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6.「エホバの証人」考【あとがき】

このシリーズを2020年から書き始めて、もう四年が過ぎました。病気の後遺症もあって頭の回転が落ちていることなどから、だいたいのテーマを扱ったこともあり、ここで一つ区切りを付けようと思っています。

購入資料が多かった記事やセンシティブな内容は、一部有料記事にしたりもしましたが、今思えばお金を頂くほどの記事だったかという反省もあります。(ご支援いただいた皆様に、重ねて感謝申しあげます)。

どうもうまくまとまらず、「あとがき」程度のものとなっております。相変わらずの長文ですが、宜しければご覧下さいますように。


1.エホバの証人の問題の本質は何か

まず、最初に「エホバの証人の問題の本質」について、元信者のあくまで私見ではありますが、まとめてみます。


1-1.「エホバの証人自体は、さほど特異な存在ではない」という視点の重要性

まず、信者は「エホバの証人は他に例を見ない真の宗教」と認識します。「祈りが聞かれた」「増加が続いている」「神が導いている」と感じ、「自分たちだけ」と考えます。しかし、実は他の多くの宗教も同じ事を主張しています。特に(欧米等の)福音主義的な教会の会報や出版物では殆ど同じようなことが主張されています。(特に、祈りが聞かれたという経験談などはよく似ている)。

一方、元信者や反対者は、「エホバの証人ほどひどい宗教はいない」「非常に特異な信条を持っている」と考えます。確かに独特の信条はあるわけですし、社会的な軋轢も激しいわけですが、冷静に考えるなら、問題のある宗教はたくさんあります。(宗教二世問題は多くの宗教に実は発生している等・・)。

つまり、まず私が言いたいのは、「エホバの証人」という現象をあまりに特異で異常と考えると、問題の全容をつかみ損なうということです。信者が思うほど「すごく」もないし、我々周りが思うほど「異常」でもないのです。あくまでそれは、社会問題の延長線上にあるということです。エホバの証人は19世紀のアメリカの土壌で生まれた、「アメリカらしい」宗教・・と冷静に分析することは重要です。

この点で、ミッション系大学である関西学院の公式広報「月と窓」に載っていた対談は興味深いものでした。学院長とノンフィクションライターの最相葉月さんの対談なのですが、そこで最相さんのこんな言葉が載っていました。

宗教2世の問題では、当事者たちが記者会見などでお話しをされている中で、「自分たちはカルトの子である」という言い方をされています。メディアも「カルトだから悪い」と報じがちなのですが、そうではなく、歪む危険性は宗教そのものにある。それは正統派であれ新興宗教であれ、関係ないと思います。なんらかの神を信仰するということは、常にそれ以外の人たちとの衝突を生む危険性があって、だからこそ歴史的にたくさんの戦争が起こり、今なお起こっています。宗教2世の問題も、けっしてカルトと呼ばれる人たちに限ったことではなく、信仰をもつ人は誰であれ自分事として捉えていただきたい。自分たちがいつ、その立場になるかもわかりません。別問題だと退けてはいけないことが今起きていると感じています。

「月と窓」2023/09/01の記事より(太字筆者)

こういう率直な意見を、ミッション系の学校の広報に良く載せたなと思いますが、非常に冷静な分析です。まずこういう広い視点を持った上で、エホバの証人問題を考えるべきだと常々考えてきました。エホバの証人の持つ問題も、この社会に共通して潜む問題であり、そこを見過ごすと「ただ攻撃するだけ」になってしまいます。宗教そのもののあり方を考える中で、エホバの証人のあり方も論じられるべきだと思うのです。


1-2.「歴史とは何か、聖書とは何か」という根本的な問いかけをしてみる

まず、私たちは皆「時代の子」であり、その時代の常識や価値観で物事を判断します。どんなに客観的であろうとしてもやはりその影響を受けます。なので、できる限り自分たちの価値観を相対化して考える癖を身につけるべきと感じます。

例えば、「子供の体罰問題」にしても、これはあきらかにエホバの証人だけの問題ではありません。僅か数十年前の「巨人の星」のような教育はもう虐待と言われます。(再放送でできない)。学校で悪いことをして先生にビンタを食らっても、親の方が学校に謝罪に行くような時代がありました。つまり、エホバの証人の体罰問題は「子供の人権問題」であることは明らかですが、一方では社会の変化という要素も冷静に考え合わせる必要があると思います。それは、「『時代の子』としての自分の限界を認める」ということでもあります。

