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「砂時計の中のレンズ」@04172021

東京で居候を初めて2日目。本を読んでました。

短編集になっていたけど、遊牧民の幼い族長が幼馴染の政略結婚を見送ったり、重力井戸に飲み込まれる恋人を追いかけられなかったり、劇的と諦念を併せ持った登場人物が多くてすっきりしない気持ちになった。

特に印象的だったのが短編「キャッシュ」で、舞台は宇宙船内でコールドスリープした人たちの意識が住む仮想世界。世界の中にコールドスリープ中に死んだ人のアバター(キャッシュ)が残ってしまい、このままだと世界が処理落ちしてしまう、というお話。このキャッシュも哲学的ゾンビっていえるのかな。

あなたに本物と複製の区別がつきますか?それはチューリングテストを完全にパスする存在なのです。

と言っていたので人工知能の人権として扱う側面のほうが大きかったのかもしれない。終盤、主人公がキャッシュに情が移って殺せない、というシーンがあったんだけど、短編だからか逡巡の描写が駆け足で物足りなかった。


ここでキャッシュを生かすことの問題点は仮想世界のリソースを過剰に消費することだ、と説明されていた。程度は違えど人間だってそうだ、とも。

キャッシュを倒した場合、人類は元の仮想世界を持続できる。キャッシュを生かした場合、いずれ人類とキャッシュはリソース不足により共倒れする。


説明が前後するけど、街の住人達は、宇宙船が目的地に到達するまで生存していなくてはいけないという使命を背負っている(イレギュラー的に死亡してしまった例も居るが)。この使命と照らし合わせた時、よりローコストでより元の人類を再現できる宇宙船人類が生き残る方が理にかなっていると言える。


……のか?それって地球人類の都合だよね。劇中ではおそらく地球は滅んでいるとさえ言われている。つまりその言いつけだって死人のモノじゃん。

他者の価値観により「生きるという生き方」が決められている社会。それって幸せなのかな。

例えば、自殺するのだって自由という権利の行使だという意見が存在する。僕は(72億分の1がいなくなる分には)それでも社会は続いていくのだからいいんじゃないかと心の根っこの部分で思っている。でも、組織としてその顛末が定められている社会って、もはやそれはただの仕組みだ。実際、この宇宙船がキャッシュの誕生を尊重し共倒れするという選択肢は、許されていない。それって宇宙船人類にとってすごく非人道的だと思う。

そんな窮屈さが主人公の葛藤の描写の不自由さに表れている気がした。


この小林泰三が書くSFは「計算SF」と呼ばれているらしい。登場人物たちが暮らす世界は一見奇想天外なんだけど、描かれている内容と物理を突き合わせると、この宇宙の物理法則に則っていることが分かるようになっているそうだ。

探してみると数学している解説ページがいろいろ見つかったので一行ずつ読んでる。



なか卯に行って角煮丼を食べました。あぶらみが口の中で解けてびっくりした。その衝撃でほぼ味を覚えていない、そのくらいおいしかった。というか角煮って初めて食べた気がする。食べてたけど記憶から消えたのかもしれない。

過去に一度だけ角煮作りに挑戦したんだけど、煮る途中で出てくる油がすごくて、さらには煮詰めすぎて黒焦げになってしまったので結局食べられなかった。初めて口に入れた角煮がこんなにおいしいと自宅で作る気がしなくなってしまうな。

劇的と諦念。


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