ぐらいだったりします。

「家」でさすがに家賃はそこそこしますが、そんなこんなでどうやら経済がもたらす幸福価値の上昇カーブが鈍化するのは年収800万円だそうですよ。
参考:年収800万円を超えると幸福度は上昇しなくなる

という事は「お金持ちになりたい!」を紐解いていくと年収800万円程度あればそこそこ実現できたりする訳であります。
更に田舎の場合だと家賃が安いですから、東京の家族向けマンションである程度広い所だと年間300~400万円ぐらいしますが、仕事場所を地方に移せば年間100~150万ぐらいで結構な家に住めますから、年収600万円ぐらいでも幸福度上昇カーブに達する事ができます。

それ以上を求めると300坪の家を建てたいだとか車はテスラじゃないとリームーみたいな話になってきますが、どうやら「お金持ちになりたい!」で必要な欲求レベルは安全欲求の範疇だという事が見えてきました。
じゃ、何が我々を幸せにする事を防いでいるのか。

恐らく答えは承認欲求であり、つまり欲求ピラミッド上層の”承認欲求”とやらを操れば幸せになりやすい、そんな言い換えができそうな気もしています。

ただ年収800万てそれなりの努力が必要ですから、この辺りをどう自身に落とし込むかは必要そうです。
そして仮に年収800万あっても休みなく働き続けなければいけないなら豊かとは言えないですよね。
※お金の為に自分という資源を大根おろしの如くすり減らすのは辛いです

私自身の豊かさの方程式は
1に健康
2に人
3に時間(時間はお金で買える)
※億万長者であれ人に恵まれていようが末期ガンで動けないなんて事になっては幸せだとは良い難い
に加えて4に自己実現(超越)

これがどうやら豊かさの定義になりそうな気がしてきます。

ですので自己実現のバランスを調整する事が大切。

先程の年収800万の幸福学的な話でもそうですが、現代社会である程度豊かに暮らすなら、確かに年収800万円は必要そうです。
という事で年収800万稼ぐ努力や挑戦をしてみる。
※1.5倍ぐらいの無理を5年ぐらいやれば恐らくどんな仕事でもいけそうな気がします
※それが無理な環境で働いているなら転職か起業をオススメします

野球で130kmのストレート投げれる様になったとして、その方がプロリーグで戦えば勝てませんが、草野球だと活躍できます。

”プロリーグじゃないと嫌なんだ!”という発想も理解はできますが、”別に草野球で良い”と考えた方が個々人の幸せとしては成立しやすいと。
そして130kmぐらいの球はそこそこ頑張ったら投げれる様になって、投げれる様になっておくと後が楽ですよ、と、そんな話です。
※特に20代で挑戦や努力をすると人生の投資効率としては最も高いパフォーマンスが出ると思います。
※基本30代は20代で培った基礎能力を活かして応用を学ぶ、40代は学んだ事で結果を残す、こんな感じな気がしますので、基礎能力がないと後が辛いです

日本って一回失敗すると”ダメなやつ”という烙印を押されてしまう訳ですが、僕は”挑戦した優秀な方”だと思っていますし、年収800万はたこ焼き屋を一人でやってもやり方次第で全然いけます。
もちろんお金が全てではないし、年収300万が不幸せって話ではなくて”誰でもそこそこの努力”で800万ぐらいはいけますから、”お金がほしい”という思いがあるなら選択肢はありますよという事だと考えています。

でも先程も申しましたが、時間やプレッシャーに追われる年収は”自由”というものを侵害してきやがりますので、私が思う現代社会における幸せの定義を下記に簡単に記します。

・まず健康で人を大切にする
・年収800万以上を継続が苦痛じゃない方法かつ継続可能な方法で達成する
・社会の役に立つ
・時間的余裕も確保する

さて、最後になりますが去年から「コレ教えて欲しい」から始まってコンサルタント的なお仕事が沢山きます。
人の役に立ちたいと思ってしまう性格なのと、内容が大体地域プロジェクトだったりしていて、故郷を良くする事は自己実現につながるので楽しくやらさせて頂いています。

あくまでも、自分の自己実現欲求である「やりたいと思えて継続可能な事で収入を得ながら、周りの役にたつ人間として生きていく」という事を目標に生きていこうと思います。

来年、再来年、10年後の自分がどう考えているのかを懐かしむ為に書き残す駄文は以上です。


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