日々が理性と本能の闘い
「好きな人がいて羨ましい」
「楽しそう」
周りからよく言われる言葉。
本当にそうなんです、楽しいんです!
「推しをつくりたい」
「どうやったらつくれる?」
これもよく言われる言葉。
こればかりは本当にわからなくて、ある時気づいたら好きになってる、としか言えない。
きっと私は息をするように推しができて、
眠るように沼に落ちていく。
遡ると中学生の頃からそうやって生きてきた。
ある歌番組でスーツを着こなし演奏するバンドを見たとき、スーツとバンドという両極端なイメージのものが綺麗に融合し切ない歌詞とメロディーを紡いでいる。
その衝撃に中学生ながらにあっという間に落ちていった。
そこからは絶えず推しが生活の一部に存在している。
遍歴は、、追々綴っていけたらいいかな。
推しがいることは、日々理性と本能の闘いだと
いつも言っている(誰に
私は残念なことに 理性〈 本能 だと思う。
思う、ではなくそうです。
年に何回も国境を越えることもあったし、
高いチケット代をもろともせず何度も同じ公演に
通ったこともある。
遠い未来、後悔するのかしないのか、今はわからないけど今が幸せだということは明白で、
といっぺん通りの感覚だけどこれからも
本能を大切にしつつ、理性とのバランスをとって
生きていきたい。
そんな徒然ならない日々と闘いの記録を
アーカイブ的に残せていけたらいいかな。