スカートと風景 @MIMOCA

展示が始まったのは夏の暑い盛り。

私の住む地方自治体には色もかたちもない。
バリエーションがない。
選択肢がない。

だからなのか、私だけに備わった本能なのか、
人類皆に備わった本能なのか

夏には特にビビットな色の洋服を着たくなる。

ミイラ化した住民、ミイラ化した環境で生きていくには私には色が必要だ。
美しい色が!鮮やかな色が!
こころ揺さぶる色が!!怒

今井氏の絵画で使われている色は特に夏にもってこい
この死んでる町を数か月だけ蘇らせる、生きた色いろいろ

私はこれまで今井さんのことも絵のことも作風も何も知らなかった
だから、展示初日にトークショーもあるとのことで初日に行った。

行く前の事前情報としてSNSなどでチャックするに、
彼の作品はとてもカラフルでとても鮮やかだということが判明した
と同時に、
私は所持していながらも着用して死んだ町に出ることを躊躇っていた
”リネンのオレンジジャケットに、リネンのピンクのロングスカート”
を合わせて出歩くなら今しかない!と、実体のない敵と戦うかのように勇気をもってそのコーディネートで出かけた。
田舎における私のワードローブの凄まじい罪悪感。疎外感。孤独。独房…

もしもここが東京なら、美術館にいくとき、買い物に行く時、カフェに行く時、散歩に出かけるとき
その時の気分や季節で自由に楽しく洋服を楽しめるんだろうなと恨めしく思いながら。

今の時代snsであらゆる情報を得ることができてしまうし、見たくなくても勝手に流れてくるという情報もあったりでこの展示会場の構成も
何と行く前から本人のTwitterでほとんどわかってしまうという事態。そりゃ展示する本人だから宣伝するに決まっているけど
私は興ざめした。見てしまったー---
記憶を消すことは今のところできない。
この人の作品はこんな感じだし、こんな季節のこんな天気だから
この服を着て作品を見にいこう!と気持ちが上がっていたのに。。

サンタクロースはいません。私です。ときっぱり言い切られるような興ざめ感。
楽しみにしていたはずの展示。
ミイラのためのミイラによるミイラの町(=丸亀)を一瞬だけ色で封印したかったのに

この田舎にはこの場所以外に文化芸術に触れる機会も場所もないので、
仕方ないので、ため息つきながら行った

作品にも作家にも罪はない


  • ここから感想

色、かたち、美しいものを求めし一般市民(=私)の死んで腐りつくした心がよみがえった。作品を目にするときだけ。作品のまえに佇んでいるときだけ呼吸ができた。
生きてていいよ。と、キャンバスに広がり溢れて飛び出しそうな色やかたちがわたしをそっと認めてくれる。
好きなものは好きでいいんだよ。美しいものに感動してもいいんだよ。

そう。わたしは知っている。
今井氏は絵に思いやら願いなんてものは込めてない。
(トークショーで話してた印象的な質疑応答から。)

ただのキャンバスのうえの絵具。構成。色。かたち。
それだけ。
感情は無い。
出来事。現象。
抒情詩ではなく叙事詩であり叙景詩。

それは物質。
それが絵画。

という捉え方してそ~という私の解釈。

私は大きなキャンバスサイズの絵を描いたことが無い。

だから、興味を持った絵は
誰のどんな絵を見るときも、可能な限り近くまで近寄っていって
筆の流れのあとや絵具やインクの居場所が決まった瞬間、
色が混ざったことのすべて、
その色の奥に存在する見える色、見えない色を見て、
その絵を完成させた作家の心境や状態を追体験しようとする。
どの部分から描き始めてどこを最後に描いて「完成」としたのか。

プロアマ問わず、だれしも独自の絵画の楽しみ方があるだろう。
私の場合は、その線やブレ、そのときの緊張感や鼓動まで想像する。
油絵、日本画、卵の殻を使ったテンペラ画などなんでも。
私はそれが楽しい。
そして単純に、こんなに大きな絵を描くなんてすごいなあと思う。
それが一つの絵として成立するなんて
すごい

MIMOCAは20年近く、人生のうち何度も何度も足を運び、
インスタレーションから絵画まで、
行ったこともない国の、いろんなタイプの作家の作品たちを、
あの天井の高い広々とした空間で見てきた。

今回の展示レイアウトは先述したとおり、前情報通りで驚きも新鮮味もなかったが、あまり出会ったことのない展示の仕方だった。
通常時系列で展示することが多いと思うし、作品横には年代と作品名のキャプションが必ずセットになっていることが多い。
それが今回の今井氏の展示ではいい具合にスクランブルされている。
どこにどれを配置して、どのように一つの空間としての作品を完成させるか。観せるのか。
(※内藤礼さんの手伝いをしてたことがあるから、作品のミリ単位の配置、調整は鍛えられたとのこと。その経験によって、建築家気質溢るる今井氏は持ち前の性格に加え、さらなる細かな妥協ないこだわりと完成度に磨きがかかったのだろう。内藤さんの作品のあの島の作品もあの島の作品も体験済みで大好きなので、予想だにしなかったそのつながりはすんなり理解できた。)

「隣り合う作品と作品の間に、それほどの年月があるのかぁ。」
「これとこれは意外と近い時期の作品なんだな。」
大きな作品の中に小さな作品が内蔵?設置されていたり、
作品どうし向かい合っているから、その間に立って見比べてみたり。
立体の前にその立体の一部が絵画になっていたり。
作品の鑑賞の仕方がバリエーション豊富。
アミューズメント要素
たのしいたのしいー

