なぜ「インプレ」なのか?「レビュー」と言えない釣り具批評の話
ルアーのインプレ、リールのインプレ、ロッドのインプレ…。これらはコンピュータの普及・ネット回線速度の向上に伴って、いたる所で簡単に目に入る。あまり数の出回らないレアな製品でもなければ、大抵のものは何かしらの動画・ブログ記事などの他人の感想を見つけることができる。これまでもリアルの口コミや雑誌記事といった形で他人の感想に触れる機会はあったが、当然比べるまでもなく、今やそれを遥かに超える大量の前情報を我々は得ることができるようになった。もはやお店に足を運ばなくても、自分の代わりに商品を触り、評価を下してくれる人間が無数に存在しているからだ。我々がやることといったら椅子に座って指先ひとつ動かしていればよい。
多数の意見を目にすること自体はセカンドオピニオン的な観点から言えば有益であるし、自分が注目していなかった製品についてその良さを認識する機会にもなっているのであって、少なからず以前よりは選ぶ楽しみは増えたのである。
ただ、この「インプレ」という言葉、釣り以外ではあまり聞かない言葉である。「インプレッション」の方もおそらくほとんど耳にしないのではないだろうか。大手通販サイトのAmazonと楽天でも製品に対する口コミ、感想といったものは、「インプレ」ではなく「レビュー」と表記されている。
これが釣りの分野においてはむしろ「インプレ」ばかりを目にする。「レビュー」という単語を目にする機会は不思議なほど少ない。なぜだろう。
そもそも「インプレ」と「レビュー」、この2つの単語はどう違うのか。どちらもモノの評価を示す単語としてなんとなく認識してはいるが、はっきりとその違いを述べよ、という小論文問題があったら今のところ赤点になる自信がある。そこで意味の違いを正確に理解するために、哀れな人類は最新技術を頼ってみることにした。ChatGPT(とはいっても古いversionだが)に聞いてみるのだ。
なるほど、実に明確である。流石は話題の生成AI。つまり、インプレ(impression)はただの主観であり、レビュー(review)はより客観性を重視したものである。インプレは感想、レビューは分析、と言ってもいい。より正確性に重きを置いているのはレビューというわけだ。
ロングマン英英辞典でも調べてみたが、やはりレビューの方が正確性や深い考察といったニュアンスが強いようである。おおよそChatGPTの回答は信頼できそうだ。
だから、インプレ記事というのはしっかり検証していないけれど何となくの感想を書きつけているに過ぎない、実にソフトな製品批評記事という事になる。開封した製品を1回2回程度使ってみて、その感想を書いたり動画に撮ったりするのはまさにインプレと呼ぶにふさわしいのであろう。
そして、自らを不遜にもメディアと称する人間が、ネットの海に日夜まき散らす落書き様の提灯記事も漏れなく「インプレ」となっている。
これらは大抵、他社の類似品とじっくり比べてみることもせずに良し悪しを、というよりもただのベタ褒めを、製品が発売された後すぐに条件反射のように乱発しているのだから分析的な記事になるはずがない。インプレと自称するのはそのためだろう。質の低い批評記事を載せるに当って、「不出来で不本意なものを(時にはお金を払って頂いてまで)皆様にお見せするのは本当に申し訳ない」という自責の念がそこには表れている、のかもしれない。
なお写真は頂き物ばかり、メーカーのうたい文句をただ並べているだけという、直視するのも耐え難い記事も多数散見される。初めからメーカーのURLだけ貼っとけばいいんじゃないか?こういうのはインプレ未満のインスパイア記事とでもいうのだろう。今後は「インスパ記事」などと名乗るがいい。心の内(イン)にスパっと入る記事だと、洞察力の低い人間から良い方向に勘違いしてもらえるかもしれない。閑話休題。
釣具というのは使い捨ての物もあるが、糸・ルアー然り、もちろんリールやロッドなども大抵は使い込んで初めて価値が分かるもの。耐久性はもちろんだが、一年、二年と使い続ける中でいろいろなシチュエーションを経験し、取捨選択されていくものだと思う。だから、発売後にすぐ出るインプレ記事など、しっかりとした分析が為されているはずがないのだ。
ただまあこれは何も釣り具に限った話ではなく、そのあたりに転がっている商品レビューの大半は、ただ感想を垂れ流すならまだしも、しっかりとした分析をするでもなくひたすら製品の良い所を聞き触りの良い美辞麗句で騒ぎ立てているに過ぎない。釣り具メディアのように誰が見てもメーカーの広告だと分かるようなヘタな作りにはなっていないにはせよ(むしろそうであるからより悪質なのだが)、無数のヨイショレビューがこの世に飛び回っている。広告臭を巧妙に消臭し、さぞかし美味なように見せかけられているため、それらは抵抗なく受け入れられているだけなのだ。そういう意味で、大手メディアが出してくるレビュー記事のほとんどは「カレー味のウンコ」だ。一見うまそうで、喰って(読んで)みれば役に立ちそうではある。しかし、実の栄養価は限りなく低い。それどころかこれは不要な食事であり、食べるのに費した時間を無駄にしている。その点では、インプレと銘打つことによって「ウンコ味のウンコ」だと正直に打ち明けてくれる釣り具業界のほうが、まだ害が少ないとも言える。「インプレ」と書かれた記事を読まなければいい。それで被害は未然に防げる。
だが、私は何も全ての「インプレ」が無意味だと言いたいわけではない。そうではなくて、製品に対する評価を行う人には、自分の記事は「レビュー」であり節操なくウンコをひり出す輩とは違うのだ、と高らかに宣言してほしいだけなのだ。時間を使って分析・解析を重ね、じっくり考えてまた検証し、苦労の末作り上げた動画なりブログなりの製品批評に対して「インプレ」などと不要な謙遜をするのはやめよう。時に強い口調で製品を断罪するそれらの動画・記事ではメーカーから金を貰うこともできないだろうが、むしろ貰ってしまっているからこそジャーナリズムとは遠い所にある自称「メディア」を差し置いて、あなたは本当のメディアとして自立できるのである。その自由は、おまんまを貰って排便するだけのウンコ製造機が望んでももはや手に入れることが出来ないものだ。放り出すのは勿体ない。
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