お返事笑しべ*会話という贈り物
なんと密やかなファンであった如月さんが笑しべ記事を書いてくださいました…!!(ありがとうございます、いつも楽しみにnoteを拝見しています)
余談ですが、私も「可愛いおばあちゃんになるのが夢」です(ちょっと小声で)。チェブラーシカというアニメのシャパクリャクというお婆ちゃんのような、あと樹木希林さんのような、いつかはそんな素敵な可愛いおばあちゃんに…(可愛いといっていいのだろうか、良いといことにしよう。可愛いは許容力が大きいのだ。)。
私も如月さんと同じだ!というファン心理をアピールした所で(笑)
素敵なおばあ様についての記事をありがとうございました。
記事を拝見して気づいたのですが、会話、というものも「わらしべ」で成り立っているのかもしれないな、なんて。
わらしべってなんだろう。答えはないのですが、良ければこちらもご覧ください。
会話、という言葉のやりとりをしているうちに、なにか素敵なものが出来上がっていることがあるのではなかろうか、と。
情報の交換を目的としない、雑談のようなものでも、むしろそういうものこそから、大事な「何か」を、もう何年も後の自分に影響を及ぼすようなふとした一言を貰うことがある(あげているかは相手と神のみぞ知る、ですね。)。意識的にでも無意識にでも。
誰かの口を借りて、神様(みたいな存在)が私に贈り物をくれた、みたいな時、ってありませんか。
それから、何気ない日常会話。ここに行けば、この人がいて、世間話ができる、というのが、自分にとってのかけがえのない「居場所」であったりもすることがあるのではないでしょうか。
その「会話」にどれだけの価値を与えるかは自分次第だし、時や自分の状況によっても変化するものかもしれません。
けれど会話から生まれる何かが、お礼としての野菜のように具現化することもある。
思えば、人と付き合って会話を交わす、このことこそが既に「わらしべ」なのかもしれません。潜在的なわらしべと顕在化したわらしべ、なんて。
いやはや、「わらしべ」とは一体なんなのか。
しかし、この企画は、好きなことを書いて頂く「笑しべ」なので、わらしべについて深く考えなくてもいいのかもしれないですね。
素敵な気づきをありがとうございました(^^)
このnoteを見てくださった方に、わらしべの種が届きますように。