異星人生活日記⑥ 〔地下鉄・心の余裕・コーヒー店〕
よく地下鉄を利用する。通勤だけでなく、それ以外においても主要な交通手段は地下鉄だ。利用するたびに思うが、何をどう考えたら地下鉄なんてもの生み出せるのだろか。そもそも地下ってなんだい。おかしくない。
そう考えて地下鉄を見回すと、普段気にならないことが気になったりする。今いる場所は地上のどのあたりなのだろうか。ここは地上からどれくらい離れているのだろうか。普段の使う道や建物の下では今日もたくさんの人が行ったり来たりしている。地下も地上も頭上の空も、人は本当にどこでも行ける。そう思うと楽しいなって感じになる。
点滅しだした歩行者信号を見て、止まれるような心の余裕が欲しい。明日の到来を歓迎できるような、心の余裕が欲しい。なぜか知らないが、自ら首を絞めるように切羽詰まった生き方をしている気がする。辛い辛いを考えて、それを他の嬉しいで誤魔化すのに忙しい。
じゃあ、心の余裕があれば変わるのか。いや、そういうことでもないのだろう。
多分、心の余裕はほしいと思って手にするものでも、自ら作るものでもなく、よくわからないタイミングでひょこっと表れては、パッと消えるもの。表れている間は、まさしく某レースゲームの無敵時間。なんでもかかってこいやである。なお、効果時間は悪しからず。
コーヒー。ある人は朝に、夜に、ちょっとした休憩に、仕事のおともに、と様々なシーンで飲まれている飲料。ここまで飲む場面が限定されていない飲み物も珍しいような気がする。スタバ等のカフェ以外にコンビニ店でもドリップしたものを安価に購入でき、皆様々な場所で飲んでいる。実際今日も何人かそのような人たちを見かけた。そんな人たちを見て、しっかり飲みたくなってしまった。近くにあったか。そう思って探してみると、ふと交差点の向かいにタバコ屋がみえた。まさしく昔ながらのタバコ屋である。ほーん、うん?頭の中で疑問符が踊った。タバコ屋のはずなのに「COFEE」の看板。うん?あ。よく見るとタバコが並べられているように思えたショーケースは、おしゃれにパッケージされた商品、おおよそコーヒーの豆かなにかのようだった。その場所にコーヒー店があるのは面白い。決めた。あそこで買おう。
店員さんにおススメしてもらったこの暑い日にあうアイスコーヒーを飲みながら、少しおしゃべりをした。仕事の話やこのお店の成り立ち・コンセプトや、はたまたこの近くの美食について。無駄に無駄を重ねた無駄話を、店員さんのご厚意に甘えて、していた。こういうことをしていると人見知りなくせに人と喋るのが好きな自分にいつも驚く。全く知らない人と話す内容はやけに鮮明に覚えていることの方が多いのはなぜだろう。なんともなしに始まった当たり障りのない世間話にもならない無駄話は、少しの緊張感もありながらも心地よさを連れてきてくれることもある。案外、英雄譚や壮大な物語よりも、こんな無駄話の方が魅力的で人の心をなだめてくれるのかもしれないと、ふと思った。
アイスコーヒーはいつの間にかなくなっていた。