ナンプラーのかほり#4 当たり前が消えたタイランド
どうもバンナー星人です。
私、先日2月9日に55歳をむかえ、元気ならあと5年は今の学校で勤めようかなと思っているのですが、今日の記事はその誕生日に起きたある出来事がきっかけになってつらつらと考えてしまった、そんな内容になっております。
その日、中3クラスの授業終わりに突如ハッピーバースデーの合唱がはじまりました。誰か私の誕生日を知っていたの?と思ったのですが、残念ながら視線が注がれていたのは私ではなくひとりの男子生徒。先生も誕生日なんだよと、彼に近寄り年齢を聞くと16歳になるということでした。(余談ですが中3は基本15歳になる学年なのですが、なぜかプラマイ1歳ぐらいの生徒がちょろちょろいたりするんです)ということは、私がバンコクに居を移した頃、彼はまだこの世に存在していなかったのか、と一瞬不思議な思いにとらわれると同時に、彼が生を受けた頃のタイの景色が脳裏に浮かび上がってきたのでした。
彼が生まれる前年の2006年は、前国王であるプミポン国王の在位60周年の年であり、その記念日にはタイ全土がプミポン国王の誕生日(月曜日)のシンボル色である黄色のポロシャツを着た国民で埋めつくされました。当時国民全員が共通して抱いていた「国王様への敬愛心」が自然と形となったその黄色の光景は、私の目にも非常に美しく感じられたものでした。
当時のタイのガイドブックにはタイの国民性として「敬虔な仏教徒であり、国王を敬愛してやまない」という文言が必ず書かれていました。またそれは、バンコクで生活を始めたばかりの私の目にも嘘偽りのないものとして映っていたのです。
私が今の学校で勤めはじめたのはその2年後の2008年。国民がタクシン派と反タクシン派に別れ、国が揺れはじめていた頃でしたが、それでもなお「国王」のその絶対的存在は揺るぎないものでした。また、それは学校の日々の生活の中でもひしひしと感じられるものだったのです。
各教室には額におさめられたプミポン国王の肖像画が飾られていましたし、運動会のチアリーダーショーにいたっては、リフトアップされたリーダーが、その肖像画を高く掲げ、他のチームメイトはその肖像画に向かってひれ伏して合掌するというパターンもよく見られました。また、前国王の誕生日である12月5日には、大体的な行事が行われ、教師も生徒も校庭で「国王讃歌」を合唱したものでした。
当時の先生たちは私より年配の方が多く、年代的にも国王を敬愛されていた方が多かったように感じられます。実際、2017年に前国王が崩御された際の学校式典では涙を流されている方も数名見受けられました。またその式典のクライマックスは、全生徒による人文字によって哀悼の意が捧げられ、その様子が大型クレーン車で撮影されるという大掛かりなものでした。思えば、それが私が学校で見た、最後の美しい王室関係行事にになってしまったのでした。
その後、タイ王室が国民からの信頼をどのように失っていったかは、ご存知の方も多いかとは思いますので割愛しますが、前国王の「威信」ぶりが学校生活で見てとれたと同じように、その「凋落」ぶりもまた学校生活の中で如実に感じられるものでした。教室からはいつのまにか王室の匂いは消え、廊下の掲示板から剥がれ落ちた、現国王の肖像画を拾い上げるものもいなくなりました。
時を同じくして私より年配の先生方はほぼ皆定年を迎え、前国王が国民から敬愛されていたあの時代を肌身で感じていた人間も少なくなってきた、そんな折、まるで前時代にとどめを刺すようにコロナ禍へと突入していったのです。
2年間に渡るオンライン授業を経て、去年の5月からスタートした新学期。ようやく生徒の通常授業が復活したのですが、そこにはコロナ前の「通常」は見られなくなっていました。タイ人先生たちの言葉を借りて端的に言ってしまえば、礼節に欠ける生徒が増えたということになるのかもしれません。
特に私が顕著に感じるのが朝礼の時間です。朝礼では、「国家斉唱」「仏法僧を敬う意の短いお経」「校歌斉唱」という流れが毎朝あるのですが、以前は皆が「当たり前」に歌い、唱えていた、その時間が最近めっきり静かなのです。生徒たちがマスクをして声が聞こえにくいせいもあるかもしれませんが、それ以上に、私の目には、生徒たちの頭の上に「なんでこんなことさせられてるの?」という吹き出しが見えてしまうのです。
素晴らしい人格者である国王や、厳しい戒を守って仏法に仕える僧侶を敬うことは、ついこの前までは「当たり前」のことであり、タイの学校教育もその揺るぎない太い柱を寄る辺として長い間行われてきました。しかし、昨今のSNSによる情報拡散なども加わり、「当たり前」だと教わってきたことが「当たり前」ではなかったのだ、という意識が子供たちにもはっきりと芽生えてきたようなのです。
また、その目はまた「当たり前」に尊敬するべき対象とされていた教師にも向けられつつあります。自分たちにも教師を見定める権利があるんだ、時に彼/彼女たちの目はそう訴えているようにも見えます。
確かに、教師の権利を振りかざして、生徒たちをそれこそ当たり前のように服従させるやり方が横行していた過去を振り返ってみると、その「当たり前」にメスを入れようとする生徒たちの姿は、過去になれた教師たちからは「礼節」を欠いているように映ることもあるでしょう。
しかし、そのことに文句を言ったり、また逆に生徒たちに好かれようと歩み寄るのではなく、生徒たちの行動や態度の裏に潜むものを汲み取りながら、説明できる理由を持って、より毅然と生徒たちに接していく必要がこれからの教師には求められているのかもしれません。そして毅然といるためには、また教師自身も常に自分の襟を正していく必要があるのでしょう。
私と同じ誕生日の中3の彼が生まれた頃には当たり前だったことが、当たり前ではなくなったことにより、タイという国がどのように変わっていくのか
・・。学校という特等席にてもうしばらく観察していきたいと思っています。
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