この「時代」という問題は、結局「歴史」というものをどう考えるかという問題でもあります。つまり、「聖書も時代の産物である」という事実を認めることです。もちろん、「聖書が神の言葉である」と信じることを否定するものではありせんが、聖書が歴史上の産物であることも確かなのです。

「聖書主義」や「聖書は不謬」と考えることの問題点については、上記noteで詳しく論じました。(一部有料にした記事がありましたが、今となっては未熟な記事でお恥ずかしい限りです。ただ、購入者との公平性を保つため、そのまま一部有料とさせていただいております)。

聖書主義については、日本の聖書学者田川建三もこう述べています。「『聖書そのもの』という理念は聖書が歴史的過去の産物であるという事実の拒絶を意味するからである」(「書物としての聖書」p503)。

そう考えると、エホバの証人は聖書が歴史的産物であることを「拒否」していることになります。問題は、それにも関わらず特定の歴史的年代(BC607等)に拘束されている(固執している)ということです。ここに大きな矛盾があるのです。(歴史を全て受け入れないというのならまだ分かる)。

また、「年代」についても正しい理解が必要です。『東大連続講義 歴史学の思考法』(東京大学教養学部歴史学部会)には、こうありました。

年表に記載されている年号は往々にして解釈の結果導き出された一つの説であり、絶対的なものではないことに注意せねばならない。これは古い時代の出来事であればあるほど顕著である。

『東大連続講義 歴史学の思考法』(東京大学教養学部歴史学部会)p77

しかし、エホバの証人はその特定の年代(=仮説)に「絶対的な確信」を持っており、それに拘束されながら人生を送るのです。

ちなみに、ここ数十年の聖書学や考古学の進歩で、ユダヤ人に神殿再建が許可され、再建がなされた年代も見直しが進んでいます。聖書の述べる「神殿再建を許すキュロスの勅令」ももはや学問的な批判には耐えられなくなっています。つまり、キュロスがその治世の最初にそのような勅令を出すことはもはやあり得ないと考えられてもいます。神殿はそもそも完全に破壊されなかったという説もあり、いずれにしても聖書の説明とはかなり違った歴史が分かってきています。エホバの証人が主張するBC607年は、ますます不透明になっています。

歴史に絶対はありません。(もはや知り得ないことも膨大)。また聖書も歴史的な書物である以上絶対とは言えないのです。


1-3. 間近に迫った終わりを信じていること

多くのエホバの証人の信条の中で最も問題であると考えるのは、「差し迫った終わりを信じていること」だと考えます。もちろん、輸血拒否など多くの問題がありますが、根源的な問題という意味でこれを選びました。

「終わりを信じる」こと自体は自由です。今日の主要なキリスト教教派でも「終わり」を色々な意味で信じている場合があります。しかし、ここで問題なのは、「間近に迫った終わり」を信じることです。このnoteでも何度も論じたように、この教義は「今できること(したいこと)を将来に先延ばしにする」ことを意味します。言い換えると、「今は神の王国を宣べ伝えることが神のご意志なので、今やりたいことは将来に取っておく」という意味です。(諦めてはいないというところがポイント)。

もちろん、信じたまま幸福な人生を終えるなら良いかもしれません。しかし、その希望が信じられなくなったときに、その計画は無に帰すため落胆はいっそう大きなものになるのです。むしろ、「信心のためにやりたいことを諦めなさい」と言われた方がましだということです。こうして、エホバの証人をやめた時に、過去のできなかったことへの後悔と同時に、将来の希望も失うという二重の問題に直面します。これは特に「宗教二世」に甚大な影響を及ぼします。

「差し迫った終わり」という教義がなければ、信者の生活は大いに違うものになるでしょう。集会や伝道はあるとしても、「普通に」働き、しっかりとした人生設計をするでしょう。また多くの場合、次の世代を育てる選択もするでしょう。今すべきことを、今精一杯する人生になるはずです。

この信条はエホバの証人の人生設計を規定する「根源的」なものです。今できることをしないことは、教育、就業、老後など人生の根幹部分に大きな影響を与えます。故に私は、エホバの証人の信条の中でも本質部分に関わるものだと考えています。

ちなみに、つい最近(2024年8月)のブロードキャスティングで、こんなことを言うようになりました。

「終わりが来るタイミングを気にしすぎてはいけない」
「終わりがいつ来るかということばかり考えているとエホバとの絆にひびが入りかねません」

2024年8月JWブロードキャスティング

これには驚きます。他の部分では「終わりは近い」といいつつ、何気ない修正を加え始めているのです。もちろんきちんと総括して謝罪し上記のような方針を述べるのなら良いことです。しかし、上記の言葉の文脈は、あたかも「信者側が終わりが近いと早合点している」「信者に自重を促している」かのような内容です。信者が悪いのでしょうか。いいえ、まず「統治体」が謝罪すべき問題です。

