20年以上続けてきた遊戯王カードを卒業する話
「俺、遊戯王は卒業したから」
そんな言葉が嫌いでした
来年2024年の2月で25周年を迎える遊戯王オフィシャルカードゲーム。
当時、小学校3年生の時に初めて1枚の《ブラック・マジシャン》を手にしてから、手放すことなく集めて続けて現在33歳。
今まで、知人・友人が何人も「卒業」という言葉で「中退」してきたこのゲーム、きっと自分はおじいちゃんになっても続けているのではないかと、ずっと思ってきました。
しかし、去年くらいから、いつの間にか自分があまりにもカードに触れていないことに気がつき、思い悩みながらも手放す決意をし、これはまさに「卒業」なんだなぁと、みんなが口にしてきた言葉を咀嚼して飲み込めたことと、自分の人生に大きく影響を与えたこのゲームへの敬意を表すために、節目として、このエントリーを書きながら自分の人生と遊戯王カードを振り返ってみようと思います。
遊戯王と出会った小学生時代
初めてデュエルをしたのは、小学校3年生、従兄弟の家にお正月に遊びに行った時。
従兄弟がクリスマスプレゼントでもらったEX(当時のクリスマス商戦で発売された遊戯と海馬イメージのスターターデッキが1つずつ入ってるセット)で遊ぼうと言われて借りてやったのが初デュエルでした。
ルールブックを読みながら、全然よく分からずもやったデュエルの光景を今でも覚えています。
その後、同級生のS君にやろうと誘われもらったのが、《ブラック・マジシャン》
今思えば、小学生がブラマジをくれるなんて、すごい事でした。
お小遣いの少ない私は、基本的に友達のいらないカードをもらってデッキを組んでいました。
『メカ・ハンター』『ヂェミナイ・エルフ』『デーモンの召喚』全盛期に、こちらの主力は『フライングマンティス』『舌魚』『レッサードラゴン』
《突進》や《援軍》によるコンバットトリックで返り討ちにしつつ、生贄を確保してエースの《ブラック・マジシャン》や《ファイヤー・ウィング・ペガサス》を出して戦うのが基本戦術でした。
トリッキーな戦略を好む思想は、この時のお金がないなりの工夫から身に付いたものだったんだなぁと今では思います。
お気に入りだった《ブラック・マジシャン》が明確にエースになった、革命的だったパック【PREMIUM PACK4】。
《黒魔術のカーテン》から生贄なしで出せるようになったエース、除去カードをあまり持っていなかった自分にとって脅威だったリバースモンスターを破壊できる《千本ナイフ》、後半になると生贄1体で攻撃力2600を超える《ブラック・マジシャン・ガール》、生贄を確保しつつダメージまで返せる《魔法の筒》
そしてそれが1ヶ月のお小遣いで1セット手に入ってしまうという、とんでもないパックでした。
そこから、私のデッキは、【ブラック・マジシャン】に特化していくようになり、運良く当たったレアカードは、関連カードとの交換に費やしました。
当時の私の最強コンボは、フィールドに《ブラック・マジシャン》がいる状態での《時の魔術師》成功→《黒衣の大賢者》特殊召喚で《ハーピィの羽箒》をサーチ。相手フィールドを一掃して一気に攻め込むスタイルでした。
その頃は、本当に遊戯王の話をし、一緒にデュエルをしているだけで友人関係が一気に広がりました。
クラス替え、班替え、転校生。遊戯王をやっていることが会話のきっかけになり、そこから遊ぶことになり、家や公園や地域センターや、団地の裏のベンチや、至る所で「愛のチャイム」が聞こえてくるまで、ひたすらデュエルを繰り返していました。
うちの小学校は、なかなかデュエルリテラシーが高く、よく言われる”最強サイクロン”などはなくて、チェーンの概念をしっかり処理しているような学区でした。
地域センターのロビーでデュエルをしていると、上級生や中学生が教えてくれたり、一緒にデュエルをしているような環境だったのが良かったのかもしれません。
最弱こそが人を魅了する中学生時代
そんなデュエルリテラシーの高い学校から、地元の公立中学校へ進学。
私の中学は、近隣の3小学校から進学してくるのですが、他小学校では、私たちの周りほどは遊戯王が浸透しておらず、ルールへの理解度もデッキの構築レベルも、割と差がありました。
