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サービス提供は丁寧な説明と公平さがベースかな、あと責任分界点も、と。
映画館だけじゃなくて野球場とかライブ会場とかも、車椅子ユーザーの選択肢って本当に少ないんですよね…
(『スポニチアネックス』2024年3月16日)
個人的に、今回の映画館の件は“通常業務以上の対応を求めたこと”“社名・店舗名を出したこと”に対し、批判的な意見が寄せられているのかなと思います
(『スポニチアネックス』2024年3月18日)
段差がなくなることは車椅子、ヘビーカー、ショッピングカートを持たれている高齢者、みんなに優しい世界と思っていました
しかし、白杖を持たれている方は、その段差でその先がどうなっているのか知る要素になっているという話を聞き、段差の必要性も知りました
ある問題の解決対策は別の問題も生みかねない
様々な障害を持たれている方と接する機会がいままてありましたが、障害の種類でもヒエラルキーがあるという話を聞く
— 山崎たかし@武蔵野市議補欠選挙で当選いたしました (@yamazakimusashi) March 17, 2024
問題解決の方向性も違う
段差がなくなることは車椅子、ヘビーカー、ショッピングカートを持たれている高齢者、みんなに優しい世界と思っていました…
職場の最寄り駅でたまに時間が合うと、何人かの白杖をお持ちの方が歩いているのをお見かけします。エスカレーターに乗る方もいれば、乗らずに階段を使用される方もおられ、一見すると同じ条件のようでもそれぞれご自分のペースがあるのだなぁと感じるのですが、、「段差」があることが「導」になることもあるとは、なるほどと。
「障害の種類でもヒエラルキーがある」、物事は多角的にみないとなぁ、、相手の状況を双方で慮りながら、きちんと確認しつつ、いい意味での妥協点を見出していくしかないのかな、と、まぁ、これは障害のあるなしにかかわらずに社会性の範疇とも思いますが。
今の職場のような公共施設の運営に携わっていると、いわゆるクレーマー事案と向き合うことはちらほらあります。施設を利用されている皆さまは、穏やかな方、お話ができる方が多いのですが、それでもたまには、、です。
相手の言い分を傾聴した上で、失礼にならないように、必要なことは丁寧に確認するよう意識していますが、それでも関係者全員の要望を100%満たせる落としどころを見出せることは稀有です。大半は皆さんに少しづつお譲りいただいて、、まぁ、三方一両損の世界ですかね。
公共サービスの提供であることからも、利用に際しては公平さを担保する必要がありますし、そこも含めて継続的に対話を続けることでの信頼関係の醸成もあるかな、、と、職務上必要なコミュニケーションの一つとも思いますが。
その上で思うのは、「自分だけがよければ周囲は知らない、むしろ周囲が自分を最優先で扱うのが当然」となってしまうと、障害のあるなしとかは関係なく「無制限に特権を求めるクレーマー」でしかないので、不必要な各種材料を与えないよう注意しておかないと、との心がけでしょうか。
誰かを特別扱いをするのであれば、それ以外の方々が少なくとも理解はできる理由を説明できるようにしておかないと、単にわだかまりが積もっていくだけですし、、いつも同じ人(団体)だけが優遇されるのも、また、冷遇されるのも、どちらもダメだよなぁ、と、、バランスが大事。
なお最近話題のとある事例、こちらでとても分かりやすくまとめていただいていたので、よろしければご参考までに。
イオンシネマで介助を断られた経験をX上で投稿し、議論になっている車椅子インフルエンサーの人(以下N氏)が話題のようですね。全容をご存知でない方もおられるかと思いますので、ネット上で見かける疑問や質問、批判意見などを基に一問一答形式で当方の考えを述べていきますね。… pic.twitter.com/ieG1dW6WP5
— 新田 龍 (@nittaryo) March 18, 2024