作品に関する情報は紙にまとめられている。
それは地図で現在地を確認するようでたのしかった。
年代順に作家の作品の進化を確かめたければ、あっち行ったりこっち行ったりしなければならない。最初は展示会場入り口からそのままの流れに任せて鑑賞。人がまばらで少なくなってきてから年代順に作品を鑑賞するバージョンも楽しめた。

色やかたち、レイアウトなどが鋭く計算され、
今井氏にとって壁に欠けられた色がリズムを刻むそれは、
あくまで単なる
「木枠に張られた布の上の、絵具による平面構成」にすぎないモノ。
だが、世間や世界で「絵画」とよばれるものであるのは間違いと私は思った。そう感じた。
何をもって絵画と呼ぶのか。

アカデミックな世界での定義は知らないし私にとってはどうでもよい

デザインでもある絵画?というような…
絵画でもあるデザイン??というような…
今回の展示に合わせてファザードに設置された、優雅におおらかに風になびくフラッグのように彼の作品はデザインと絵画の間を緩やかに行き来しているような気がする。どちらとも言い切れない。その人の感じ方による。
それがまさしく美術だよ。芸術だよ。とでも言われているような…

監視員に注意される限界まで近づいて観る
異なる色と色が極限まで接近したハンドフリーで描かれた境界線には
息をのむような緊迫感がある。きっと作家本人は私が感じる以上の緊張感をもって作品に挑んでいるに違いない。
(※かといって、きれいに塗ろう塗ろうとしなくてもいいような気がするともトークのなかで言っていたような。。これからの進化、変化がたのしみ)
とにかく線がすごい。繊細なのにめちゃくちゃ強度がある感じ。

鑑賞する私の全身を覆いつくすような大きな色に包まれる安心感。

色がある。この世界には色がある。
色があっていいんだ。いろんな色が存在するんだ。
どこにも行けない閉ざされた果てのこの場所はグレーでも
妄想、色を想像することは罪ではない。
いいよ、色を好きでいいよ
どんないろをすきでもいいんだよ
自分に自由な色を許したい
異端な私の色を許してほしい
(あーぁ、ここはリベラルな土地ではない・・・)

伸びやかな線を目で追いかける。体全部で追いかける。
たぶん鑑賞中の私はふらふらゆらゆら小さく左右に上下に体を揺らしていたと思う。

カメラやPhotoshop、出力するなどのプロセスを経て
いざキャンバスに色を塗っていくわけだが、インクがこぼれるなどのアクシデントがあると色を上から塗るのではなく、
最初からその絵を描きなおすというエピソードが、めちゃくちゃ今井氏らしいと思った。
色を乗せたときにその分厚くなるし、下の色が透けて見えるのが嫌だかららしい。フラットで完璧で、ぱきっとした今井カラーを最大限に活かすには当然だけど、なんとも個性の一面を鮮やかに物語っていると思った。

トークショーでの本人談だが、美大生やコネある学生によくあるように
建築事務所で図面を引いていたようだ。(イメージ通り。絵画と見せかけて美しい図面引いてんのかもしれない。美しい平面を美しい色の配置で完成させたいのかもしれない。期待を裏切らない個性だ…彼は論理的に美を追求しているのか?な。。??パッション!とか芸術や美術に感情論出したら論破されそうー)
計算。緻密。ミリ単位。力学。工学。
構成。バランス。美しさ。審美眼。正確さ。

氏の絵画に対する考え方、自分の作品の制作過程の種明かし、
感情ではなく行為、作業として描くという概念。
建築家が緻密に計算して図面を引くように、
今井氏は自身の絵画を建築のように設計して地震にも強い耐震性に優れた建造物(=絵)を建てる。

それでいて、絵画だけではないものにも自然と近寄っていき調和を実現してしまう軽やかさ。
ファサードのなびく絵画(=巨大な布)
掲げられたフラッグ
パジャマ
エプロン
立体(=彫刻)
アメーバのように動き繁殖し続けるように変容し続ける映像


「さすがです。」
その一言に尽きる。


今まで発見したことのないタイプの作家だったので、
隅から隅まで飽きることなく楽しめた。
館内には確か最低5時間は滞在したと記憶している。

この展示において何か見落としたことは無いか。
全てのナゾは解けたか。

そんな意気込みで鑑賞者として、いつの間にか挑んでいたので
今井俊介という一人の現代美術の作家の今までを
一冊の絵本のように読み終えた感じで満足だ。

年代はバラバラで作品を配置しているのに、カオスではなく計算されつくして並べられているので、使っている空間の隅から隅まで緻密で完成されている。美術館のデフォルトの設備の関係でもう少し白い光が良かったらしいが、次のオペラシティでその辺はリベンジしてください。
何といっても、谷口さんが設計した自然の光の入る美術館です。
私はオペラでの展示はもちろん行かないし行けないから、色の見え方を比較することはできないが、いち下流労働者の私は心がいっぱいになった。
死んでた心が一瞬だけど生き返った。申し分はない素晴らしい今井氏が完成
させた”美”に圧倒され、感動し、心が蘇生し鼓動を打った。

心が動いたのだから、感動したのだから
これは紛れもなく「絵画」だ。

嬉々として選んでその日着ていった洋服は、
色やリネンのざっくりとした素材感、布の分量、明度や彩度が
絵画から飛び出てきたような錯覚が味わえるような
我ながら自己満足のチョイス、コーデで
今井カラーを纏った立体物としての私は
作品の一部になれた気がした。


おわり

また長文なので誤字脱字、なぜココに?という支離滅裂な文章に切れないでください。ここまでザっとお読みくださった方、ありがとう。


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