入学してすぐに仲良くなった他校から入学した友人N(今では1番の親友)が、強気で持ってきた渾身の【壁デッキ】が、あまりにも弱くて、地域によって文化の成熟度が変わることを理解したのを覚えています。
しかし、中学に上がるとみんな部活に入るため、なかなか放課後に時間を作ることができません。
そんな私たちが始めたのが”早朝デュエル”
先生も他生徒も登校してくる前の早い時間に登校し、デュエル
教室が賑わう前に止めるので、先生にバレることなく、ただただ学校にくるのが早い人たちという扱いを受けていました
初めはNと個人的にやっていただけの早朝デュエルでしたが、卒業する頃には、入れ替わり立ち替わりでそれなりの人が参加するようになり、運悪く(要領悪く?)先生バレしてデッキ没収を喰らうような人もチラホラ見受けられるくらいには、遊戯王文化が中学校に根付いていきました
中学では文化圏が部活単位になってきて、私の所属する陸上部はかなり学校の中でもデュエルの腕前が高い部活になっていきました。
中学の時の強者扱いされていた陸上部の友人
・私がネットで調べた世界大会のデッキレシピを再現する神と呼ばれた友人A
・黒蠍と罠カードでいやらしくカードアドバンテージを稼ぐ友人T
・何回負けても「もう一回」と言ってデュエルを止めないアンデット使いの友人K
土曜日の部活動が終わった後、誰もいない校舎するデュエルや、大会の隙間時間に先生にバレないようにするデュエルが私の青春でした。
星1通常限定の最強の雑魚デッキ
その時代の私を象徴するデッキが【最強の雑魚デッキ】
《もけもけ》のデザインに惚れ込んで、最大限活かせるデッキを構築しようと考え、通常モンスターレベル1のみを採用したデッキです。
《魔の試着部屋》や《人海戦術》でなんとか5体並べ、《トライアングルパワー》→《弱肉一色》で、1キルする害悪戦法で、割と安定して勝てていました。
今となっては、デッキレシピをネットで検索してトッピングとしてオリジナル要素を盛り込むようなデッキの組み方が一般的になってしまったので、このデッキほど自分の頭だけで組み込んだデッキは、生涯通してないかなと思っていて、私の誇りです。
この【最強の雑魚デッキ】は、本当に弱そうなカードだけで勝ってしまうパフォーマンス性があり、初心者を遊戯王の魅力に引きずり込む力がありました。
当時、ガリ勉で全く流行りの遊びを知らなかった友人G(趣味はシャーペン集め)は、私が引き込んでしまった遊戯王に魅力のせいで、長年溜め込んでいたお年玉を散財しまい、勉強も手につかないような状態になってしまいました。
あの時はごめんね。
また、小学生にもこの【最強の雑魚デッキ】はウケが良く、地域センターでデュエルをしていると、「こんなカードで勝てるわけがない!」からの、コンボが決まると「すげーーー!!」となり、いつの間にか「遊戯王のお兄ちゃん」と呼ばれるようになっていました。
卒業式の直前に、この時代に組んだデッキを全て混ぜ込んだ【卒業デッキ】を組んで早朝デュエルに臨んだのは良い思い出。
(思いの外、うまく回った)
デッキビルダーとしてデッキを組みまくった高校生時代
高校はいって、一気に雰囲気が変わったのは、基本的に中学まではみんなが遊戯王をやっていたのに対して、高校は受験を通して大半の人は遊戯王を卒業し、ヲタっぽい人たちのみが遊戯王を継続していたことでした。
遊戯王をやっているかどうかを、正面からではなく裏からコソコソと聞いて、仲間を探すような、そんな隠れキリシタン的な扱いにデュエリストがなっていったのを肌で感じました。
クラスで一番最初に見つけたデュエリストTに早朝デュエルを持ちかけて教室でやった時は、登校してきた他生徒の反応と目に友人Tが耐えることができず、1回で断念。コソコソと校舎の中で人目がつかない場所を探すようになりました。
ヲタ友達として話しかけやすかった友人O(今となっては親友)は、遊戯王を全くわかっていなかったのにはじめてくれ、デュエルを教える日々。
