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それならこんな話をしてみては47

早く京都へ行けるようにならないものか…

以前、京都大阪に住んでいた頃はまった感じなかったことがある。

京都は静かに嫌味を言うらしいが、そんなお下品な人とは少なくとも私の周りにはいなかった。

気づいていなかっただけかもしれないが、皆様お上品で所作も美しく会話の内容も全て勉強になることばかり。

そして、何より得だったのが日本の本物の和と出会わせてくれた高橋さんというバイオリン奏者の奥様だった。

私は名家育ちでもなく父は一般的な会社員。母は専業主婦という環境下で育った。

本物の名家の人は人の身分など気にしない。

本質をよくご存知である。

本当に勉強させていただいた。

着物の着方、お茶、和菓子の食べ方などなど。


お上品で所作もゆったりした方々が多かった。

周りがそのような地域だったからだろうか?とも思ったが若かろうが、年齢を重ねた方関係なく譲りあったり知らない人同士すれ違えば「こんにちは😊暑おすな」などの爽やかな挨拶などもよくあった。

これは大阪でも奈良でも。なんとも心地よいものである。

挨拶は本当に気持ちの良いものだ。

まったく知らないのにすれ違うだけで挨拶。

おかげで自然と所作を身につけることができた。

そして、京都のど真ん中に住んでいた頃のこと。

曜日とゴミ袋を間違えて出してしまった日がある。

地域のゴミ担当?のような方が来て「引っ越されたばかりですね😊お教えしますね」と言って細かく教えてくれたが種類は違うが、また誤ってゴミ出しをした私に「これは今日と違いますよ😊」と他意のない感じで。

「すみません、教えてくださってありがとうございます。また間違える可能性があるのでその際にはご迷惑をおかけしますが、またお声かけていただけたら幸いです。」と言えば「他所から来るとわからないもんどす。何度も聞いて町を綺麗にしていきましょな😊」と。

この中に京都特有の言葉遊びと嫌味が入ってたとしても言い方一つでまった変わってくる。

その後、その方とは今でも贈り物のやりとり、たまに電話もいただけるように。

ところが、ここはまったく違う。

またあのゴミ検査のおばさんが朝から徘徊している。

マスクもしないで落ち着かず、道にある戸別収集のゴミ袋を持ち上げたて中身を除いたり。

隣の家のインターホンを鳴らさずに直接ドアを叩く音が聞こえて来る。

「今日、このゴミじゃないですよ!💢私、お宅のポストにゴミのポスター入れておきましたよねっ!?入ってませんかっ!?見てないんですかっ!?私が間違ってますかっ!?私が間違っていれば謝りますけどもっ!?」

同じセリフをどこにでも言っているようだ。

癇癪声でとにかくうるさい、下品で行動が落ち着かないという印象を持ってしまった...

偉いところに越してきてしまったものだ。