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中国と米国 - 「日本と日本人への10の質問」

今年(2024年)のアメリカ大統領選挙、トランプ氏が得票数はもとより、いわゆる激戦州もすべてをおさえ、かつ上下院ともに共和党が獲るとの「完全勝利(トリプルレッド)」となりました。これはこれで大変な側面もあるかと思いますが、「不思議な旅」に一区切り、ついたのでしょうか。

その上で、、残り二つとなっていた「日本と日本人への10の質問」、先の「愛国心」に続いては「中国と米国」となります。

■ 中国と米国

個人的には「中国」は「中華民国」のことと考えています、そして今現在は「台湾」がその系譜を継いでいる、と。一方のいわゆる「中華人民共和国」は、その独裁政体からも「共産支那」か「共産中国(中共)」辺りが妥当だろう、とも。また、両者の政治的な変遷などを踏まえても、この二者は「まったく別の国」だよなぁ、との見立てです。

(台湾は)民主主義がかなり成熟しているし、経済面でも自由主義経済が浸透し、法治国家だ。いろんな意味で日本と価値観を共有している国だ。

出典:『自由と繁栄の弧』

その上で「日本と日本人への10の質問」での話となりますが、ここでは「共産中国を中国」として扱われてますので、そちらの前提で。ただ、塩野さんの取り上げ方が「(共産)中国に関しては経済的(実利?)な側面」から、「アメリカに関しては政治的(観念?)な側面」からと、ちょっとピントがずれた比較点のような気はしています。

「政冷経熱」といわれる日中関係が、すぐに解決するとは思わない方がよい

既存のルールと衝突したとき、中国は自国の不備を他国へ責任転嫁する

出典:「日本と日本人への10の質問」 / 『文藝春秋(2007年7月号)』収録

と、(共産)中国の本質を把握しているにもかかわらず、、

相手の存在を許容することですね

マキアヴェッリは「中ぐらいの勝利で満足するものは、常に勝者であり続けるだろう」と言っています。勝たなくても負けない、というやり方ではどうでしょうか。

出典:「日本と日本人への10の質問」 / 『文藝春秋(2007年7月号)』収録

とは、なんとも楽天的な見解としか言い様がなく、、塩野さんにしては珍しい。これは欧州に在住しているが故の危機感の希薄さなのかはわかりませんが、まぁ、もう17年も前の話ですし、今だと欧米での「チャイナ・フリー」騒ぎなんかを見てイメージが変わっているような気もしますが。

個人的に「アジア・ナンバー・ワン」でいつづける必要はないと思いますが、「自由と繁栄の弧」で言う「日本は民主主義の伴走者」との位置付けには居続けないと、とは思います。

「民主主義」という観点において、一度も総選挙をしたことが無く、民意の反映など欠片も考えていない排他的、全体主義的な集団でしかない(共産)中国の存在は到底許容できませんから、オールドメディア群はよく失念しているようですが、、閑話休題。

一方のアメリカに対してはと言うと、、

「正義の戦争」においては、敗者に対する寛容さなど望むべくもありません。

アメリカは自国の正義を、全世界で共有すべきだと思っている。

まさに十字軍の発想です。「神」が「正義」に変わっただけ。

出典:「日本と日本人への10の質問」 / 『文藝春秋(2007年7月号)』収録

確かに皮相で捉えれば、アメリカによる「正義」の押し付けと見えますし、(特にイスラム圏あたりからすると)実際にもそうでしょう。そういった意味では「現代の十字軍」と揶揄したくなる気持ちも理解できます。

ただ、「アメリカの正義」の根底には「民主主義」があり、それは多様な価値観を許容・寛容する世界だと個人的には。そういった意味では、単純に「一神教」の枠で縛れるものではなく、「多神教」の世界観と共存している部分もあるよなぁ、とも。

一つの思考実験として、21世紀世界でのイデオロギーの象徴を、アメリカと(共産)中国に求めるのであれば、、アメリカは民主主義、共産中国は全体主義(ファシズム)に帰結すると思いますが、その時点でそもそもに並べて比較する価値は無いでしょう。

私自身が「どちらを信じますか」と問われたならば、迷うことなく「アメリカ」と答えます。まぁ、この二ヶ国以外の選択肢があればまた話は変わってくるでしょうけど(と自国への期待と共に)。

私は自分の思いに忠実にやってきた。だから、相手もそうであって当然だと思う

出典:「日本と日本人への10の質問」 / 『文藝春秋(2007年7月号)』収録

こちらは塩野さんがよく引用されるカエサルの言葉で、私自身もよく思い返す言葉の一つです。ただ、これが通用する相手と通用しない相手がいます、少なくとも共産中国には通じない、それは断言できます。

まぁ前段で「(共産中国は)自国の不備を他国へ責任転嫁する」としていますから、そういった価値観の共有は無理だろうとわかった上での、許容というよりは理解かな、とも思いますが、さて。

個人的には、各国が「自分の思い」に忠実に歩んでいこうとするのであれば、やはり「普遍的価値」を共有できる国々と共に手を携えていきたいところですし、そうできる世界を守っていきたいとも。

第一に、民主主義、自由、人権、法の支配、そして市場経済。そういう「普遍的価値」を、外交を進めるうえで大いに重視してまいりますというのが「価値の外交」であります。

第二に、ユーラシア大陸の外周に成長してまいりました新興の民主主義国。これらを帯のようにつなぎまして、「自由と繁栄の弧」を作りたい、作らねばならぬと思っております。

出典:『自由と繁栄の弧』

これは第一次安倍政権時代の2006年に、当時の麻生外相が唱えた「自由と繁栄の弧」という演説からの抜粋です。戦後日本が歩んできた道、そしてこれからも歩んでいくであろう道、それらが凝縮されていると今現在に読み返すとあらためて痛感させられます。そしてその「道程」を肩を組み手を携えていく相手は、自然とその相手も絞り込めるだろうとも、あらためて。

「中国と米国」はこんな感じで、、さて次は「歴史」となります、10番目の項目、ラスト。何とか年内に終わることができればよいのですが、、

最後に余談ですが、、このくだりにはさすがにちょっとなぁ、、と感じたことを思い出しました。

イギリスやその他の帝国主義国家の閉鎖性を批判する前に、 われらが日本はどうであったかを思い起こす必要がある。

朝鮮や台湾の人々に、帝国議会の議席を与えたであろうか。 日本国政府への参加を認めたであろうか。

出典:『悪名高き皇帝たち - ローマ人の物語 第7巻(文庫版第19巻)』

統治時代、台湾や朝鮮の方々に、参政権はもとより帝国議会の議席も開放していました、その他、軍の将校とかも。ハードカバー版が書かれた時代背景(1990年代後半)もあったとは思いますが、どのような側面からでも「自分で裏取りをして考える習慣」を意識させてくださる辺り、得難い作家さんだと、感じながら。

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