数人で遊戯王をやっていることに興味を持って入ってきてくれた友人Y(今となっては親友)は、バチバチに限定カードを詰んだ武藤遊戯デッキ(おそらくネタで組んできた)を持参してくれ、多少デュエルができましたが、中学の時のような燃えるギリギリのデュエルをできる人材があまりおらず、高校入学当初は自分が1軍としていた【ブラック・マジシャン】や【最強の雑魚デッキ】は、基本的に封印して、みんなと楽しめるデッキを何種類も組み上げて持っていくようにし、遊戯王の奥深さを知ってもらうように振る舞うようにしていました。
最初は困っていた場所も、友人Oが入部した弓道場がお昼休みに使っている人がいないということがわかり、人目もつかない場所だったのでそこでデュエルをしながら昼休みを過ごすのが日課に。また、部活を引退した後は階段の屋上へ出る踊り場が私たちの決闘場でした。
高校生にもなると、お小遣いもそれなりになり、また継続して購入してきたことで手持ちのカードプールもかなりの枚数になってきており、飽きないようにデッキを同時にいくつも組み上げるようになってきました。
多い時で、しっかり調整してあるデッキが15〜20個程度。
布教としてデッキごと人に組んであげるようなこともやるようになってきました。
修学旅行に、これらのデッキを全て持ち込み、クラスメイトにレンタルした時は、遊戯王を中学で辞めてしまったような人たちも興味を持って続々と集合。
他のクラスだったデュエル仲間も部屋にやってきて、クラスの1部屋がレンタルデュエル部屋と化しました。
この頃よく、友人Nと通っていた、キセルを吸いながら暴言を連発で接客するファンキーなおばあちゃん1人で経営している古本屋「ドラゴン2」で、よくカードをシングル買いさせてもらいました。
時々、カードを引退した人が大量にここへカードを売りにきて、その時は良いカードが突然増えるため、重宝していました。
もし自分が遊戯王を辞める時は、絶対にこの店に全部持ってきて貢献しよう。と思ってましたが、惜しくも現在は閉店。
あの時は本当にお世話になりました。
特殊勝利でエンタメデュエル
この時代の私を象徴するデッキは【特殊勝利】
引き続き、【ブラック・マジシャン】がエースデッキで、《トゥーンのもくじ》連打で《熟練の黒魔術師》に魔力カウンターを貯めていく型が特に強く。
《モザイク・マンティコア》と《冥界の宝札》を軸にした【獣族】なんかも程良い強さでお気に入りでしたが、【デッキ破壊】や【終焉のカウントダウン】、【ウィジャ盤】【エクゾディア】と、意外性を魅せるデッキを組んでは友人を驚かせる、といったことをしていました。
その中でも【エクゾディア】の型はかなりの数組んで、
アンデット族と《生還の宝札》で大量ドローする【アンデエグゾ】
《悪魔の料理人》を送りつけてリクルーターで大量特攻する【料理人エクゾ】
ドローさせまくって《便乗》でドローしまくる【接待エクゾ】
《究極封印神エクゾディオス》+《拡散する波動》+《おジャマトリオ》で一気に条件を満たす【エクゾディオス】
などなど、大学受験のストレス発散にエクゾディアを毎週組んでは感想を聞くといった行動を繰り返していました
デュエルをすることが自己表現になってきた大学生時代
大学に入り、私の周りにはすっかりデュエリストがいなくなりました。
一緒にデュエルを続けていたのは、中学時代の友人N、高校時代の友人O、Y
この4人で休日集まってデュエルをすることが、当たり前の生活になってきました。
休日の午前中から、4人で集まって、それぞれが4〜6つのデッキを出し合って、総勢24デッキのトーナメント大会を実施し、途中でラーメン食べに行き、帰ってきたら続きをやる。それら私たちの休日のスタイルでした。
この頃は、遊戯王もいわゆる”テーマデッキ”が数多く生み出され、どのデッキを組むかでかなり”その人らしさ”が出てくるようになりました。
どんなデッキを組んで、どんなデュエルをするか、そのデュエルをもって休日に友人に何を語るのか。
デッキを組むことが自己表現になってきたように思います。
大学生になって少しお金の余裕が出てきたからか、「パックデュエル」という遊びもこの頃よくやっていました。
新品8~10パックを購入して裏向きのまま開封し、それをデッキにすることで、お互いにデッキが何が入っているかわからない状態でデュエルするルールです。
新規カードを買う儀式としては非常に楽しかったのを覚えています。