▼エホバの証人の「差し迫った終わり」の根拠である年代についての、学問的な考察は、下記の元エホバの証人の著作が秀逸です。(学術的にはちょっと古いですが)。


1-4.「統治体」の姿勢の問題

エホバの証人の問題の本質部分としてさらに指摘したいのは、「統治体」の指導体制の問題です。つまり、組織の体質ということです。これは結局すべての問題の根源でもあるわけですが、ここでは「教義」ではなく、その「姿勢」に注目したいと思います。

noteで扱ってきた詳しい考察は、以下のシリーズをご覧ください。

以下の囲みに、これまで扱ったことがらをまとめてみました。

■ダブルスタンダード
○信者を強く統制するが、責任は取らない。
○終わりが来ると言うが本部施設には多額の費用が投じられ、各地でマルチメディア施設が建てられている。終わりが来るなら要らないのでは?(楽園で使うというが、電力や資源はどうするのかなど問題多し)。
○2000年ごろに信者が輸血を受け入れた場合排斥ではなく断絶(脱会)とするようになった。(責任回避のためか)。高等教育の恩恵を受けているのに、否定すること。等々。
■教義の頻繁な変更と謝罪しない体質(独裁色が強化)
○霊感は受けていないが、聖霊には導かれている神の経路だと言う。間違いもあると言うが、統治体を完全に信頼するように勧める。
○昨今の変更頻度は異常。これは明らかに迷走である。
○過去の教義は間違っていた(変更した)場合、謝罪はない(必要ないとはっきりと宣言した)。本来は過去の総括も必要なはず。(75年問題の際には、一部の人達の先走りとして処理された)。
■出版物の著述姿勢や引用の問題
■巨額の資産があるのに、慈善事業をしないこと

かつて、聖書学者の田川建三はエホバの証人の信仰を「ひたむきでごり押しの信仰」(「指」1985年)と評しました。これは、80年代のエホバの証人についての分析であり、田川氏がアフリカ在住時代に接したエホバの証人の印象も含めた感想です。従って今とは若干違う面もあるとは思いますが、一般信者はやはり概して一途な人達です。このような一般信者に対して、上記【囲みの1番目】に挙げたように、「統治体」の指導はダブルスタンダードなのが大変問題なのです。

この点は詳しく論じてきたのでこれ以上繰り返しませんが、「統治体」の指導は結果としてダブルスタンダードとなっているのです。

▼特に教育についての「ダブルスタンダード」は以下をご参照ください。

そして、上記【囲み2番目】の点、「謝罪しない」という体質も、ますます顕著になっています。2023年の年次総会の話では「見解変更の際には謝罪の必要はない」とまで言うようになりました。しかし、多くの信者に影響を与える「見解の変更」を、総括なしに、そして謝罪もなしに行うことは大きな問題です

こういった態度は謙虚さとはほど遠いものです。彼らの本来あるべき姿は「自分たちは神の経路だと言って頂けるように、常に努力し続けます。しかし、誤りもあるのでそのときはきちんと総括して皆さんにも説明したい」というものでしょう。(神がもしいるのだとすればですが)本来、神の経路かどうかは神が決めることです。(自分で言わない!)。

【囲み3番目】の「出版物の著述姿勢や引用の問題」。これまでも指摘してきたことですが、たとえば引用される聖書学者や歴史学者があまりに保守的な学者が多いことには注意が必要です。それは結局エホバの証人が批判している「大いなるバビロン」(偽りの宗教)の聖職者・信者である学者達の意見が殆どなのです。これは自分に都合の良い学説を選択しているだけです。また、17世紀や18世紀の聖書学者の意見が、躊躇無く(現在の学者の意見のように)引用されているのも大きな問題です。

さらに、経験談の引用についても問題があります。もちろん、全て捏造というのはさすがないと思いますが、都合のいいケースや非常に極端なケースを一般論として提示する場合があります。たとえば、『ものみの塔』2024年11月研究用の11ページには、大学教育(高等教育)は多くの時間を奪いエホバとの関係を破壊するという主張と共に、例としてモザンビーク在住の若い女性の経験が紹介されています。そこでは「朝の7時半から夕方の6時まで学校にいました」とその女性は述べ、その結果エホバとの関係が悪化したと証言するのです。確かに国や専攻によってはそういうこともあるでしょう。しかし、これは(事実であれば)あくまで彼女の例に過ぎません。ちなみに日本の中央大学が公開しているアンケートによれば、学生の一日平均授業時間は、「3時間19分」とされ、大学での平均滞在時間は「6時間2分」なのです。(2018年)。これはあくまで平均で学部によってもかなり違いがありますが、他の大学でも「高校時代よりは自由」という場合が多いようです。他の国ではもっと授業時間が少ないところも多いのです。そう考えると、上記のような経験の引用方法は問題があると言わざるをえません。