またこの頃から「年越しデュエル」と称して、友人Nと年越しの際にはデュエルをし、初ドローの内容でその年の運を計るといったことを毎年やっていました。
この時代の私を象徴するデッキは【エーリアン】
高校時代に友人Nから、上手くいかないから使ってみてと言われてから組んだテーマで、これがなかなか肌に合い、それから今回の引退まで【エーリアン】は必ず改良し続けてきました。
特に《宇宙砦ゴルガー》が登場してからは、新しいカードも古いカードもどんどん掘り返して、汎用性の高い永続・装備・フィールドカードと組み合わせて、みんなを驚かせられる【エーリアン】を極めることが何より楽しくなっていました。
特に《一族の結束》搭載型になってからは、爬虫類族に縛っていくことが重要になり、不遇の爬虫類族を調べ上げては色々試す、そんな時期でした。
他によく使っていたテーマは【ブラック・マジシャン】【カラクリ】【コアキメイル】【魔力カウンター】【六武衆】【デッキ破壊】【忍者】
特殊勝利系統で勝ちが続くと友人Oから、「負けた(勝負した)気にならない」と言われるようになったので、ビートダウン系の中で面白い動きを模索するようになってきました。
憧れた箱買い 戦いと多々買いの社会人時代
社会人になった当初は、大学の頃と変わらず、4人でローカル大会をしながら遊んでいました。
働き始めたことで、大学生の時よりさらにお金を掛けることができるようになり、新規カードはとりあえず1~2箱買うのが当たり前になってきました。
仕事で辛かったり、プライベートで恋人や家族との辛い出来事があったり、何があっても、デッキ構築を考えることで心を落ち着かせることができ、デュエルをすることで溜まった何かを語り合うことができました。
真剣に遊戯王と向き合うことが、自分と向き合う、いわば坐禅や瞑想に近い立ち位置の行為になっていったと感じます。
いろんなテーマを構築するもメタビ系が多し
社会人なりたての頃に私がよく使ったテーマは
【ブラック・マジシャン】【エーリアン】【カラクリ】【おジャマ】【ゴゴゴ】【墓守(メタビート)】【ガエル水フルモン】【チェーンビート】【坊主ビート(魔道書)】【武神】【森羅】【スピリット】【グレイドル】
最近こそ当たり前に来る【ブラック・マジシャン】も、この頃にようやく待望の新規サポートカード(《黒の魔導陣》や《永遠の魂》)が登場したり、【魔導書】が全盛期の時は、得意の魔法使いから派生させたデッキを多く使っていて、かなり構築が楽しい時期でした。
相変わらず【エーリアン】の構築も面白く、汎用性の高い永続カードや、ゴルガーに繋げられるカードが登場した際は、「実質エーリアン新規!!」と騒いで盛り上がりました。
初めは、私の中学の友達、私の高校の友達、という間柄だったNとOとY。
この頃には、私が仕事で行けなくなってしまっても、一緒に遊ぶようになっていて、お互いに無二の友人となっているように感じました。
そこから数年の間に、友人Nの引越し、友人Oの結婚、友人Yの転職。
それぞれのライフステージにも変化が起こり、前までのような頻度で揃って遊ぶことはなくなってきました。
その後も、一番距離の近かったNと私、その後に地元のボランティアで仲良くなったKでよくデュエル自体は継続して行っていて
購入する量もむしろ以前にもましてコンスタントに箱買いするようになり、デュエルをすることが心の支えになっていたところがあると思います。
そして、昨年、仕事の方も順調に回り始めてきて前向きな転職ができたり、お付き合いしていた彼女と結婚したり。
自身の生活が以前とは少し変わってきました。
新弾が出て、構築も考えていて、何年も新規を待っていたようなカードが登場し、購入していたにも関わらず、
箱のまま保管してしまっていたり、当たり前のように触っていた遊戯王カードの世界から、離れた位置にいることに気がつきました。
私が、デュエル人生で最後、よく触っていたテーマは
【ブラック・マジシャン】【エーリアン】【ダイナミスト】【軍貫メタルフォーゼ】【メルフィー】【超重武者】【希望皇ホープ】【化石コアキメイル】【シャドウクリボー蹂躙拳】【捕食植物】【電子光虫】【天気】
悔やまれるのは、《はぐれもけもけ》が出たのに、デッキを組んでいないこと。
私の中で、遊戯王の役目が終わっていた?