このように、特定の問題について、嘘ではないとしても、誤解させるような引用や書き方が多くなされているのは問題だと思うのです。

【囲み4番目】に挙げた、巨額の資産があるのに慈善事業をしないという点もやはり問題です。もちろん、公平を期して言えば彼らが信者たちを災害時などに助けることは有名ですし、それ自体は尊いことです。しかし、平常時も重要ですし、信者以外への援助も重要です。(エホバの証人は基本的に信者同士の助け合いや公的扶助を推奨する)。

平常時に困っている信者を助けるために、一般キリスト教会のように、礼拝前後に食事会(無料か安価で食事を提供)を定常的に行うのは素晴らしいことです。この際には、誰がきても歓迎されるべきでしょう。災害時には、ご近所全てのために炊き出しをするという活動も本来あってしかるべきです。

豪華な本部やテーマパーク、撮影所を作る資金があるなら、もっと「人」のためにお金を使うべきでしょう。

以上のような「統治体」の姿勢や組織体制には、本質的に大きな問題があると思います。「統治体の姿勢」が、信者の自由を尊重し、自分たちの見解を謙虚に信者に提示するものであれば、信者も自ら考えて多様な決定をするでしょう。「統治体」が、信者や諮問機関からの提案や意見にも耳を貸すような組織形態であるなら、信者たちはむしろ彼らを信頼(現在とは違った意味での信頼)するでしょう。

彼らは確かに誠実です。しかしそれはあくまで「宗教的誠実さ」であり、盲信に近いものなのです。何度も繰り返してきたように、「誠実さだげでは不十分」という『地上の楽園』(ものみの塔聖書冊子協会発行)の本の言葉は(p31)、今、巨大なブーメランとなって彼らに戻って来ています。


2. 現役信者のみなさんへ

大変僭越ながら、エホバの証人の現役の方々(特に若い人達)への私からのメッセージを記したいと思います。(はたして現役の方がこのnoteを読んでおられるかはわかりませんが)。

一言でいうなら、以前このnoteでも取り上げたアナ・デンツ・ターピン姉妹の経験談の中の、彼女のお父さんの次のアドバイスに尽きます。

生きている間にハルマゲドンが来ないかのように考えて将来の計画を立てるべきだが、明日ハルマゲドンが来るかのように考えて生活すべきだ

ものみの塔2004 12/1 29ページ

これは、本当に至言です。現役のエホバの証人の皆さんは「ハルマゲドンが来ないかのように考えて将来の計画をたて」ているでしょうか。これはきちんとした将来設計のことです。私はこの点で失敗したので、ぜひ現役信者の皆さんはこの点を今一度熟考していただきたいと思います。

前述の通り、統治体も「終わりを気にしすぎてはならない」と警告する時代になったのですから、そろそろ真剣に考える時期に来ていると思います。

「明日世界の終わりが来るとしても、僕は今日リンゴの木を植える」

C.V.ゲオルギウ『第二のチャンス』内の伝ルターの言葉(フランス語訳)より。

これは、ルターの言葉と(誤って)伝えられているものですが、それはさておき、同じ事を言っている気がします。今を精一杯生きるべきなのです。

原則はテサロニケ第一 5:21の「全てのことを確かめよ」です。自主的に様々な情報を調べてみるようにお勧めいたします。

長くなったので、「リンゴの木」の写真をば・・

3. エホバの証人をやめたあとのゴール

本当は、「もうエホバの証人のことを忘れた」というのが一番理想的なゴールなのだと思います。私の場合、なかなかそうもゆかず悩んでおります。あまりにこだわるのは、おそらく(仏教っぽく言えば)「執着」であり、自ら不幸の種を蒔き続けているのだろうとは思います。怒りや不快感、不条理だという思いなどが、負のパワーになってnoteを書いている気もします。

おそらく、「人の生き方はいろいろある」という単純な「真理」を受け入れることがスタートなのでしょう。エホバの証人として生きるのも自由だし、辞めるのも自由。もう忘れるのもいいし、老婆心ながら何か情報を(冷静に)発信するのも自由・・・。そんな自然な心境になれればと思っています。癒やしの時がくるのはいつだろうかと思いながら、終活となりそうな気もしますが。


4. 元信者とエホバの証人に求められるのは「寛容さ」

現代社会の様々な軋轢や問題を始め、エホバの証人の問題や宗教の問題などをどう観察し、整理していったらいいのだろうかといつも考えてきました。最近いつも考えるようにしているのは、「人に対して寛容である」ということです。(難しいですけれども)。

森本あんり氏の『不寛容論』には、17世紀のピューリタン思想家ロジャー・ウィリアムズの説いた「寛容」についてこう解説されていました。

ウィリアムズが唱えたのは、両手を拡げて心の底から他者を愛し受け入れる、ということではない。彼は、「みんなちがって、みんないい」などと能天気に多様性を祝賀したのではなく、お互いが最低限の「礼節」(civility)を守るべきことを説いたのである。(p340)

礼節は敬意がなくても可能である。相手を心から承認していなくても、その信念や行動に嫌悪感をもっていても、なお可能である。特定の宗教や宗旨を共有する必要もない。(p341)

森本あんり『不寛容論』

寛容はつまり「礼儀」なのだという解説にすっきりしました。同意も理解もできないとしても「礼儀を示すことが寛容だ」ということです。また、それは「敬意」ですらないというのがまた面白いのです。

もちろんこの態度は、自分自身が独善的になる(慇懃無礼的な)危険性もはらんでいますが、それでも相手に対する礼儀を忘れないという最低ラインを保持する点では、人間関係に重要な要素だと思います。

「寛容」が繰り返し問いかけていたことは、「とても受け入れられそうにない深刻な断絶」(p346)の前でこそ、本来的意味での「寛容」が発揮されるということだそうです。

これをエホバの証人との接し方に当てはめるのは大げさかもしれませんが、複雑化した社会で今求められているのが「寛容」つまり「礼節」なのは分かる気がします。

エホバの証人問題を冷静に議論するというのがこのnoteの方針ですが、それは結局「寛容に」(最低限礼儀をもって)議論するということでもあるのだなと思った次第です。

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5. おわりに

ここまで、相変わらず話が理屈っぽくて大変申しわけありませんでした。最後は、ちょっと文学っぽく終わりたいと思います。

今の自分を振り返るときにいつも思い出すのは、詩人吉原幸子さんの「これから」です。ちょっと端折ってますが引用します。

わたしは 途中まで歩いてしまった
わたしは あちこちに書いてしまった
余白 もう
余白しか のこってゐない
ぜんぶまっ白の紙が欲しい 何も書いてない
いつも 何も書いてない紙
いつも これから書ける紙
・・・
これから歩かうとする
青い青い野原が欲しい

吉原幸子「これから」第二詩集「夏の墓」(1964)所収

つまり、もう人生のキャンバスには余白が少ないことを嘆いているわけですが、これは今でも私を苦しめている問題です。偉そうなことを書いてきましたが、今も「迷える老羊」です・・。

エホバの証人として生きた多くの年月に何か価値があったのでしょうか。これは私にとって難しい問いです。全て無駄だったと悲観していた時期もありましたが、少しずつ「全て無駄」とは思わなくなりつつあります。つまり、「全て」を否定すると、今の自分も否定せねばならないからです。「多く」を失い、「多く」が誤りでした。しかし、学んだこと「全て」が人生の無駄ではないはずです。お世話になった先輩方や、温かく支えてくれた年配の姉妹達のご恩も、決して忘れないようにしたいと思っています。

「エホバの証人問題」の論考としてはここまでとし、今後は、エホバの証人についての雑感や書評など小さな話題を随時書きたいと思います。(実はこちらの方が書きためたメモが多いのです・・)。病気もあり、人生の黄昏に近づいているという焦りはありますが、模索を続けて行きたいと思います。

さて、ここまで冗長な記事にお付き合いいただき本当に感謝いたします。最後に、一番最初のnoteに引用した与謝野晶子の歌を再度引用いたします。

劫初より作りいとなむ殿堂にわれも黄金の釘一つ打つ

与謝野晶子 歌集「草の夢」(大正11年)

与謝野晶子のような「黄金の釘」とはいきませんが、錆びた鉄釘くらいを生きた証として世に残せたらいいなと思う今日この頃です。

2024年長月の書斎にて



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徒然居士|「エホバの証人」考
冗長な文章を最後までお読みいただきありがとうございました。ご支援は、調査や勉強に充てさせていただきます。今後も健康が許す限り細々と書き継いでゆく予定です。