ふと、最近の自分を振り返った時に、今までなくてはならなかった遊戯王に触っていなくても生活が成り立っていると気がつきました。
結婚し、新しくなった家族との時間。家族と楽しく過ごすために稼いだお金。それを注ぎ込んで確保している家という物理的なスペース。
広がってきた地域でのコミュニティ。任され頼られる仕事や役割、それを全うするために必要な勉強。
むしろ、やりたいことも増えてきて、もっともっといろんなことに自分のリソースを割いていきたいと感じています。
お金も時間も、全然足りません。
一方で、遊戯王を通してここまで仲良くなった、気心知れた親友たちとの時間も、年に数回、数時間になってきています。
こんなに大切な彼らと一緒に同じ空間で過ごしていられる時間って、生涯であとどれくらいなんだろう。そう思うと、せっかくの会う貴重な時間をゲームに割くのではなく、直接バカ話をして、近況と悩みを共有して、それぞれの普段の生活に戻っていく、そう使っていく方が有意義に感じるようになりました。
遊戯王からは、本当にこの20年以上の時間で、いろんなものをいただき、学んできました。
遊戯王を通して得られたたくさんの友人
紹介した4名以外も、遊戯王きっかけで仲良くなり、私の人生に影響を与えてくださったかたがたくさんいます。
遊戯王を通じて会話してきた友人たちとの時間は、絶対に私の持つ最大の財産です。
論理的な思考、文章の読解力、人生観
状況に応じた論理的思考は、絶対に遊戯王から得られたと思っています。
法や規約的な、何かを定義・定規したような文章を苦なく読む力は、コンマイ語から得られたと思います。
企画力、構成力は40枚の中に、やりたいことをまとめる遊戯王と一緒。そして詰め込み過ぎる60枚では事故率が上がってしまうという学びも。
何かに詰まった時は、遊戯王に例えて解釈することが多く、遊戯王とそれに纏わる確率論からは、得られる人生の気付きが多かったです。
ある意味で、遊戯王から私が得られるものは、全部得尽くし、ここから先はお金と時間と保管スペースを浪費していく趣味になっていってしまうと感じ、「卒業」をすることにしました。
多分、遊戯王は私にとってはただの趣味ではなく、思考を注いで取り組むものだったのだと思います。
そして、友人との会話だったのだと思います。
文頭にも書いた通り、「卒業」とするのは嫌いでした。いや、これからもどんどんと登場するカードを前に、「卒業」ってなんやねんと。
でも、前述の通り、得られるものは得切ったと感じて、「卒業」です。
さよならバイバイ、カードたち。俺はこいつと旅に出る
卒業を決め、今持っているカードを全て数えてみました。
28,396枚
これが、私が現時点で持っていた全てのカードでした。
今まで他の人へあげたカード、デッキも多数ありますが、これは多いのかな、少ないのかな。
大会なんかに出ないで、友達とのやりとりだけで集めてきたカードプールと思うと、それなりなのかな。
売却額は、124,910円
どこか、お世話になったお店に売ったり、寄付したりしたいと思っていましたが、昔からお世話になったようなお店は閉店されているところが多く、傷だらけの子達でも買取ってくれて有効活用してくれそうなお店で売却。
当然、前述した今まで、遊戯王を通して得てきたものの大きさに比べたら、金額は問題じゃありませんが、記録として残しておきます。
基本的には投機目的は持たずにプレイ用カードのみでこの金額は、想定していたよりずっと高かったです。
何か、大切な時に使いたいな。
今までの遊戯王人生を振り返った時に、影響を与えてくれたと思う3枚を残しました
《ブラック・マジシャン》
俺にとっては始まりのカード。いろんなイラストが出て、デッキの3積みを色々入れ替えてきましたが、必ずこの1枚だけは外さずにずっと使い続けてきました。おかげで角はボロボロ。
年越しデュエルでドローした時は胸が熱くなった。
《もけもけ》
デッキ構築の楽しさを目覚めさせたカード。うちのアイドル。
大学以降は、なかなか活躍させてあげられなくてごめんね。
もけもけクッションとかが出たら欲しい。
《宇宙砦ゴルガー》
全てのカードをエーリアン新規と化した頼れる相棒。
こいつのおかげで遊戯王の幅が広がったし、何度も助けられた。
《エーリアンモナイト》とどっちを残そうか悩みましたが、こちらを。
1つだけデッキを手元に残しました。
関連カードや複数のデッキを残していると、また気づいたらどんどん増やしていってしまいそうなので、最終調整をしたデッキ1つを、生涯デッキとして残すことに決めました。
その1つは、【エーリアン】
溟界とレプティレス混合型で、私にとっては現時点の最終ゴール。
残しておくだけではなく、たまには息抜き程度に回してあげたいな。
あとは、マスターデュエルくらいはたまにやっても良いかもね。
ありがとう遊戯王
節目の記録としてのこの文章を終わりとさせていただきます。
本当に記録のため、あまり読ませる気のない文章で申し訳ないですが、これでまた一つ次の人生へ進める気がします。
長くなりましたが、最後に、こんなにも素晴らしい遊戯王カードオフィシャルカードゲームを生み出してくださった故・高橋和希先生、集英社、KONAMIの皆様に厚くお礼を申し上げたいと思います。
間違いなく、遊戯王のおかげで、素晴らしい友人たちと過ごし、私の人生は豊かなものとなりました。
そして、遊戯王に触れていたおかげで、これからも楽しく過ごしていけそうです。
本当にありがとうございました。
ありがとう遊戯王!
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